第四十話
※
波の音が足首の高さにあると感じる。
それはパルパシアの双子の王、持って生まれた聴覚による音の立体化か。
ハイアードキールにて建造された鋼鉄艦の下層に降りれば、毛氈の敷かれた部屋がある。
周囲に革ベルトや樹脂製の緩衝板などがあることで察する。ここは本来は武器庫。大砲やその砲弾を格納する場所なのだろう。
「私は、実のところ迷ってもいる」
ナナビキが言う。部下への命令は二言三言であったが、動力を与えられた機械のように、すべての水夫がいっせいに動き始めている。
「クマザネに付き従うべきか、距離を置くべきかをな……。これはその吉凶を占う勝負となるだろう」
ナナビキは御前試合の騒動で蓄積された疲れをふうと吐き出し、腹の中で息を固める。
「ルールを説明しよう」
この勝負が大きな意味を持つのだと、あるいは大きな意味を与えるのだと自覚するかのように目を見開く。
「勝負はパネルクイズ。この名称が指し示すクイズはいくつかあるが、今回は25枚のパネルに分割された写真を用いるクイズだ」
大きめのテーブルが運び込まれる。水軍衆は忙しく立ち働いて用意を進めている。
「この机は縦横が150リズルミーキあり、25枚のパネルがちょうど正方形に収まるよう設計してある。25枚で一組となった写真を敷き詰め、何を写した写真かを当てるのだ」
「ふむ、なるほどのう。では人物か、風景か、あるいは料理などもあるか」
「城だ」
用意されるのは麻袋に入っているパネル。かなり数が多い、20袋ほどもある。
「写真は私の趣味でもあり、各国を回って撮影している。ヤオガミには八十八州に200あまりの城があるが、そのうち24の城が二十四名城と数えられている。これらの城は写真集なども出ており大陸でも知られている」
「うむ、我らも知っておる。フツクニとその支配州だけで18と、ややフツクニに偏りすぎておるがな」
「戦乱の残る土地には山城が多いからな。それはともかく、その二十四名城の写真を用いたクイズだ」
周囲にはカジキの骨、金銀の糸を織り込んだ布飾り、五彩の大皿に船の模型、古びた舵輪など、賑やかしの道具が並ぶ。
このように宝物で飾り立てる流儀はパルパシアのそれに近かった。双王に敬意を払ってのことか、あるいはパルパシア流のクイズ文化が豪族と相性が良いのか。水兵たちも綾織りの羽織を着て居並ぶ。
「して、相手は誰じゃ。ナナビキどのが戦うのか」
「この者が相手をする」
現れるのは濃緑色の裳裾。船内は窮屈なのか、のっそりと背骨を曲げた歩き方で現れる。
まだ若い女性のようだ、鼻の高い面で顔の上半分を隠している。
「ほう……」
双王はツチガマと面識はない。
だが一目みて、その気配に並々ならぬものを感じる。
「こやつ剣士じゃな、しかも途轍もなく強い」
「うむ……分かるか」
「目つきが違うのう。自信にみなぎっておる。王や豪族とすら対等にあろうとしておる」
苔色の裳裾の人物は、双王を見て唇の端を吊り上げた。
「ひ、ひ、寝入りばなを叩き起こされた時は苛つきもしたが、相手が双王とはのお。楽しゅうて震えがくるのお」
「ツチガマ、賭けているのはお前だ。お前は負ければ双王の配下となる」
「ああん? そりゃあ成立するかのお。ヤオガミのいち豪族とパルパシアの王、どちらに塒を置きたいかは明白じゃろおが」
「お前がわざと負ければな」
瞬間、ツチガマはするどくナナビキを見て。
ひと睨みしたあと、つまらなそうに鼻を鳴らす。
「……ち、ええわいの。勝てばええんじゃろおが」
「うむ……150億ほどかかっている。勝てばお前にも金子を分けよう」
「なんじゃ、まじめにやれば勝って当然と言いたげじゃな」
テーブルにつくのはユギ王女。ユゼもその背後に立つ。
「双王、そなたたちはヤオガミの人間ではない。この船には城の書籍などもあるから、少し暗記の時間を取っても良いが」
「必要ない、ヤオガミの二十四名城など一般教養じゃ」
ユギとツチガマ、互いに視線を絡ませる。
天賦の才に恵まれ、生涯の多くを勝利にて歩み、万能感を肥大させた怪物たち。
それが雌雄を決しようとしている。才気の角を突き合わせ、クイズの高みに登ろうと。
