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外伝 無垢なる君と拈華の宴 1



一目惚れ、という言葉がふさわしいだろうか。


初めてその姿を目で見て、耳で聞いて、浮かんだ言葉は無垢という二文字。


この世の浅ましさを知らず、悪意や邪念に晒されていないその姿を、愛おしいと思った。守ってあげたいと願った。この世のあらゆる憂いから遠ざけたいと。


赤子や子猫に感じるような、胸を締め付けられる感情。けして良からぬものに触れさせたくないという情動。


それが七沼遊也という人間を、セレノウのユーヤという人間を突き動かす。


彼の愛はいつも同じ、その美しさに圧倒され、包まれ、全てを捧げるような愛。



呑まれるように愛している。





ラウ=カンには埋花マイファという言葉がある。


虎などの猛獣が花に埋もれて伏せているという様子であり、これは実にさまざまなものを意味する。美しいものに潜む危険性。在野に潜む優れた人物。美しいものに埋もれて動かないことが大金持ちの余裕である、という俗っぽい意味まで様々である。


シュネスやヤオガミにも似たようなことわざが残っており、大陸の文化的つながりを想像させる言葉でもある。


だが実際に花の山に埋もれた人間となると、さすがに周囲も焦らずにいられない。急いで花をどけて、下敷きになってた人間を引っ張りだす。


男である。大きな怪我は無かったようで、感謝しつつ申し訳なさそうに立ち上がる。仕立ての良い学朱服から花びらや木の枝を払い落とす。


どことなく暗い印象の男である。別に線は細くないし、上背も人並みにあるのに、濡れた紙のように頼りなく見える。学朱服を着ているならシュテンの学生なのだろうか、確かに若いが、疲れ果てた壮年の男にも見える。彼を助け出した人々は全員が同じような感想を持った。


「あんた、こっちはもういいから向こう行ってくれ」

「何か手伝えることは……」

「いやいいから、花も受け止められねえんじゃ危ないんだよ」


男の名はユーヤ。


異なる世界からの来訪者であり、さまざまな経緯いきさつにより先日のシュテン大学の封鎖と、その後に起きた大火に関わっていた。今はその片付けを買って出ていたようである。


シュテンの大火とは妖精の暴走であるが、そのときシュテンは祭りの最中であった。大学を飾っていた花などは燃えないように一箇所に集められ、今はそれを片付けるため、二階の窓からどんどん投げ落としていたわけだ。ちなみに一階の出入り口からは別のものが運び出されている。


ユーヤはその花の下敷きになったわけである。いちおう弁護するなら花は紙製の造花であり、燃えにくいように水がかけられていたため、見た目よりは重かった。


そんなわけでびしょびしょになりながらその場を離れる。すると背後からセレノウふうのメイド服を着た美女が現れる。歩きながら学朱服の上掛けを新しいものに替えた。真紅のリボンで髪をまとめ、暴力的なプロポーションを小さめのメイド服でぎちぎちに締め付けるような人物である。


「ユーヤさま、もうお手伝いは控えていただきたいですわあ。お怪我でもなされたら私どもは悔やんでも悔やみきれません」

「大丈夫だよ、ちょっとずっしりきたけどただの造花だし……」


シュテン大学が大火に見舞われて3日あまり。


まだ復興の槌音、とまではとても言えず、人々はともかく被害の調査と、がれきの片付けに追われている。


片付けにはラウ=カンの兵士も協力していたが、学生が主導権を持って進めているようだ。学生の指揮下で作業を行えという命令でも出ているのか。


もう一人メイドが加わっている。ピンクのリボンが印象的な少女のような風貌。よく見れば彼女のメイド服にはフリルが多めであり、空気を含んで軽やかに揺れる。


長身の方はモンティーナ、愛くるしい方はマニーファ、セレノウの上級メイドでありユーヤの身の回りの世話をしている。しかし彼女たちはすぐに背景に紛れてしまい、あちこちで働く人々もそのメイドたちを気にしていない。

そうして背景に徹することもメイドの職能らしいのだが、この世界の人々には特殊な技術でもあるのか、時々ユーヤには理解できないレベルで現れたり消えたりする。


「ゆーやさま、もうお城にもどりましょ。ゆーやさまにはお勉強もお仕事ですよ」


マニーファが舌足らずに言う。ユーヤも仕方ないなと同意しかけるところへ、がらがらと音を立てて馬車が並ぶ。


「おー、ユーヤではないか、偶然じゃのう」

「わざとらしいなあ」


ボタンを閉めたワイシャツ、青地に金色のチェック柄のスカートという出で立ち、そして分厚い生地でだるだるの靴下。パルパシアの方で流行している学生ファッションらしいが、ユーヤはどうしても違うものを連想してしまう。


