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20.「…………来るぞ」

 


 ユーグが苦戦しているということは、いくら戦いにうといリッカでも分かった。

 それも当然だ。象をナイフで仕留めようというぐらい、無謀な戦いである。

 グリフォンは象ほどの巨体ではないが、牛や馬などより遥かに大きい。そしてその大きさに見合わぬ速さで動き、時には翼を羽ばたかせて浮き上がっては中空から攻撃を仕掛けてくる。

 ユーグは剣技を尽くして、上手く攻撃をいなしているが、防戦に手一杯の様子だ。

 騎士とグリフォンの戦いという、現実味のまったくない戦いを直視して、リッカは呆然としていた。

 逃げろ、と言われたことすら忘れて、ただ戦いに見入るしかなかった。

 そんなリッカを第三者が抱え上げ、叱咤する。


「ぼさっとしてないで、ここから離れるんだ!」


 ヴァネッサだった。北方の民族の血を引いているから大柄で力持ちなのだ、と聞いてはいたがリッカは驚愕した。人ひとり軽々と持ち上げすぎじゃなかろうか、と。

 いわゆるタワラかつぎに抱え直され、リッカは戦闘現場から離脱した。修羅場慣れしているせいか、ルイはしっかりした足取りでついてくる。腰が抜けてしまったのはリッカだけらしかった。

 屋敷の中に運び込まれ、厨房の椅子に下ろされてようやく、リッカに現実感が戻ってくる。顔見知りの料理人たちが、なんだなんだ、と不思議そうな顔をしているのが見えた。


「アンタ、走って騎士団を呼びにお行き! 裏庭に化け物が出たよ! 浮かれ頭の赤騎士か、色ボケの桃騎士か、どっちかは必ず詰め所にいるはずだ!」


 足の速そうな小僧にヴァネッサが言いつけ、男たちに緊張が走る。フライパンや包丁を片手に屈強そうな料理人が外に飛び出そうとするが、ヴァネッサは止めた。


「およし。アンタらの手に負える相手じゃないよ。戦闘の玄人じゃなきゃ犬死するのがオチさ」

「けどいったい誰が、化け物の相手をしてるんで?」

「白騎士殿だ。大丈夫。もちこたえてくれるはずさ。シモンとドニは店の子らに伝達! 着の身着のままでいいから広間に降りてくるよう言っとくれ」


 きびきびと大人数に指示を出すヴァネッサの声が、リッカにはひどく遠くに聞こえた。

 ユーグは逃げろ、と言った。離れていろ、でも、隠れていろ、でもなく逃げろと。

 王立薔薇園であったことを思い出す。本当にあれはただの盗賊だったのか、という疑念をリッカは抱いていた。ただ誰もが自分に隠すから、知るべきでないことなのだと、詮索しない方が良いと自分に言い聞かせていた。


(……でも、ここ最近のことは本当に異常だ……)


 その最たるものは鳥頭獣身の化け物である。ここは確かに異世界だが魔法はない。モンスターもいない。今までリッカの認識ではそうだった。

 あの化け物。あんな超常的な暴力に、果たして生身の人間が立ち向かえるものだろうか。


(ユーグは……でも今、ひとりで……)


 確固たる事実をようやく理解し、リッカは全身に冷水を浴びせられたように感じた。

 

