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第九十話 意外と女性は気づいている

 小屋から一歩足を踏み出すと、(むせ)かえる様な熱気が立ち込めていた。


 そこは緑の濃い、シダ植物に覆われた密林。


 ギャォア! ギャォア! と、聞いたことも無い様な獣の声が遠くの方から響いてくる。


 小屋の中も暑いとは思っていたが、陽の届かない分、随分マシだったらしい。


 瞬時に汗が噴き出して、頬を伝い、顎から滴り落ちる。


「レオが申し上げます。今はまだ明るいですが、すぐに陽が落ちます。急いで夕食の準備をしましょう。真っ暗になってしまいますので」


 レオはそう言うと、掘立小屋のすぐ脇に流れる川の方へと、すたすたと下りていく。


 それは、それほど深くはない穏やかな清流。


 彼女は澄んだ水の中へと、躊躇なく足を踏み入れると、ヴァンの方へと振り返った。


「レオが申し上げます。アナタ、見ていてください。と」


 彼女は、静かに眼を(つぶ)る。


 そして、彼女が眼を見開いた瞬間、バチッという弾ける様な音がして水面に紫電が走った。


 途端に何匹もの魚が白い腹を見せて、ぷかりと浮かび上がってくる。


「レオが申し上げます。うふふ、今日も大漁です。流される前に拾ってしまいましょう。手伝ってもらえますか? アナタ」


「あ、は、はい!」


「そこの青い魚とエビは食べられます。赤いのは拾わなくても結構です」


「青い魚って……なんかこれ、あ、足生えてるんですけど!?」


「大丈夫です。足が生えていること以外は、普通の魚です。赤い方は毒があるので食べられません。実際、レオは三日ほど悶絶しました」


 その一言で、ヴァンは思わず蒼ざめる。


 生きる為には、食べなくてはならない。


 食べられるかどうかは、食べてみなくては分からない。


 実際そうやって生きてきたのだと思うと、レオがここで生きてきた千日という日々が、あらためて途方もない事の様に思えた。



 ◆◆◆



雷剣(サンダーブレイド)!」


 レオが宙に手を差し伸べると、空から落ちてきた雷が、彼女の手の中に収まって剣を形作る。


 彼女はそれをナイフぐらいのサイズまで出力を落として、掘立小屋の脇、平らな岩の上に広げておいた魚の鱗を落とし始めた。


 ヴァンは岩の上に腰を下ろして、彼女の白い素肌の背中をぼんやりと眺めながら、溜息を吐く。


 もし帰れても間に合わない。いっその事、そう思えれば諦めもつくのだろうが、ここの時間の流れは異常に遅い。


 レオの話の通りであれば、数日中に戻る事が出来さえすれば、まだ十分に、エステル達が生きている可能性があるのだ。


「レオが申し上げます。アナタぁ、もうすぐ出来ますから、待っていてください」


 なぜか、少し(はしゃ)いだ様子で、レオがヴァンの方へと振り返る。


 彼女の足元の地面には、木の枝が積み上げられている。

 

