第二十二話 母の愛だと思うことにした。
ヴァンが隊に復帰した初日のこと。
朝礼を終えて、エステル、ヴァン、ザザ、ミーロのエステル班四人は、食堂へ向かって廊下を歩いていた。
「エステル准尉、自分には、ロズリーヌ准尉の様子がおかしかった様に思えたのでありますが……」
「思えたも何も、実際おかしかったでしょ。顔赤いし、ボーっとしてるし、眼も潤んでたし、熱があるわよ、あれ。多分、風邪でも引いたんじゃない?」
ミーロとエステルの会話を他所に、ザザが小声でヴァンに問いかける。
「で、君はもう暴走することは無いのだな」
「は……はい、そう聞いてます」
「なら良い。もう溶岩を浴びるのは懲り懲りだからな」
冗談とも本気ともつかない、その一言にヴァンはどう対処して良いのか分からず、蚊の鳴くような声で「すみません」と謝った。
やがて一行は食堂へとたどり着く。
既に多くの魔女達が朝食を採っているらしく、ざわざわという声が廊下にまで響いている。
そして、食堂にヴァンが足を踏み入れた途端、食堂にいた少女達のザワめきがより一層大きくなった。
「あれが……」
「あの子がそうなの?」
「うーん、ちょっと思ってたのと違うかな」
「そう? 結構良いと思うけど……」
と、値踏みする様な無数の視線に貫かれて、ヴァンは思わずエステルの背後に身を隠す。
「こら、もう! 人を盾にしないでよ。どうやったってアンタは目立つんだから、もっと堂々としてれば良いのよ」
「……堂々って……どうすれば、い、良いんです?」
「え? あー? 例えば胸を張って、ドーンとしてれば良いのよ」
「む、胸を張ってドーン?」
と、ヴァンが思わず首を傾げた途端、
「ねえねえお兄ちゃん、リル達と一緒にご飯たべよッ!」
と、ヴァンの左右の腕それぞれに、幼い雰囲気の女の子達がしがみついてきた。
明るい色の髪に左右対称のおさげ髪、それ以外には全く違いの判らない二人の幼女である。
「え? あ? え?」
もちろん、ヴァンがそんな突然の出来事に対処できる訳がない。
眼を白黒させて、盛大に戸惑った末に、助けを求めるような視線をエステルへと向ける。
エステルは深い溜め息をついた末に、
「リル中尉、ルル中尉、お戯れはそれぐらいで」
と、やけに丁寧な口調で、二人の幼女に声を掛けた。
「中尉でありますか?」
ミーロが思わず首を傾げると、ザザがミーロの耳元で囁く。
「あの二人はあんなナリだが、ラデロ少佐と同期なのだよ」
ミーロが思わず目を剥くと、ザザは小さく首をすくめた。
「お戯れって訳じゃないんだよね、エステルちゃん。リルはねぇ、本気でお兄ちゃんと仲良くなりたいのー」
「ルルもー!」
――お兄ちゃんって……アンタらの方がはるかに年上でしょうが。
思わず口から出そうになった言葉をぐっと飲みこんで、エステルは張り付いたような笑みを浮かべる。
「いや、でも中尉、我々はこれから、朝食を採りながらのミーティングを……」
ところが、その瞬間、既にテーブルについていた少女達の一人が大きな声を上げる。
「ああ! 中尉、抜け駆けずぅるーい!」
一人が声を上げれば、決壊した堤防みたいなものだ。
少女たちは一斉ヴァンに群がり始め、「ちょ、ちょっと!」「ま、待つであります!」と慌てるエステルとミーロは、ヴァンを取り囲む人垣から突き飛ばされて、尻もちをついた。
尚、ザザはいつの間にか距離をとって、我関せずと明後日の方を向いていた。
「痛たたッ、兎ちゃん、大丈夫?」
「だ、大丈夫でありますけど、ふへー……ヴァン軍曹、すごい人気でありますね」
「……誰のせいだと思ってんのよ」
エステルがミーロに、じとっとした目を向ける。
