11.クインテットの秘密
そんなある日の夜のこと。気持ちよく眠っていたはずの私はどうしてか、その日に限って、夜中の三時という起床するには早すぎる時間に目を覚ましてしまった。
何気なく部屋の奥を見ると、そこにいるはずの真理亜ちゃんの姿がなかった。
「…真理亜ちゃん?」
暗闇に呼び掛けてみても、何の返事も返ってこない。ベッドは空っぽで、私が寝る前に見た時と同じくベッドメイキングしたみたいに綺麗に整えられていて寝ていた形跡もない。一体こんな時間に何処へ行ったのだろう。ベッドから這い出ると、春先の肌寒さを感じて身震いした。カーディガンを寝間着の上に羽織り、スリッパを履く。
「…真理亜ちゃん、いないの?」
もう一度声を掛けてみるが、返事はない。私はしばらくその場に突っ立っていたが、意を決して部屋を出た。
もしかしたら、何かトラブルに巻き込まれているとか、私が寝ている間に真理亜ちゃんの身に何か起きていたとしたらどうしようとかそんな不安がいくつも浮かんで、ただでさえ一人ぼっちで心細いのにその心細さに拍車がかかる。
(真理亜ちゃん、何処に行っちゃったの?)
三階の廊下は非常灯のぼんやりとした明かりのみがあるだけで、薄暗く不気味だった。長い廊下はしんと静まり返っていて物音一つ聞こえない。自分の足音と衣擦れの音、そして息遣いだけが廊下に響き渡る。
(こ、こわい……)
こういう時、目の前から女の人が歩いて来たらどうしようとかそれが血まみれの姿で長い髪をしていて白目だったら本当に怖いとか余計に恐ろしいことを考えてしまう。
(あああだめだめ。変なこと考えちゃだめ。真理亜ちゃんのことだけ考えなきゃ)
小走りで三階の廊下を通り過ぎ、真理亜ちゃんの姿を探すがどこにもいない。今度は二階へと続く階段を降りていく。
(寒い…)
カーディガンを羽織ってきたけど、まだ鳥肌の立つような寒さを感じる。階段を一段一段下りていきながら、暗闇に目を凝らして真理亜ちゃんの姿を探す。
(真理亜ちゃん、何処…?)
二階へ着くと、非常灯の灯りとは別に何やら揺らめくようなぼうっとした光が談話室から廊下に漏れていた。
(こんな時間に…?)
足音を立てないよう気を付けて、息をひそめながら談話室に近付いて行く。こっそりと中を覗くと、談話室の中で蠢く数本の蝋燭が見えた。外に漏れていた光はこの蝋燭の灯りだったようだ。
(ままままさか、お化け…じゃないよね?)
談話室の中で動く人影がある。よくよく目を凝らすとその姿に見覚えがあった。
(あれは…クインテットのお姉様達?こんな時間にどうして…)
蝋燭立てを片手に持ち、部屋の中に立っているのは昼間顔を合わせているクインテットの、最上級生である三年生のお姉様達だ。だが二年生のお姉様達の姿は見当たらない。
(あ、真理亜ちゃんだ。それに、馨お姉様も)
その中に交じって、暗闇に真理亜ちゃんと馨お姉様の姿が浮かび上がった。何やら真剣な顔で話し込んでいる。何を話しているかまでは、防音が完璧なこの談話室からは聞こえてこない。どうしてこんな夜更けに談話室に集まっているのだろう。何をこそこそと話しているのだろう。思い切って、声を掛けようかとも考えたが、好奇心が私を押し留めた。
(それに、見つかったらまずい気がする…)
こんな真夜中に内緒で集まっているのは、私に知られたくないからで、そんな私が今出て行ったら、何かよくないことが起こりそうな気がする。
私は気付かれないようにこっそり談話室の様子を窺うことにした。
真理亜ちゃんはいつになく項垂れていて、馨お姉様はそんな真理亜ちゃんを諭しているようにも見える。
(何を話しているんだろう)
気になって見ていると、馨お姉様が唐突に真理亜ちゃんを抱き締めた。
(え?ど、どういうこと?)
盗み見なんていけないと思いながらも、目の前で繰り広げられている光景に抗うことができない。
(真理亜ちゃんと馨お姉様って仲が悪いんじゃなかったっけ…)
二人は部屋の中で互いの身体を密着させていた。その周りを雅お姉様や雪乃お姉様、倫子お姉様が取り囲んでいる。
(一体、どんな状況なの…?)
何が起こっているのかさっぱり理解できないが、二人の親密そうな様子を見て胸の奥がざわついた。
(もしかして、真理亜ちゃんと馨お姉様…まさか二人は、あ、あ、愛しあってる、とか?女の子同士でそういうことって珍しいかもしれないけど、ありえないわけじゃないし…でも、真理亜ちゃんと馨お姉様がそういう関係だったなんて知らなかった…)
ちくり、と刺すような痛みを感じる。
(…っ……)
目を背けたいのにこの光景から目を離すことができない。蝋燭の灯りの中、浮かび上がる美しい少女達の姿は今まで見たどんな映画や絵画よりも美しく、私の心を魅了した。
(あっ…!)
そのまま見続けていると、真理亜ちゃんは屈んだ馨お姉様の首筋に唇を近付けた。
(そ、そんな大胆なことを…!)
真理亜ちゃんの唇が馨お姉様の首筋に触れようかというその瞬間、真理亜ちゃんの瞳がかっと見開かれ金色に輝いた。
「……!?」
真理亜ちゃんの口元から覗くきらりと光る鋭い犬歯が、馨お姉様の首筋に思い切り突き刺さる。馨お姉様が美しい顔を歪めた。
(…っ!?)
