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第五十六話 カントの戦い その3

 青ざめた顔のヴァンが廊下に飛び出すと、扉の前にシュゼットの姿があった。


「シュゼットさん! ミ、ミーロさんが!」


 ヴァンの肩越しに部屋の奥を覗き見て、シュゼットが顔を歪める。


(ラパン)()か……」


 ――も?


 我に返って見回すと廊下には、第十三小隊(トレーズ)の皆の姿があった。


 誰もが沈んだ表情、唇を噛みしめて(うつむ)いている。


 奥の方には、座り込んでボロボロと泣き崩れているベベットを、痛ましげに抱きしめるロズリーヌの姿が見えた。


「ノエルも(ラパン)と同じ状況だ。一刻を争う。ヴァン、(ラパン)をノエルの隣のベッドに運んでくれ。状況がわからん。血には絶対触れるな!」


「わ、わかりました!」


「お手伝いします」


 必死の形相で頷くと、ヴァンは部屋の中に取って返し、その後にアネモネが続く。


「……ヴァン准尉……怖いであります。……寒いであります」


 どこを見ているのか分からない(にご)った眼で、うわ言の様に呟くミーロの姿に、アネモネは思わず息を呑み、ヴァンは思わず唇を噛みしめる。


「だ、大丈夫です。ミーロさん、い、今からシュゼットさんがなんとかしてくれますから……」


 二人でミーロをシーツで(くる)む様にして運び、ノエルの部屋の空いている方のベッドに横たえると、隣のベッドでぐったりと横たわっていたノエルが「あはは……」と弱弱しく笑った。


 カンテラの薄明りの下でもわかるほどの土気色の肌、濁り切った瞳、髪の色が明るい所為(せい)で、その姿は一層病的に見えた。


 廊下から第十三小隊(トレーズ)の面々が、部屋の中を覗き込んでいる。


 シュゼットは部屋の中に入ってくると、ベッドの脇に立ち尽くしていたヴァンを押しのけて、ミーロとノエルの姿を見据えた。


「……こいつらは、もう助からん」


「そんな!」


「このままではな……。ヴァン、少し下がっていろ」


 シュゼットはそう言うと、二つのベッドの間に立って、ミーロとノエル、二人に向かって両手を(かざ)した。


「対象は人物、第五階梯! 『時の楔(クロッカウェッジ)』発動!」


 それは、時間に偽物の一時間を挿入する魔法。


 シュゼットは扉の方へと振り返ると、立ち尽くしている皆に向かって声を上げた。


「二人はもうすぐ死ぬ。それは止められん。だが、一時間以内に『時の楔(クロッカウェッジ)』を解除すれば、今現在の状態まで戻すことはできる。いいか! 一時間だ! それまでにこの二人に何が起こったのか、真相を突き止め、二人を救う手立てを探すぞ!」


 皆、一様に唇を噛みしめて頷いた。


 シュゼットの後について廊下に出ると、ヴァンは後ろ手に扉を閉じる。


 振り向いて、二人の姿を目にしたら、そのまま動けなくなってしまいそうな、そんな気がした。


「……これはたぶん、何らかの毒物の症状だと思いますわ」


 ベベットの肩を抱いたまま、ロズリーヌが声を上擦(うわず)らせる。その隣でエステルは、握った拳を震わせながら言った。


「つまりそれを仕組んだ者がいるということね。……許せない。中佐! とにかく今、宿にいる人間、全員の身柄を押さえましょう」


「うむ、ではクルスと私、エステルとロズリーヌの二手に分かれて、女将(おかみ)や宿泊客、全ての身柄を押さえる。並行してロズリーヌは鷹の目(ホークアイ)で、宿から出て行くものや周辺に潜んでいるものを洗い出せ! これは恐らく暗殺者の仕業だ。気を抜くな!」


「……わかりましたわ」


 ロズリーヌが立ち上がったその瞬間、ベベットが普段からは想像もできない勢いで駆け出して、アネモネに掴みかかった。


「この町に誘い込んだのは、オマエ! 怪しいと思ってた! オマエの所為(せい)でノエルが!」


 突然のことに、誰も止めることも出来ず、ベベットはそのまま力任せにアネモネの胸倉を掴んで振り回し、壁際に押し付ける。

 

 アネモネは、怒りを眼に宿して、ベベットを見据えた。


「言いがかりはやめてください! 確かにこの町に泊まろうと言ったのは私ですけど、こんなことになるなんて、分かるわけないじゃありませんか!」


「うるさい、オマエが暗殺者だ!」


 シュゼットは、つかつかと駆け寄ると、胸倉を掴むベベットの手を薙ぎ払って一喝する。


「頭を冷やせ、馬鹿者! こんなことをしている間にも時間はどんどん過ぎているのだ! 本当にノエルが死んでも良いのか!」


「ううッ……」


 その途端、ベベットは(うめ)きながら崩れ落ちると、声を上げて泣き始めた。


「……ベベット。今の貴様は役に立たん。大人しくここで二人を守っていろ」


 そして、シュゼットはヴァンの方へと向き直ると、怒りを(こら)える様に静かに口を開く。


「ヴァン。気を確かに持て。お前が私達の切り札なのだ」


「……切り札?」


「そうだ、ここには物語に出てくるような探偵もいなければ、全てを見通す様な賢者もおらん。マセマーの奴が此処にいれば見透かした様な事を言うのだろうが、それも(せん)の無いことだ。だが、お前には二人の身に何が起こったか、それを見ることが出来る魔法がある。そうだろう?」