※
「勝負は七本先取。パネルはめくる順番がそれぞれ決まっておった」
急ごしらえの温泉にて、ユゼがパネルを返す仕草をする。
「まず空が開かれ、遠景の山などが開かれ、そして石垣、下層部分、最後に天守閣など特徴的な部分、という塩梅じゃ。水軍衆の若者がすばやくひっくり返していく」
「なるほど」
「我とユギは交代で答えておったが、確かにツチガマの早押しは凄まじかったのう。石垣の端が見えた瞬間に押しておった」
ユーヤは頷く。彼も一度それを見ている。
まさしく目にも止まらぬ速さ。ガラス瓶を切断する手刀、落とされるギロチンの刃、そんなものを連想する手業だった。
「彼女は強い……かつてはベニクギとロニの座を争った人物だ」
ツチガマは驚異的な記憶力を持つ人物である。
現代ならば画像記憶とか瞬間記憶とか呼ばれるが、ユーヤの知るそのような人々の中でも、突出して高い能力を持っていた。
石垣でも瓦でも、記憶を掘れば必ずどの城のものか思い出せる。そして見えてから押すまでの速度でツチガマに勝つことは不可能に近い。
一見すると、これは理論値に思える。
かつてはあまりの速さゆえ、不正を疑われたほどだ。
「ユーヤの世界にはあったかの? このようなクイズで早押しする技術が」
「それらしいものはいくつか……例えば地球押しと呼ばれる技術だ。パネルクイズが出題される時、大きな地図から出題される場所が点で示されることがあった。おおよその位置がわかれば出題されるものも予想がつく。そうやって押す。例えば国立公園を答える問題で、北海道の東なら釧路湿原、沖縄の西なら奄美群島国立公園、というように……」
だがユゼの話す勝負形式では使えない。ではどうやって理論値で押すツチガマを上回るのか。
「我はこう言うたのじゃ。王たるもの市井のものに負けることは有り得ぬ、我らの押しは必ずお主の先を行くとな。ツチガマはハッタリじゃと言うておったが、明らかに我らの気迫に押されておった」
「あのツチガマが……そ、それで、どんな技術で早押しを」
「うむ、それは――」
※
「く、くく……何じゃあ、やはりハッタリであったかのお」
「さあ、どうかのう」
五問目までを終わり。ツチガマの五連先取。
ぎしり、と椅子に体重を預けるユゼ。眼の前では新しいパネルが敷き詰められている。
「ユゼ、どうじゃ、このクイズは」
「なかなか良い写真ばかりじゃ。ナナビキ殿の撮影と聞いておるが、大したものじゃのう」
この二人の王。自信と傲慢が服を着て歩いているようなパルパシアの双王。その表情に何らの瑕疵はなく、万全の策を温めているように見える。
だがその時、ある言葉が、二人の背後に大文字で描かれるような感覚が。
――むろんのこと。早押しの技術など持ってはいない。
つまり二人は本当にハッタリしか述べていない。どうやってツチガマに勝つのか、何も思いついていない。
(なるほど、これがあやつの視点)
対するは圧倒的なまでのクイズ戦士、立ち向かうはほぼ初見のクイズ。
これが異世界に放り込まれた人間の視点かと感じる。それに近づいていることに高揚がある。
(我らならば必ず見いだせる、このクイズの攻略法を)
その自信だけは揺らがない。
人格の土台に全能感が根を張っている。それが双王である。
(そう、例えば……右から二番目、上から二番目のパネルが最初に空いた場合、右上スミのパネルに城が写っているはずはない)
最初はまず空白の部分から開かれる。何枚かめくれば、城の立ち姿はおおよそ分かる。
(三問目の茅西城などは典型じゃ。あの城はゆるやかに広がった石垣が特徴。その優美な曲線を表現するために、左上から斜め下にかけて城を収めるのが定石)
その要領で答えられそうなのは――。
ぴんぽん。
ボタンを押すのはユゼ。
開けられたパネルはまだ四枚、城は見えていない。
「何じゃあ……?」
「銀城、またの名を竿頭城」
正誤判定を預かる男が、ぐっと息を呑む。
「せ、正解です!」
どよめき、居並ぶ水軍衆が声を漏らす。
「なんじゃと、まだ城は見えておらんぞ、そがあなことが……」
「銀城は塔のように細長い形状をしておる。月に旗竿。月を右上に収め、左に城の全景をシルエットで収める構図、絵葉書でも定番の構図じゃ」