そのようなコスプレ、もとい扮装の人物、パルパシア第二王女ユゼ=パルパシアがひょいと馬車から飛び降りる。それは王室のものではなく流しの馬車だったようだが、ユゼを一瞥したものの、そのまま走り去ってしまう。ちゃんと料金を払っていたのかな、とユーヤは心配に駆られる。


「暇なら我に付き合うがよい。ちとシュテンに用があるのじゃ」

「シュテンに? 何か変なことたくらんでないだろうな」

「おぬし我を誰だと思っておる。たくらんでおるに決まっとるじゃろ」


ユーヤとユゼらは先日の大学封鎖と大火の際、潜入調査という名目でシュテンに入り込んでいた。そのために学生風の扮装をしていたわけである。


しかし異邦人のユーヤの目から見ても、ユゼは山中のキャンプファイヤーのように目立つのだが、彼女がユゼ王女だと気づいているのは行動を共にした数人だけらしい。ユーヤはどうしてもそこが信じられない。


「いったい何をたくらんでるんだ?」

「うむ、簡単に言うと人材の引き抜きじゃ」


ぱしん、と扇子を閉じる。閉じて初めて彼女が扇子を持っていたと意識される。そのぐらい手になじんだ品である。


「パルパシアにも大学はある。ローウェナッツとかアンテルノンとかな。一校の規模としてはラウ=カンのシュテンが世界一じゃが、パルパシアの大学は相互連携を深めておってのう。大学ごとの専門性の確立と相互の交流、企業との共同研究など国家としての総合力で勝負しておるのじゃ」

「おお……? な、なんだよ急に」

「シュテンが大火に見舞われたわけじゃが、この機会に学生の受け入れを拡充しようと思っておる。焼失を逃れた書籍や文化財なども、ラウ=カンが望むなら一時的に預かってもよい。このような大事件じゃ、各国が協力して対応に当たらねばな」

「すごいな、なんか王様に見えてきた」

「そこで優秀な学生についても受け入れるわけじゃが、そこはそれ、国家としてはより優秀な学生を優先して受け入れたいと思うのが国家倫理とゆーもんじゃ。ここに我がいたことは僥倖、他の国に先駆けて学生を見極め、パルパシアへの大学に招きたいのじゃ。そこで手始めにあの尻に声をかけようと思っておるのじゃ。あの人物は実に優秀な学生じゃと思って」


と、はたと動きが止まる。


「尻じゃない、タオじゃったな」

「本音が漏れたな……」


ばんばん、と背中を叩かれる。


「まあ細かいこと気にするでない。あの稀代の尻をパルパシアに招くのじゃ。お主もまた見たいじゃろあの美尻を」

「それ言ってんの君だけだからな、ずーっと」


シュテンには虎窯フーヨウというクイズサークルが存在する。


それはクイズサークルでありながら学生運動のような性格を帯び始め、シュテンの一部を占拠し、シュテンの自治権拡大を求めて朱角典しゅかくてんの城と交渉を続けていたという。


ユーヤがこの国に来たとき、虎窯フーヨウはとある一団に乗っ取られていた。今はまた団体を奪い返したらしい。タオとは虎窯フーヨウの代表である「三悪」の一人である。通り名は「悪書」のタオという。


「とりあえず来るがよい。我だけで向かわせるとタオが心配だから、とか言い訳がましくついてくるパターンじゃろここは」

「なんかもう全部無視して逃げようかな」


とはいえユゼ王女だけで行動させるわけに行かないのも確かだった。


ふと背後を見るとメイドたちが消えている。だがどこかには居るのだろう。ついでに言えばパルパシアの使用人たちもどこかに潜んでいるはずだ。


彼らは優れた力を持ちながら、けして目立とうとしない。常に舞台に上がるのはユーヤたち王族である。それを意識するとき、実は自分は人形であり、操られるままに踊っているような感覚にも囚われる。


それは一種のおごりだろうか。どちらが主役かなど大した問題ではないのかも知れない。テレビマンとスタッフの関係にも似ている。裏方である彼らは彼らなりに、自分たちの人生の主役なのだろうから。


だが、それにしてもユーヤはずっと舞台に出ずっぱりだと感じる。本当はずっと、裏方でも構わないのだけれど。





「せっかく歩くんだから何か解説してくれ」


シュテン内部の大通りを歩きつつ、ユゼに言う。二人の間を荷車ががらがらと通過していく。


「うむ、解説か、そうじゃのう」


妙に距離が遠い。

二人の間は1.5メーキほど離れている。二人の間を通行人が普通に通り抜けていく。傍目には連れ合いとは分からない距離である。


ユゼはというと最初は天気の話とか朝食の話をしていたが、次第に口数が減ってきて、今は羽根扇で口元を隠しながらわずかに顔を背けている。普段のタイトワンピースよりもぐっとカジュアルな服装だが、その羽根扇はなぜか浮いていない。