「リッカ」


 耳元で名を呼ばれる。

 はっ、として顔を上げると、怒ったように眉根をよせたルイがいた。


「ここは危ねぇから避難するってよ。歩けるか?」


 柄にもなく優しいセリフを吐くルイに、リッカは泣きそうに顔を歪めた。

 情けない、腹立たしい、自分が。

 保護者たろうとしていたのに、その子供の方がよほどしっかりしている。

 自分で自分の顔面にパンっと喝を入れ、リッカは立ち上がった。




******




「ヴァネッサ様のおかげで助かりましたね。リッカさんがいては危なかった」


 グリフォンから距離を取るために木々の間に飛び込み、体勢を整えていたユーグに、どこからともなく声が降ってきた。

 声はすれども姿は見えず。護衛についていたという名無しの影だろう。

 この非常時にも姿を見せないとは見上げた職業意識だ、とユーグは嘆息した。


「あいつをさらおうとした暗殺者がいたのか?」

「はい。グリフォンの急降下と同時でしたよ。なんとか退けましたが、数が多くて……。殺すか逃げられるかの二択です。生け捕りのせよとのご命令なんですけれどね」


 馬鹿丁寧な口調の名無しは、どうやらかなりイイ性格をしているようだ。緑騎士ミシェルが副業をしてるんじゃないかと、ユーグは疑いたくなった。

 溜息をつきながら、頭にまいていた布を適当な幅に裂く。爪がかすめたせいで血がにじんでいる左肩をその布でしばり、止血を施した。暗殺者なら失敗を悟ったなら撤退してくれるが、化け物となるとそうもいかない。


「まさか一対一であの化け物を相手にするはめになるとはな……」

「わたくし共も援護はしておりますが、暗器では歯が立たないようですね」

「投げ槍か火矢でも持ってきてくれ。前の戦ではそうした」


 ユーグはあの化け物と戦うのが初めてではない。11年前のブルシュティン公国奪回戦。かの公国を占拠したドゥルリアダ王国は化け物たちを兵器として使役していた。シェーヌ側は討伐部隊を組織し、化け物はほとんど倒しつくしたはずだが……。


「あのグリフォンには見覚えがある」


 苦々しげにユーグは吐き捨てた。


「……俺が仕留めそこなった奴に間違いない。左目に槍を当てたところで逃げられた」

「…………そうでしたか」


 今、戦っているグリフォンは隻眼である。左目は大きな傷にふさがれていた。鳥というのは人間と違って横に目がついているから、片目が見えないだけでかなりの視界を失うはずだ。しかしそもそも夜目がきかないはずなのに、暗闇でも平気で動いているところを見ると、視界の件もハンデにならないらしい。なにせ相手は化け物である。鳥基準でものを考えてはいけないということだ。


「…………来るぞ」


 庭木がばきべきと音を立てて、こちらに倒れこんでくる。グリフォンの突進で倒れたのだとすれば、ありがたくないほどの馬鹿力だ。

 ユーグは倒木をよけつつ繁みを走り抜けて剣を振るう。シェーヌ王国で代々、白騎士に叙された騎士が持つこの宝剣は、いくら凶悪無比な爪を受けても刃こぼれひとつしない。11年前のように槍を使った集団戦法ができない以上、この剣に命運を託して戦うのが唯一の道だ。

 何度目かわからない攻撃を剣で受け止め、ユーグは理にかなった足さばきで間合いを取る。

 長剣のリーチではグリフォンに一太刀浴びせるのは難しいが、ユーグにあせりはなかった。ここに化け物をひきつけ、もちこたえてさえいれば騎士団が駆けつけてくるはずだ。

 耳障りな奇声を発して、グリフォンが飛びかかってくる。爪ではなく、巨大な嘴を突きこんできた。ユーグは右前方に飛んで、グリフォンの左側面を薙ぎ切ろうとする。

 だが、獣特有の勘なのかグリフォンは進路をそらし、距離を保ったまま騎士と化け物はすれ違った。そうして再び向き合った瞬間……。


「そいやぁああああっ!」


 豪快な雄たけびと共に、赤っぽいものが場に乱入してきた。

 たなびくマントも赤ければ、四方に好き勝手にはねている髪もまた赤い。この世界に信号機はないが、止まれよ危険なシグナルレッドである。はっきりいって目が痛い。


「俺様見参! でりゃああっ!」


 突っ込んできた勢いのまま上段から剣を振り下ろす。

 大振りな剣筋をグリフォンは飛び退ってかわしたが、乱入者の異常さを警戒したのか、ずいぶんと距離を取った。ぴきゃああ、と甲高い鳴き声を出して威嚇している。


「……なあ、馬鹿正直に突っ込んでいく前に、死角から攻撃をしかけるとかいう選択肢はないのか? ロジェ」

「ない! 敵を見たら斬り込んでくのが俺のポリシーだ!」

 