私は自分の手で口元を覆った。悲鳴が零れそうになるのを懸命に抑える。
(な、何なの…?)
真理亜ちゃんは夢中で馨お姉様の首筋に吸い付き、何かを吸っているように見えた。
(何が起きているの…?)
急に身体が震え出し、私の頭の中で危険信号がけたたましく鳴り響いた。
(も、戻らなきゃ…!)
とにかく見つからないように部屋に戻らなくては、と身体を動かそうとしたその時、馨お姉様の首筋に吸い付いたままの真理亜ちゃんと目が合った。真理亜ちゃんは金色の瞳を大きく見開き、馨お姉様から顔を離すと、何かを叫んだ。真理亜ちゃんの口元は馨お姉様の血で真っ赤に染まっていた。
(ち、血…!)
その瞬間、クインテットのお姉様方が一斉に私を振り返った。
(ひ……!)
逃げようとするもその場に足がすくんで動けない。へなへなと座り込んでしまった私の目の前に扉を開けて出て来た三人のお姉様方が立ちはだかった。震える私をどこか恍惚とした表情で見下ろしている。
「あーあ、見られちゃった」
倫子お姉様が欠伸でもするかのように間延びした声で言った。
「…ほら、怯えちゃってかわいそうに」
かわいそうにという言葉とは反対に倫子お姉様の目は笑っている。逃げられないようにする為だろう。倫子お姉様がその場に片膝をつくと、手を伸ばして私の腕を優しく掴んだ。
「仕方ないわね」
雅お姉様が腕を組んだままの姿勢でため息を吐き、雪乃お姉様は相変わらずどこか楽しそうに微笑みを浮かべている。
「…こんな真夜中に起きてくるなんて、いけない子」
ぞわり、と背筋に鳥肌が立った。言い逃れしようと口を開くも何の言葉も出てこない。がたがたと身体の震えが止まらない私を見て、雪乃お姉様がまるで小さな子をあやすように「よしよし、いい子ね。立てる?」と聞いた。
私が横に首を振ると、倫子お姉様が「それじゃあ」と声を出していとも簡単に私を抱き上げた。
「……っ!」
「騒ぐと皆が起きちゃうから。しー、ね?」
そのまま強制的に、悲鳴を上げる間もなく私は談話室の中へと引きずり込まれた。
後ろ手に扉が閉まる。
(た、助けて…!)
「こらこら、暴れないの」
部屋へ入ってすぐ、倫子お姉様が手近なクッションソファーへと身をよじる私を下ろした。そこへ真理亜ちゃんが、金色のあの瞳をしたまま何故か怯えた顔をして私に近付いてきた。
「有栖……」
その姿はやはり、見間違いでも何でもない、真理亜ちゃんその人だった。目の色がいつもと違う以外は。
「ま、真理亜ちゃん…?め、目が…そ、それに…く、口も…」
真理亜ちゃんの瞳は人間離れした金色に変化したままで、口元には先程の行為を現すようにべったりと赤黒い血がついていた。真理亜ちゃんは私から顔を隠すようにぱっと顔を背けて、口元を袖でごしごしと拭った。
「目が戻らないのは飲み過ぎのせいね。それに飲み方がまだまだへたっぴ」
雪乃お姉様が真理亜ちゃんの様子を観察しながら言った。
「な、何で……」
私が混乱していると、雅お姉様が額に片手を当てて苦々しく言った。
「うかつだったわ。まさか、見られるなんて」
「遅かれ早かれ、こうなっていたって」
「でも、何もこんな形で…」
「説明するよりこうやって見せた方が手っ取り早いじゃない。むしろ、手間が省けてよかったと思うべきよ」
「私も倫子に賛成」
「ついでにひと噛みしとくの、どう?」
「それは反対」
お姉様方は三人で何かを話しているがちっともついていけない。視線を彷徨わせていると、私の視界に首筋を押さえたままの青白い顔をした馨お姉様が姿を見せた。
「…有栖ちゃん」
馨お姉様は弱々しく私の名を呼んだ。
「…か、馨お姉様……」
私は彼女の名を呼ぶのが精いっぱいで、それ以上のことは何も言えなかった。馨お姉様は机に寄りかかるようにして身体を支えていた。
「有栖さん。こんなことを言ったって、今のあなたには届かないかもしれないけれど…どうか怖がらないで」
雅お姉様が普段よりもずっと優しい声で私に話しかけた。その表情は口先だけのお姉様達の中で一番私のことを気にかけてくれているように見えた。
雅お姉様は一旦深呼吸をすると、その場に集まったクインテットを見回してから、覚悟を決めたように頷いた。
「単刀直入に言うわ。私達、人間じゃないの」
「……!!」
雅お姉様の言葉に私は目を見開き、呼吸を止めた。真理亜ちゃんが「有栖…」と呟き、心配そうに金色の瞳を私に向けている。馨お姉様は表情を変えずにじっと私を見つめていた。
(い、今…なんて…)
「人間の姿そっくりだけれど、中身は違う」
私の心を読んだかのように雅お姉様が繰り返した。
「――私達は血を糧に生きる吸血鬼…あなた達人間から“ヴァンプ”と忌み嫌われる存在よ」
淡々と告げる雅お姉様の言葉に、私の中で蓄積されてきた十五年分のありとあらゆるこの世の常識ががらがらと音を立てて崩れ去った。