「……ッ! 過去視(パストアイ)!」


「そうだ」


 シュゼットはヴァンの目を見据えて頷くと、背後に向かって声を上げた。


「おいロズリーヌ! 今すぐヴァンにキスしろ! 時間をかけるな、手早くだ」


「わ、わかりましたわ」


 流石に、こんな状況では、ロズリーヌも色気を振りまいたりしている余裕はない。


 言われるままに、ヴァンの唇へ自らの唇を押し当てると、すぐに離れた。


 途端に頭痛に顔を歪めるヴァン。


 だが、それに構うことなく、続いてシュゼットが唇を押し当てる。


「どうだ?」


「は……はい。過去視(パストアイ)の魔法になりました」


(さかのぼ)れるのは一時間だったな。今すぐ浴場へ行けば、風呂を上がって直ぐの姿が確認できる筈だ。そこから順を追って確認して、何とか手がかりを見つけてくれ。頼む!」


「か、必ず!」


「ザザ! アネモネ! 今のヴァンには戦闘はできない。お前たちはヴァンを守れ!」


「「了解!」」



  ◇◆



 泣き崩れるベベットをその場に置き去りにして、第十三小隊(トレーズ)の面々は、それぞれに行動を開始する。


「毒物でしたら、お風呂よりも夕食の方を疑うべきでは?」


「それはない。ノエルはああ見えて小食なんだ。ノエルの夕食の半分は、ベベットが食べたらしい」


「……なるほどです」


 ザザとアネモネの会話に耳を傾けながら、ヴァンは階段を駆け下りて、そのまま脱衣所に飛び込む。


 そこには、さっき来た時とは違って、湯気は漂っておらず、どこか寒々しい空気が漂っていた。


 脱衣所に入ると、ザザとアネモネは浴室の方へと歩み寄り、中を覗き込む。


「毒が入っていたのは、お湯ではないですね。もしそうなら、あの二人だけが毒に侵されたことに説明がつきません」


「ああ。だが、なぜあの二人なのだ? 本来、暗殺者が狙っているとすれば、ヴァン君のはずだ」


「私もそこが気になっていました。もしかしたら、ヴァン准尉を狙って失敗した結果、あの二人が被害を受けた。そう考えた方が辻褄は合うような気がします」


「ふむ」


 ザザは小さく頷くと、ヴァンの方を振り返って言った。


「ヴァン君、過去視(パストアイ)と言ったか、それで一時間前まで(さかのぼ)ってみる事ができるんだったな。一時間前なら我々はもう風呂から上がっているはずだ」


「わ、わかりました」


 答えることすらもどかしく感じながら、ヴァンは脱衣所の真ん中で「過去視(パストアイ)」を発動させた。



  ◇◆



「この出歯亀(でばがめ)が……どうだ、くやしいか、ほれほーれ」


「ちょ……やめろ!」


 脱衣所の床の上にベベットの『暗い部屋(ダークンドルーム)』に、首から下を囚われたクルスの姿があった。


 身体を拭くための白い木綿(コットン)の布で目隠しされたクルスの頭が、晒し首の様に床の上に置かれているという絵面は、あまりにもシュールだった。


 周りを見渡せば、皆風呂から上がったばかりらしい。


 ほとんどの面々が体に白い木綿(コットン)の布を身体に巻いている。


 だが、ヴァンはそこで思わず、息を呑んで赤面する。


 のぼせたのか、ベベットが素っ裸で、大の字になって床に横たわっているのが目に入ったのだ。


 思わず顔を背けると、そこにはノエルの胸があった。


 比較的高い身長の割には、小ぶりなふくらみ。


 下だけは水色のパンツを履いているものの、首から下げた水色の木綿(コットン)の布がゆれる度に、薄桃色の突起がちらちらと目に入ってくる。


 思わず目を背けかけて、ヴァンは踏みとどまる。


 観察しなくてはならないのは、ノエルとミーロなのだ。


 ミーロの方はさっさと服を着て、藤製の椅子に座り、しきりに髪を拭いている。


「あはは、おもしろそー! つーん、つーん」


 ノエルは、先ほどからしゃがみこんで、しきりにクルスの額を突いているシュゼットの隣に胡坐(あぐら)を掻いて座り込むと、一緒になって(つつ)き始めた。


「お、おい、やめろ!」


 しきりに(わめ)くクルス。


 だが、次第に(つつ)く側の人間が増えていく。


 目隠しされた状態で、ひたすら無言で(つっつ)き続けられては(たま)ったものではない。


 これは中々に陰湿だ。


 ヴァンはあらためて女という生き物の恐ろしさを見せつけられた様な気がして、おもわず、ごくりと喉を鳴らした。


 ちなみに最後までしつこくつついていたのは、背後にいるザザだったりするのだが、それは口に出さない。


 ともかく、この時点ではノエルとミーロには、何もおかしなところは見当たらない。


「何か……何かあるはず……」


 ヴァンは、顎に指を掛けて考え込む。


 そして浴槽の方を見てみようと、足を踏み出したその瞬間、床の上に一つ置かれた籠に足を引っかけて、中に積まれていた白い木綿(コットン)の布を、脱衣所の床にぶちまけた。

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