別にユーヤから距離を詰める意味もないので、間隔はずっとそのままである。


「えーとじゃな。シュテンはその、でっかい大学じゃ。建物もすごく多い、みんな赤い」

「さっきの立て板に水の話しぶりはどうした」

「ええと……うむ、ちょっと相方もおらんので調子が出なくてのう」


ユゼ王女の双子の片割れ、ユギ王女はパルパシアにいるはずである。双王と呼ばれる二粒の真珠、社交界の花たる双子が別々の国にいるのは非常に珍しいらしいが、ユーヤには珍しさの度合いがよく分からない。


と、白いものを山積みにした荷車が横切っていった。すれ違うときにひやりと冷気が来る。

ユーヤが首だけで振り返ると、その荷車に学生が一人、駆け寄っていた。


「おい、白重バイジオンダメなのか?」

「ああダメだ、一部が溶けて氷になっちまった、もう使えない」

「まいったな、次の実験で使う予定なのに……」


白重バイジオンというのは?」


ユーヤの問いに、ユゼはぱしりと扇子を閉じる。


「う、うむ。氷室ひむろのことじゃが、特に雪を保管しておく倉庫のことじゃ。氷晶精ピチーティアで常に冷やされておる」

「雪?」

「うむ。氷晶精ピチーティアは樽にいっぱいの雪と蜂蜜で呼び出せるのじゃ。標高4000メーキ以上に積もった雪でなければ呼び出せぬ。特に8000メーキ以上の高所に積もる雪では非常に強力な妖精が呼べる。そのために雪を保管しておるのじゃ」

「ああ、見たことあるよ。冷蔵庫みたいに食べ物を冷やしてくれる妖精だよね、便利で……」


はた、と口元に指を当てる。


「なんで雪を保存しておくんだ? 妖精をラウ=カンまで連れてくればいいのに」

「シュテンに保管されてたのなら標高8000メーキ付近の雪じゃろ。強力な妖精になるとマイナス200度以上に冷やせると言われておる。どんな容器に入れてもとても持ち歩けないのじゃ。そういう妖精はおもに実験用じゃな」

「マイナス200度以上……すごいな。僕たちの世界でそんな低温を生み出すのはとても大変なのに」


珍しいものは多い。


花をタオルのようなものに巻き込んで、ぎゅっと絞って赤い汁を垂らしている女性がいる。


タールのような黒い液体の詰まった樽に、本を次から次と投じている男性がいる。


男女数人が体操のような動きをしている。中心では二胡にこのような弦楽器を弾いている老人がいるが、奇妙なことに楽器も弓も、その弦がまったく見えない。軽やかな音だけが響いている。


どれ一つとっても興味深く、この世界の文化の奥深さを感じさせる。惜しむらくはその一つ一つを追求するには、あまりにも時間がないことだ。


それはユーヤだけではないだろう。世界を知り尽くすには、人生はあまりにもーー。


「ところでどこに向かってるんだ?」


心の憂いを忘れようとするかのように、ユゼに問いかける。


「うむ、とりあえず白納パイナン区に向かっておるが」

「あそこにはいないだろ。どこかの片付けを手伝ってるんじゃないか?」


白納パイナン区とはかつて虎窯フーヨウが占拠していた区画である。そこはとある理由により妖精が呼び出せない。よって、妖精の暴走による先日の大火も起きていないと思われる。


「そうじゃったのう。ではどこに向かうべきか」

「誰かに聞いてみるか? でも数万人の学生がいる大学だしな。今は兵士とかも入ってきてるし……困ったな」

「何を焦ることがある。ここはあれじゃろ。待ってればそのうち誰かが話しかけてきて話が進むパターンじゃ」

「あのな、そういうのは小説の中の話であって」


「あれ、ユーヤじゃねーか、雨蘭ウーランも」


路地からひょいと現れ、手を振ってくるのはルウ

彼もまた「三悪」の一人。「悪癖」のルウである。



「ほら」

「ちくしょう」

というわけで久々に外伝を始めてみました。またしばらくお付き合いいただければと思います。


タイトルの読みは「むくなるきみとねんげのうたげ」です。拈華とは花をつまむこと。花を手に持ち、わずかにほほ笑んでみせるだけで何かが伝わることもある、という意味の言葉ですね。

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