先日食堂でヴァンが大出世するとか大声で言ったのは、このうっかり兎である。
だがその時、
「何を騒いでいる貴様ら!」
突然、食堂に硬質な大声が響き渡り、きゃーきゃーと騒いでいた少女達は、思わず姿勢を正して、声のした方へと顔を向ける。
肩口で切りそろえた髪。
丸メガネの向こう側で、吊り上がる眦。
そこには少女達から『鬼畜眼鏡』と恐れられる副官――ラデロの姿があった。
「ヴァン軍曹は、まだ病み上がりだぞ! 無茶するな! この馬鹿者ども!」
ラデロがそう言って凄むと、少女達はそそくさと自分達の元いたテーブルへと帰っていく。
だが、そんな中、両手にしがみ付いた幼女二人だけは、未だに手を放す気配はなかった。
「固い事いわないでよぉ、ラデりん」
「言わないでよー、ラデりん」
「ラデりん言うなッ!」
上目遣いに訴えかける幼女達に、ラデロは思わず声を荒げる。
同期というのは事実なのだろう。
この二人の幼女にはラデロを恐れる様子は無い。
ラデロは歩み寄って、無理やり幼女達を払いのけると、「おにー!」「めがねー!」と不満を訴える二人を黙殺して、ヴァンに声を掛ける。
「ヴァン軍曹、大丈夫ですか?」
「は、はい……ラデロさん、た、助かりました」
「全く……この分では、食事も別に用意した方が良さそうですね……」
――実際、猛獣の檻に小動物を放りこむようなものだ。
あらためてラデロは「しっ! しっ!」と犬でも追い払う様に、幼女二人を追い払うと、周囲を見回して再び、声を張り上げる。
「当面ヴァン軍曹への接触は第十三小隊の人間に限定する! いいな!」
不満気な声を上げた者をギロリと睨み付けた後、ラデロはエステルへと顔を向ける。
「エステル准尉、あとは頼んだぞ」
「了解しました。少佐殿」
◆◇
尚も言い寄ろうとする幼女二人を昏倒させたラデロが、それを引き摺って去って行った後は、比較的穏やかな時間が過ぎた。
少女達の視線を痛いほどに感じてはいたが、それでも遠巻きに眺めてくるだけで、声を掛けてくるものはいない。
どうやらラデロは、本当に怖がられているらしい。
食後のお茶を飲みながら、今日の訓練について、エステルから説明を受けていると、背後からつかつかと近寄ってくる足音がした。
何気なく振り返って、ヴァンは思いっきり顔を引き攣らせる。
金色の縦巻きロールの髪がゆらゆらと揺れている。
そこには、ノエルとベベットを引きつれたロズリーヌの姿があった。
エステルの警戒の視線を鼻先で笑ってあしらうと、ロズリーヌはヴァンの傍まで歩み寄り、――いきなり、膝の上に跨った。
「ちょっとォ!」といきり立つエステルには目もくれずに、ロズリーヌはヴァンにしなだれ掛かる。
「ヴァンさまァん」
「「「ヴァン様!?」」」
思わずエステルとミーロは驚愕の声を上げ、ヴァンはあわあわと盛大に宙を掻く。
ロズリーヌの柔らかな腿と尻の感触が腿を伝ってきて、ヴァンは頭が沸騰しそうになった。
「ちょ、ちょっと! ロズリーヌ! あんた何やってんのよ!」
顔を真っ赤にしたエステルが声を荒げると、ロズリーヌは嫣然と微笑む。
「何って、愛し合う同士なら、これぐらいは当然ですわよ」
「あ、愛し合うって!? ヴァン! アンタこれどうなってんのよ!」
いきなり怒鳴りつけられても、ヴァンにだって何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
ロズリーヌは「えっ!? えっ!?」と、戸惑ってばかりのヴァンの頬を両手で挟み込むと、無理やりヴァンに眼を合わせて問いかけた。
「ヴァン様、もう一度お聞きしますわよ。そこの小火女と私、どっちがお好きですの?」
