番外編 無月の城と満月の王 7
※
中央ホールは様子が一変していた。
鳥獣の檻すべてが黒い幕で覆われている。絵は外されて乱雑に重ねられている。目も当てられない必死さがそこにあった。
「……」
ユーヤは意に介さずに歩みを進め、解答台として用意されていたテーブルにつく。
「ユーヤどの、いよいよ決着をつける時のようですな」
満月王はそう言ってみせる。強い言葉の割には声に力はない。満月王自身ですら半信半疑のこと、苦肉の策と言ってもいい対応だからだ。
「まったく驚くべきことです。私の鳥を調教して双王を見分けさせるとは。しかし思えば鳥の目とは遥かな高みから地虫を見つけ出すもの。そのような真似は不可能ではないのか」
と、そこでユーヤが伴を連れていないことに気づく。
「……? ユーヤどの、メイドはどうされました」
「体調を崩したので部屋で寝かせている、そんなことより」
ユーヤは苛立たしい様子を声に乗せ、己のこめかみをがりがりとかきむしる。
「やめろと言っただろう」
「……何をですかな」
「雑な理解を、だ」
かっと、その脂ぎった頭部が赤く染まる。目から火でも吹きそうな凶面になる。
「メイドさん、問題を」
「……はい、では82問目からになります、こちらです」
提示されるパネルには、プールサイドのベンチに寝そべる双王。椅子を後ろから映した写真であり、後頭部がわずかに。
かたん。
と、金属板を置くのはユーヤ。
「……! う、ぐ」
「双子を見抜くとは、人間の知覚の新たな地平だ」
ユーヤの目にはどす黒い感情が渦巻く。怒りとか苛立ちの色である。
だがその奥に、彼をよく知るものにしか見つけられない苦痛、悔恨、哀切の感情がある。それを表面的な怒りで覆っている。
「メイドさんが答えを伝えているだとか、動物が双子を見抜いているとか、そんな浅薄な理解の先に存在する事象」
「それが、僕の世界に現れた一番星だ」
※
「ブレイクスルーという言葉がある」
城内の客間にて、ユーヤは己のメイドに話す。
「誰かが画期的な発見をして、それをきっかけに停滞していた研究分野が一気に動き始める、という言葉だ」
「はい、そのような話はこちらにもあります」
「……不可能と思えることに挑むことは勇気がいる。例えば口を一切開かずに行う腹話術。本物の手錠を用いた脱出マジック。偉大な誰かが成し遂げると、同じことをやろうと立ち上がる人々が現れる。一番星を目指して進む船団のように」
双子当てクイズを切り開き、その行き着く終焉へと導いたのは。
それはやはり、石月コガネなのだと。
「僕はその技術を掴んだ。最初にやってた人はトリックを使ったけど、実在を信じて練習を重ねたことで、僕は本当にできるようになった。今では双子を見分けられる人は何人もいる。タレントとしてテレビに……僕たちの世界のメディアに出ている」
「そんな方が……」
石月コガネ、彼女もまた、不断の努力を続ければ身につけたかも知れない。きっとできただろう。
だが彼女はそこに至れなかった。彼女は双子が見分けられると思っていなかったから。
人生の皮肉。
それを苦々しく噛み潰す。
「……彼女こそが、一番星だったのに」
言葉が、部屋の中を漂う。
世界を隔ててしまった彼女には、けして届くことはない。
※
満月王が、目玉をぎょろりと飛び出させてうめく。ユーヤは面倒そうにその視線をいなす。
「まだやるのか」
「む、無論……」
「僕がメイドさんたちに渡した難問作成のマニュアル。それは僕の世界で積み重ねてきたクイズの迷宮。知識だけではどうしようもない艱難辛苦の道のり。それでも挑むのか」
「く、くどい、私は決して間違えることは……」
「メイドさん」
と、満月王の食いしばりなど意に介さぬ様子で言う。
「はい……」
「問題のパネルだけ全部見せてくれ、それはいいだろう?」
メイド長とされる女性は一度満月王に視線を投げ、許諾の沈黙を受け取るとパネルを一枚ずつ並べる。裏面には回答が書かれているはずだが、それは二人に見えないように慎重に動く。
「96問目だ」
即座に指摘するのはユーヤ。それはモノクロのパネル。真っ白な水着を着て、綾紐を咥え、盆の窪のあたりで髪をまとめようとする一瞬を捉えている。
ユーヤは城壁を閉ざすように、重々しく言う。
「満月王、あの問題はあなたには正解できない、だから僕が勝つ」
「なっ……」
満月王は怒るというより、本当に訳が分からないという体である。
「ば、馬鹿な、私が……」
メイド長はといえば、なぜか激しく動揺している。
この長生した、冷静を絵に描いたようなメイド長が視線をさ迷わせ、色素の薄い肌に朱が差している。
その感情をひそかに言語化すればこうなる。まさか二人が96問目までたどり着くとは思っていなかった。見ようによっては、とても見るに耐えないこの問題を使うことになるとは――。
「で、では96問目でございます。お答え下さい」
かたん
と、即座に金属板を置くユーヤ。
「むう……」
(……なぜ答えられないのだ?)