 その上に、空から稲妻が降って来ると、あっさりと火がついた。


 魚の口から尻尾までを木の枝で貫いて、焚き火の周りに立てている彼女を眺めながら、ヴァンはぼんやりと『雷属性って便利だな』、そう思った。


 先ほどから、レオはヴァンの事を『アナタ』と呼んでいる。


 この呼び方には、言いたい事もあるが、まあ仕方がない。


 この呼び名になったのも、ヴァンが名を聞かれた時に、一瞬困った顔をしてしまったからだ。


 もしかしたら、ヴァンの名を聞けば、敵同士であった事に思い当たってしまうかもしれない。そう思ったのだ。


 そしてレオは、ヴァンが口籠るのを見て、


「レオが申し上げます。分かりました。ここには二人っきりですし、名前なんて特に必要ありません。レオはアナタと呼びますので、アナタはレオを、オマエと呼んでください」


「いや……レオさんは、『レオさん』で良くありませんか?」


「様式美です」


「はい?」


「いやなのですか?」


「いや……というわけではありませんけど……」


 レオは口ごもるヴァンを、聞き分けの無い子供を見る様な目で眺めて言った。


「レオが申し上げます。はぁ……仕方がありません。じゃあレオの事は呼び捨てにしてください。それで納得することにします。不本意ですが」


 そして以降、彼女はヴァンのことを、ちょっと鼻にかかったような発音で、アナタと呼ぶようになった。


 風向きと火加減を見ながら、魚の位置を変えているレオを眺めて、ヴァンは声を掛けた。


「あの……レオさん」


「レオは申し上げます。レオは、レオサンなどという名ではありません」


「いや、でもレオさんはレオさんですし……」


 ヴァンがそう言いかけると、レオはぷくっと頬を膨らませて、プイとそっぽを向く。


 年上の女性だが、拗ねたようなその態度は、なぜかとても可愛らしかった。


 ヴァンは、思わず苦笑しながら言い直す。


「じゃ、じゃあ……レオ」


「レオは申し上げます。なんです? ア・ナ・タ」


 途端に機嫌を直して振り返るレオ。


 その変わり身の早さにヴァンは、笑顔のまま頬を引き攣らせた。


「レオは、どうやってこちら側に来たんですか?」


「レオが申し上げます。魔剣系統の魔女……ビッチ女ですが……それと戦った時に、その女の魔剣に喰われたのです。そして、喰われた先が、こちらに繋がっていたのです」


 確かにあの後、クルスの系統は『魔剣』だとは聞いたが、喰われるという状況が想像できずに、ヴァンは思わず首を捻った。


「レオさんの落ちた辺りから、帰れるようなところはありませんでしたか?」


「レオが申し上げます。しばらくは魔剣が口を開けていましたが、すぐに閉じてしまいました。それに……」


「それに?」


 レオは一瞬口籠ると、立ち上がって、くるりと周囲を見回す。


「レオが申し上げます。アナタ、ここは煉獄とは思えないでしょう?」


 ヴァンは、突然話が変わったことに、戸惑いながら頷く。


「はい……見たことない植物ばかりですけど、普通の森ですよね」


「レオはこの森を見つけた時には、神に感謝しました」


「感謝? 普通の森ですよ?」


「普通の森だからです。レオが申し上げます。レオが落ちたのはここよりも、ずっと北にある山の上でした。そこから無数の化け物に追い回され、ひたすら戦い、逃げる毎日です。一年ほど経って疲弊しきっていたレオは、ある日、この森を見つけたのです。驚きました。この森には、魔物は近寄ってこないのですから」


「じゃあ、この森の外は……」


 ヴァンの戸惑いの声に、レオはこくりと頷く。


「レオが申し上げます。この森を一歩出れば、数多(あまた)の化け物が闊歩する荒野。まさに地獄そのものです。魔女である私ですら、運に助けられて、どうにか生き延びた様なものです。それを、か弱い男の身であるアナタが、生き延びられる筈がありません」


 レオはそう言って、ヴァンをじっと見つめた。



 ◆◆◆



 岩塩だけのシンプルな味付けだったが、食事は意外にも、とても美味しかった。


 食事が終わるころには、陽も落ちきって、焚火を消せば、星明りだけの美しい景色が空に広がる。


 小屋の中に戻ると、レオが突然、ヴァンの上着の裾を引っ張った。


「レオが申し上げます。アナタに一つ、お願いがあるのですが……」


「な、なんです?」


「その……シャツを私にもらえませんか?」


「シャツ? い、いいですけど……」


「レオが申し上げます。実は、今、身に着けているのは元はメイド服だったものなのですが、逃げまどううちに、ボロボロになってしまって、この森についてからは、屋根の隙間を埋めるのに使っていたのです」


 ヴァンは思わず、まじまじと彼女の胸元の布を眺める。


 隙間から漏れてくる月明かり、星明りだけの薄闇の中、メイド服だと言われれば、なんとなく、その切れ端の様にも思えてくる。


「アナタが来るまでは、一人だったので……ずっと一人で生活してたので、何も着る必要が無かったんですけど、アナタを見つけた後、アナタが寝ている間に、屋根の隙間から引っ張り出して身に着けたんです。ですが、やはり……布地が少なくて……恥ずかしいんです。時々アナタが、私の胸元をじっと見たりしますし」


 男性は、すぐに女性の胸に目をやってしまう。


 そして、意外と女性は気づいているものなのだ。


「ど、どうぞ! 使ってください。見てませんよ! 僕、本当にそんなに見てませんから!」


 ヴァンは慌ててシャツを脱ぐと、レオへと手渡す。


 レオはくすりと微笑むと、それを手に取り、おもむろに胸元の布を外し始めた。


 薄闇の中に一瞬、真っ白な彼女の膨らみが浮かび上がって、ヴァンは思わずごくりと喉を鳴らす。


「レオが申し上げます。……えっち。向こうを向いてください」


「ご、ごめんなさい」


 ヴァンが慌てて背を向けると、背後でレオのくすくすという笑い声がした。


「レオが申し上げます。もう、こっちを向いても大丈夫です」


 振り向けば、暗闇の中に、ヴァンのシャツを纏ったレオの姿が浮かび上がる。


 はっきり言って……全然大丈夫じゃなかった。


 考えてみれば、彼女が今纏っているのは薄いシャツ一枚。


 その下には、何も履いていないのだ。


 シャツの白い裾から伸びる白く長い脚。


 際どいところは隠れてはいるものの、脚は剥き出し。豊かな胸の上にぽっちりと、突起が浮かび上がっているのが分かる。


 ヴァンは盛大に狼狽えながら、慌てて顔を背けた。


「あ、あの! レ、レオさん! さ、さ、さっきの布の上に、そのシャツを着ていただいたほ、方が」


 しかし、レオからは返事は返ってこない。


 ヴァンが恐る恐る振り返ると鼻先に、レオの顔があった。


「レオが申し上げます。良いんです。我慢する必要などありません。ここにはレオとアナタしかいないのですから。レオたちは二人で身を寄せ合って、生きていかなくてはならないのです」


「ちょ、ちょっと待って、レオさん待ってください」


「レオが申し上げます。なんど言えばお分かりいただけるのですか、レオの事は呼び捨てにしてくださいと申し上げています」


「レ、レオ、違うんです! 僕には恋人がい、いるんです! 結婚を約束した人がいるんです!」


 レオは一瞬驚いた様な顔をしたが、直ぐにニヤッと笑った。


「レオが申し上げます。お仕えしてきた方のご伴侶様から、『男は同時に何人でも女を愛せるもの』そう伺っております。実際ご伴侶様は、しょっちゅう、そこら中に愛人を(こしら)えておられましたから」


 そう言うと、レオはぺろりと唇を舐めて、ヴァンを寝藁の上へと押し倒した。

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