あまりにも唐突な質問に、ヴァンは「あーうー」と唸った末に、蚊の鳴くような声で応えた。
「……え、選べません」
だが、それを聞いたロズリーヌは、表情をぱあっと明るくさせると、エステルの方へと向き直る。
「ほらッ、ほら! お聞きになりました? 素敵な愛の告白だと思いませんこと?」
「どこがよ……」
やっぱり熱が有るんじゃないかと訝しげな眼を向けるエステルに、ロズリーヌは憐れむ様な目を向ける。
「そうですの。あなたにはお分かりになりませんのね。ヴァン様のこの広大無辺の愛が……」
ロズリーヌはそう言って、満足そうにうんうんと頷いた。
ぽかんとした表情を浮かべたまま、エステルはノエルに問いかける。
「何、あれ? 頭でも打った?」
「あはは、ボクもよくわかんないんだけど、ロズリーヌが言うならそうなんじゃないの?」
……聞く相手を間違えた。
「ベベット、アレどうしちゃったのよ?」
「ん、拗らせた。たぶん恋」
「恋?」
「拗らせたでありますか?」
思わずエステルとミーロが、顔を見合わせる。
「ベベットさん、一つ間違えて居ますわよ。恋では無く愛! 求める物が恋、与える物が愛。ヴァン様とワタクシは与え合う関係ですわ」
『拗らせた』の方は否定しないんだ……と、ミーロがロズリーヌへと目を向けたその瞬間、そのまま目を見開いて硬直した。
唐突に身動きしなくなったミーロ。
その視線を追ってロズリーヌが背後に目を向けると、そこにはいつの間にやら、こめかみに極太の青筋を浮かばせたラデロの姿があった。
「ロオオオズウウリイイイイヌウウウッ! 貴様は中佐から、ヴァン軍曹に近づくなと言い渡されているでしょうがッ!!」
大声でそう叫ぶと、ラデロはがっしりとロズリーヌの縦巻きロールを掴み、そのまま引き摺っていく。
「ちょ! モゲる! モゲますわ! 少佐! ヴァン様ぁああ、試練ですわ。ワタクシこの試練を乗り越えてみせますわよ、ワタクシはあああぁぁぁぁ」
「モゲる! モゲる!」という声が徐々に小さくなっていくと、食堂には唖然とした空気だけが取り残された。
「ねえアンタ……何かあったの、アレと?」
「いや…あんまり覚えてないんですけど、……怒りません?
「怒らないから、言ってみなさいよ」
「実は……」
◆◇
LVー08『飛蝗』
鋼の木馬の様な、二輪のその車両に跨る、クルクル巻毛の天才少女。
王都へと帰る姪を見送りに出たシュゼットは、キョロキョロと辺りを見回した。
「ローレン殿は一緒には帰らないのか?」
「懲り懲りだってさ。まあ、帰りは急がなくていいから、他の車輌でゆっくり帰るんだと思うよ」
肩をすくめるマセマ―=ロウ。
シュゼットは急に真剣な表情になって、天才少女の目をじっと見つめる。
「昨日の話だが……。本当に出来るのだな」
「うん、まあロウの仮説が正しければね。でも良いことなんて何にもないよ? 時間が掛かるから、あの子が消えるまでに間に合うかどうか? それに王国に弓をひく事になるかもよ」
「弓を引くのはかまわん、覚悟の上だ。ただ……頼む。なんとか間に合わせてくれ」
叔母は姪に、深く頭を下げる。
姪は少し驚いた様な顔をした後、バツが悪そうに頭を掻いた。
「わっかんないなあ、なんでシュゼが、そこまでしなきゃなんないのさ」
「さあな、わからん。ただの哀れみかもしれんし、自己満足なのかもしれん。だが……考えても判らないから、私は『母の愛』なのだと思うことにした」
「母? シュゼが?」
「悪いか? 少なくとも私はアイツの名付け親だぞ」
天才少女は呆れる様に空を仰ぐ。
「バカな叔母を持つと苦労するよ、ホント」
そう言って笑うと、操作桿を捻って、天才少女は輝鉱動力を唸らせた。