熱くなりやすい満月王であっても、さすがにここは冷静になるべきだと判断した。胸がせり上がるような感覚は抑えきれないが、ともかく問題のパネルを見る。
(……これは、どの場面だ)
写真集、映画のワンシーン、雑誌の切り抜き、どれとも違う。この水着にも見覚えがない。
(なぜだ……? なぜ見覚えがないのだ? 双王の水着写真は膨大な数があるが、私はそのすべてを見てきたはず)
(忘れているものが絶対にないとは言えない。だが、なぜ異世界人はこのパネルが特別だと指摘した……)
背景は砂浜。モノクロではあるが快晴だと分かる。どことなくシュネスのリゾートビーチに見えるが、解像度がやや低く、断言はできない。
(シュネスで撮影された写真集は4冊……。モノクロのものは一冊。いや、低級の銀写精でモノクロに撮影し直した可能性はある。し、しかしこんなポーズはあったかどうか……)
メイドたちを睨む。彼女たちはどこからこの写真を持ってきたのか。
(……! まさか、異世界人の私物)
ありえぬ話ではない。ユーヤは難問作成のメモを渡したと言っていた。その中に己の知らない双王のピンナップが含まれていたなら。
そして満月王がもう少し冷静になれていたなら、ユーヤが持つピンナップなど問題に使うはずがないと思い至ったであろうか。
(ま、負けられぬ)
(私はこの世で最も双王を愛する者だ、異世界人などに……)
「ゆ、ユギ王女だ」
ごく僅かだが、ユギ第一王女の特徴が現れていると思われる。声とともに金属板を置いた。
「で、では、ユーヤ様、金属板を表に」
「解答は」
金属板を返せば、そこには赤い模様が。
メイド長がかっと目を開く。
「あ……」
本来あった絵の上から、赤い血文字が。親指の肉を噛みちぎって書かれた文字が。
「どちらでもない」
「なっ!?」
満月王がはっと気付いた様子になり、解答台から飛び出してパネルに駆け寄る。
「こ、これは、絵ではないか!」
極めて写実的だが、目を凝らせば間違いなく絵である。背景を含めてすべて鉛筆で描かれている。
「難問作成のために渡したマニュアルにはこう書いた。「二択でなくてもいい」とね。しかし絵を使うのはメイドさんたちの発想だ、素晴らしい問題だった。これこそは満月王の想定の外側。クイズの新しい可能性だ」
「こ、こんな問題は無効だ! 第一、この絵にも元になった写真があるかも知れぬではないか! そ、それがユギ王女だったら」
「往生際が悪いな満月王。これのどこがユギに見えるんだ。並べれば一目瞭然だが、双王とはそもそも耳の位置が違う、眼尻の形も違う」
「だっ……黙れ!!」
ぶわりと、朱のマントを跳ね除けて腕を振る。
「もはやクイズなどどうでもいい! 異世界人め、お前だけはこの城から出すわけには」
その瞬間、全員の動きが止まる。
ガラスの割れた音が響いたのだ。調度品の鎧が倒れたのか、がらがらと金属の鍋をぶちまけるような音も。
「なんだ……窓が」
「どうやら見つけたらしいな、この城を」
「!」
満月王の変化は急激だった。顔から血の気が引いて、紫に近いほど青ざめる。
「う、嘘だ、そんなことが」
がしゃん、がしゃんと、廊下に置かれた調度をすべて壊しながら進んでいるのか、壮絶な音が連続している。メイドたちも怯えているが、満月王ほどではない。
「城内を探しているな、かなり気が立っている」
丸っこい男の顔には滝のような汗。もはや純然たる油の塊にも見えるほど。油じみた汗が水たまりを作る。