 きっぱり言い切った赤騎士ロジェに、ユーグは頭痛を感じた。援軍に来てくれたことはありがたいし、たしかに強いことは強いのだが、この男の考えなしっぷりには目眩を禁じえない。

 隊長がこんな男でも、部下はちゃんと考えてくれているらしい。赤いマントをひるがえした一隊がグリフォンを半円に包囲するように展開した。


「よぉし、お前ら! そのまま囲いこんどけよ! あいつは俺が倒す!」


 アホっぽい発言だが、みなぎる闘志は並ではない。戦うのが楽しくて仕方ないと言わんばかりに鋭い犬歯をむきだして笑うさまは、敵兵に『紅い野獣』と恐れられるのも納得の迫力だ。

 だがユーグも赤騎士ロジェにばかりまかせておく気はない。気息を整えると、静かに剣をかまえなおした。

 多勢に囲まれ、さすがに不利を感じ取ったのだろうか。グリフォンはきゅぃいいいい、と一声鳴くと、巨大な翼を羽ばたかせて空へ昇っていく。



「あ! おい、ユーグ! あいつ逃げやがる!」

「……よせ。空中にいる奴に深追いするな」


 ロジェはダッシュしてグリフォンに斬りつけようとしていたが、逆に爪で蹴りつけられそうになって、慌てて身をかがめた。そんな下界の者どもを嘲笑うかのように、グリフォンはまた高く鳴くと、悠々と舞い上がり、一点の黒雲となる。暮れなずむ藍色の空に、不吉な影は恐ろしく似合っていた。


「とりあえずは引いたか……」


 鍔と鞘が奏でる凛冽な音を響かせ、ユーグは剣を納めた。


(リッカはどこだ。無事だとは思うが……)


 頭をもたげたのは不安である。名無しの影は常にリッカについているとはわかっているが、襲撃によって力が分散したのでは、守り切れない事態も起こるかもしれない。

 足早に屋敷へ向かうユーグに、後ろから太平楽な声がかかる。


「おめぇさんの恋人なら臨時詰め所にいるぜー!」


 ユーグは思わずこけそうになった。

 騎士の意地でなんとか踏みとどまり、わななく唇から声をしぼりだす。


「……なんで、お前が、それを、知っている?」


 おどろおどろしいとさえ形容できる口調での詰問だ。ユーグの深刻ぶりとは対照的に、ロジェはあっけらかんと答えた。


「なんで、って……。そりゃあの子、リッカちゃんが詰め所に駆け込んできてくれたからだよ。なんせオリヴィエの居場所、教えてくれたのあの子だしな。自分の身元をきちんと言って、経緯から説明してくれたから俺も変に疑わないで済んだし。肝すわってるよなー、あの子。屋敷のねぇさん方の避難誘導も手伝ってたぜ」


 血の気が引いていく音を、ユーグは確かに聞いた。

 非常事態である以上、人数に限りのある騎士団が無益な情報に踊らされるわけにはいかない。それは分かる。情報提供者は自分が何者で、どういういきさつでその情報を得たのかを明確に説明しなくてはならない、という理屈も分かる。


(だが……よりにもよって、こいつに全部バレたと? リッカの名も、顔も、今日芝居を見に行ったことも……?)


 からかわれる。

 それはもう壮絶にからかい倒される。

 その光景がくっきりと目に浮かんで、ユーグは軽く現実逃避したくなった。他人には笑いごとと映っても、彼にとっては正真正銘の災厄である。

 精神的ダメージでふらついたユーグに、ロジェは追い打ちの一言を放った。


「ああ、それからな。今頃はオリヴィエが詰め所で避難の指揮をしてると思うぜ」


 目の前が暗くなるのをユーグは感じた。




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