そして理解した。ナナビキが自ら撮影したというこの写真。城によって決まっているお定まりの構図をすべて守っている。
それは出題のためか。あるいは決まり切った定石を外れないことが良い写真とされる、銀写精愛好家の気質がナナビキにもあるのか。
「これで6問が終わりか。残りの出題候補は18城。いや、字馬城と市月城は大規模な改修中じゃから問題として不適当。同じく大盧城もじゃ。外様である北蛤州の城であり、雪景色に収めるという定番があるからのう」
「ぐっ……」
ツチガマが歯を食いしばる。
己が負けるはずがない。パネルクイズにおいては無敵と自負している自分が。
「それだけのことで……わしを出し抜けるほど稼げるかのお」
「無駄じゃ」
回転するように席を移り、次に座るのはユギ。
「すでに読めた。城の一部が表示されるまで平均して6、7枚、つまり5枚までは背景のパネルのみ開くことになる。我ら双王が5枚も開いて当てられぬわけがない、いや……」
鋭角なアイラインを引いた双王の目が、異国の剣士を射抜く。
「我らならば、最初の一枚ですら当てられる」
「なんじゃと、そがあなことが……」
「それがパネルクイズの本当の理論値じゃ。最初の一枚が開いて以降は解答不可能なタイミングは存在せぬ。知の極限とはお主の想像よりもずっと先にある。さあ! 次の問題を!」
水軍衆の若い男は、双王にあてられたかのように声を張る。
「で、では参ります! 続いて第七問――」
※
「確信押しだ」
ユーヤが言う。彼の顔もまた赤くなっていた。湯に当てられたものか、興奮を示しているのか。
「ユーヤの世界にもあるのかの」
「ある。名画の一部から全体へとズームアウトしていくような問題、クイズ王と呼ばれる人々は画面が表示された瞬間に押した。それが背景の森の一部でも、あるいは何も写っていない黒塗りの空間でも当ててきた。自分なら必ず答えられると信じて押す。だから確信押しと言うんだ」
背中越しのユーヤの声は好奇心に色づいていた。この世界のクイズ王はどのような技術を見出すのか、それが自分の想像を超えてくれないかと昂る声。ユゼも話に熱を込める。
「我らは攻めた押しに切り替えた。我らならば必ず答えが見いだせるとの確信を持って押したのじゃ」
※
双王の手がボタンを押し込む。
たとえ、押した瞬間まで根拠が無くても押す。数秒の思考にこの世のすべてがあるような感覚。思考が高速化し、過去の記憶が噴き上がり、わずかな根拠を見出す。
「晃中石松城じゃ!」
「正解です!」
割れんばかりの拍手が飛ぶ。今の押しはパネル三枚、背後の夜空と、そこに浮かぶ月が見えている程度。
「見事だ……双王よ、根拠を聞いても?」
「『月に石松』じゃ。灰色の葉をつける晃予州の石松、その葉がわずかに見えたのじゃ」
「さらに言えば夜景がとみに美しいとされる城は限られておる。出題者としては晃中石松城は外さんじゃろうな」
「うむ……確かにそうだ。これは空気の澄み渡り月の冴え渡る夜。私が撮影した中でも自慢の写真……」
「くっ……まだじゃ!」
ツチガマが呻くような声を上げる。
「これで6対6! 最終問題を取ればわしの勝ちよ!」
「よかろう。ツチガマとやら、全力で迎え撃ってやろうぞ!」
最後に着座するのは蒼のユギ、前傾に構え、ボタンに神経を集中する。
ツチガマもまた構える。事ここに至っては城が見えてからでは遅い。
攻めて押さなくては。わずかでも根拠があると思えるパネルを見出さねばと、瞳孔を開くほど眼に力を込める。
(残りは12城。じゃが先刻の指摘のとおり字馬城、市月城、大盧城の3つは出んじゃろう)
(残りの城に外様はない……フツクニの周辺に固まっておる城ばかり……)
(……)
はた、と、なにかに気付く。
(フツクニの周辺……つまり、そのほとんどに白妙山を映すのが定番……)
その山は標高5518メーキ。ヤオガミ最高峰にして、山脈に依存しない独立峰である。
太古より無数の噴火を繰り返し、大きく育った山体はフツクニとその周辺の多くの場所から見られる。
(……なるほどのお)