「あ、ありえぬ。ありえぬのだ。あれはもういないはず。このような地の果て、我が術理の果てに」
「鼻をひくつかせて匂いを嗅いでいるぞ、絨毯を踏みつけて生き物の気配を探っている」
満月王は息をつまらせているのか上半身が大きく膨らむ。顎の下まで風船のように。
「きっと獲物を探しているんだろう。自分の留守に勝手な真似をしている不届き者を、その牙にかけて噛みしだいてやろうと」
「あ、ああ、ああ、あ」
しわがれた声が膨れた胴部で反響し、木管を吹くようなぼわぼわとした音になる。満月王の全身が膨らみ、マントが千切れて床に落ち、なおも膨れる。
「と、トリック、だ」
溺れるような顔で言う。
「そ、そうだ、この場にはお前のメイドがいない。きっと、あの女が調度を壊して、いる、だけ」
「確かにそう指示した」
え、と、城のメイド全員がユーヤを見る。満月王は膨れた体をすぐには戻せない。
「合図をしたら暴れて、物を壊して、犬の鳴き真似をして満月王を怖がらせてくれと指示した」
「み、みろ、やはり」
「分からないのか? 僕がいつ合図をした?」
「!?」
間髪を入れず、それは来る。
心臓を竦ませるような咆哮。ドアの向こうから。
満月王が何かを叫んだような気がして、マントを含めてすべての服が溶け崩れて。
ドアが勢いよく開かれ、隙間に体をねじ込み、飛び出してくる影が――。
※
「……!」
意識が背中から入ってくるような感覚。
目を覚ますと畳の上だった。カル・キの心にはしかし焦りや動揺がない、奇妙なほど清々しい目覚めの中で周囲を見る。
ユーヤもまた身を起こしたところだった。黒の着物に濃紺の羽織り、後ろに撫でつけた髪が少し乱れている。羽織をつけたままで昼寝をすることはないから、不意の眠りだったのか。
「ユーヤさま」
「雪山の城、満月の王、そんな夢を見てた?」
夢、という言葉で我に返る。肉体はほんの数分うたた寝をしていただけと告げている。
と、外からはクイズの声が聞こえてきた。司会者の声とまばらな拍手。セレノウの第二王女と、パルパシア第二王女の戦いはまだ続いているようだ。
「同じ夢を見ていた、ということでしょうか……」
「そうかもね」
わん、と吠え声。
見れば畳の上に犬が上がってきている。灰色の体毛を持つ大型犬。細長い胴体に突き出た口元。
その牙ののぞく口で蛙を咥えている。風船のように腹を膨らませ、全身から油を流す蝦蟇に似た蛙である。
「犬……? いや、この体つきは……」
「あ、月彦! そんなもの食べちゃダメですよ!」
丈の長い白装束に木彫りの面。ズシオウがやってくる。大型犬の背中を撫ででやると、月彦と呼ばれた犬はペっと蛙を吐き出し、ズシオウの足下に座り込んで頭を伏せた。
「ズシオウ、その犬は」
「はい、私の友達の月彦です。狼尾犬と言いまして狼の特徴を残しています。ヤオガミでも珍しい犬種なんですよ」
犬が狼の子孫である、という認識はこの世界にもあるようだ。
吐き出された蛙はよろよろと、手足を一本ずつ動かすような動きで逃げようとする。
月彦が吠える。
蛙は瞬間的にボールのように膨らみ、バウンドするように部屋を出ていった。
「珍しい、ツキガエルですね」
「ツキガエル?」
「はい、体が丸っこいからそう呼ばれます。でもあの子は大きかったですね、きっと長生きだったんですね」
「……長く生きたなら、術を身につけたり、人に懸想することもありえる、か」
ユーヤはさすがに疲れた様子で、縁側のほうに移動すると、後ろ手をついて空を見上げた。
すでに時刻は夜であり、満天の星の中央に満月が座している。
「ツキガエルは満月の夜に現れて月を食べるとも言われるんですよ。ちょうど今日は満月ですね」
「あながち嘘でもないかもね」
「?」
「ところでその月彦……この里に置いてるなら僕が預かってもいいかな。賢そうな犬だから、身を守ってくれそうだ」
「え? ええ、ユーヤさんなら安心ですけど」
「カル・キ、世話について習っておいてくれ、僕も勉強しておく」
「かしこまりました」
ユーヤは月彦の頭を撫でる。犬は面倒そうに立ち上がり、ぶるぶると頭を振った。
その黒い鼻に、白い影が。
目を凝らすとそれは蜉蝣のようだった。糸のように細い体に極薄の羽。あるかなしかの羽音を立てて、庭へと飛び立っていく。
「あ、それも珍しいですね、ユキカゲロウです。本来もっと寒い土地に住んでるんですけど」
「……そうか、どこか気品があって美しい虫だね。メイドさんのようだ」
「あ、そうですね、うまい喩えです」
カゲロウは何匹かいるようで、ひとかたまりの綿のように編隊を組み、ふわりと飛び上がって去っていく。ユーヤはもはやそれには関心を示さなかった。
クイズの声に耳を澄ます。司会者の声が朗々と届いている。試合はまだまだ続きそうだ。
「月になりたいと願うのは、悪いことだろうか」
そんなことを言う。
「ユーヤさん?」
「世界で唯一無二の人になりたい。誰もがそう願う。でもそんなことは簡単じゃない。超一流と呼ばれる人だけでも星の数ほどいるし、世界で初めての偉業を成し遂げても、すぐに同じことのできる人が現れる。欲をかかず、星屑の一つで満足すべきなんだろうか。あくまでも月を目指すというなら、きっと不幸になるだろう」
ズシオウはユーヤの言葉を受けて、しばし沈黙。
それは言葉の突飛さに振り回される顔ではなかった。受け止めて反復して、じっくりと消化しようとする様子だった。
「ユーヤさん。人生の多彩ぶりというのは、気が遠くなるほどですね」
「うん?」
「私は眼の前に広がる世界の広さ、そこに生きる人々の多さにくらくらしてきます。すべての人が異なる人生を生きているんです。価値観も違えば、人間関係も違う、それを思うと胸が一杯になるんです」
「……つまり?」
「成功に彩られた満月のような人生、それはきっと素晴らしいでしょう。でも星屑の一つになって、いつかは月になってやると意気込んだり、一つ間違っていたら自分は月だったかも知れないと物悲しく思う。そんな人生だって、なかなか捨てたものじゃないですよ。喜びも悲しみも、寄り集まってこその星空の美しさです」
「…………。うん、そうだね、その通りだ」
月になれなかった人がいる。
星にも届かなかった路傍の石もいる。
そのすべてが、愛おしい。
ユーヤを通り過ぎていった、無数の綺羅星たち。
幸福な時代や、苦難の時代、ありとあらゆる王たちの記憶。
そのすべて、人生を照らす光であると。
番外編はこれにて完結となります
本編でやれなかったネタを消化したくて書いたものですが、料理ネタなんかもやれて楽しかったです
本編の続きはまだ先になりそうなので、折を見てまた番外編やるかも知れません。ひたすら異世界のパン料理を食べまくるだけの外伝なんかも面白いかも……。




