12.真夜中に考え事はつらつらと
薔薇は人間のようなところがあると、リッカは思う。
種から育てれば、親と同じ花を咲かすとは限らない。薔薇は自然界においても複雑に交雑が進んだ植物である。祖父母、曾祖父母、そのもっと前の世代から受け継いだ特徴が、ぱっと鮮やかに現れることがあるのだ。
『あんたのその、普段はぼうっとしてて物静かなくせに、妙なとこで猪突猛進で頑固な性格はアタシの父様ゆずりだよ。美雪はアタシに似てちゃきちゃきした子だったがね、その娘がこんな渋めの頑固親父ってぇ性格になるとは……いやはや遺伝ってのはよくわからんもんだね』
「隔世遺伝というやつですよ、おばあさま」
記憶の中の祖母に、そっと独り言をつむぐ。
星明かりの照らす夜の薔薇園に溶けて消えるだけの言葉だと、リッカもわかっている。ただこうして時たま、日本語で言葉を口にしないと全てを忘れ去っていく気がするのだ。
ことあるごとに何でも五七五に当てはめようとするのも、そう。
俳句を詠む時は品よく季語を生かし、自然の驚きや美を表現すべし、と祖母には教わったが、リッカはどうも冗談めかした言葉遊びしかできそうもない。古の俳人を心の師と仰いではいるが、季語を考えないことの方が多かった。
「まあ、この国の四季は日本のとはだいぶ違うけど」
まず、じめじめした梅雨がない。
シェーヌ王国で六の月といえば、薔薇と結婚の月である。
初夏の爽やかな気候に薔薇が咲き乱れ、女神聖誕祭に続きあちこちで結婚式が行われ、これでもかというほど華やぎに満ちている。
「『六月の花嫁』が縁起がいいってのは同じだけど。……って言っても日本のは西洋の輸入だしなぁ……。日本の六月って結婚式日和な晴天ってすごい少ないと思うけどなぁ。梅雨前線さんが毎年がんばってるおかげで」
とりとめもなく独り言をつぶやきながら、ランプを片手に夜の庭園を見まわる。傍目にはちょっとおかしい子に見えるかもしれないが、これもリッカなりのスタイルだ。並べられた数千個の鉢植え、『新種となり得るかもしれない』薔薇の苗たちの間をぽてぽてと歩いていく。
のんきな散歩に見えるが、違う。
その証拠に、初々しい若芽を食い荒らす不届き者を見つけた瞬間、その目がギラリと光った。
「補殺!」
まさに電光石火。
愛用の庭師手袋をはめたリッカの手は、目にもとまらぬ速さでふらちな芋虫をつかみ、死の泉(殺虫剤入りの水いれたバケツ)へと沈めていた。
「ふっ……たわいもない」
ちょっとカッコよく決めてみたリッカである。
種から大事に大事に育てた可愛い娘同然の薔薇を、食い荒らす虫などに情けは無用だ。種から育てた薔薇が親株とは少し異なった花を咲かすことはままあるが、ここにある苗たちは人工交配を行って得た種を使った『正真正銘の』品種改良の賜物。どんな薔薇が咲くのか楽しみでしょうがない期待のホープたちなのだ。
リッカは害虫対策に睡眠時間を削ることもいとわない。
なぜなら、たいがいの害虫は夜行性だからだ。
「特に性質の悪い害虫ほど、地道に補殺してくしか有効策がないし……」
そんなわけで、リッカは夜な夜な害虫ハンターとして徘徊している。
己自身もまた、悪い虫がつくことを心配されている一輪の花であることなど、少しも気づかずに。
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一通りの見回りを終えると、リッカは宿舎に戻った。
王立薔薇園で住み込みをして働く者たちの宿舎は、もとは離宮の使用人宿舎だった。華やかな館と比べれば飾り気はないが、そう見栄えの悪い建物でもない。リッカの目にはヨーロッパの田舎にあるしゃれたホテルのようにも見えるしっかりした煉瓦造りの建物だ。つる薔薇が無造作に壁をつたっているところも好ましかった。
今は真夜中である。
夕方の事件後、薔薇たちの無事を確認したところで体力の限界が来たのか、リッカはソファに倒れこむようにして眠りこんでしまった。目が覚めるともう月が昇っている時刻で、そこでようやく今回の事件がコソ泥の仕業ではないと知ったのだ。前にもあったように薔薇泥棒が見学者のふりをして忍び込んでいたとか、権高な貴族の夫人が薔薇泥棒をはたらこうとしたとか、そういうみみっちい類だとまではリッカも思ってはいなかったが、それでも驚いた。
だから、今もどうにも寝付けなくなってしまっている。いつもの見回りの時刻より遅い時間なのだが、ちっとも眠気が襲ってこない。
なにか温かいものでも飲もうか、と食堂に立ち寄ったリッカに朗らかな声がかけられた。
「やあ、夜更かしだねリッカちゃん! もしかして、なにかお悩みかい?」
「…………所長」
誰もいないと思っていたのに、当然の顔をしてくつろいでいるメイエ所長を発見してしまい、リッカとしてはなんとも決まりが悪かった。悪さを見とがめられた子供のような心境だ。
手招きに従って所長の向かいに腰を下ろすと、湯気の立つカップをどどんと勧められた。
「まあ、まずは飲みたまえ。じゃんじゃん飲みたまえ。ミルクだけどね! こういう時はふつうお酒なんだろうけど、リッカちゃんはお酒弱いからなあ」
「ありがとうございます。……そうですね、特に今お酒飲むと気分が悪くなると思うので、お気づかい痛み入ります。あ、これ蜂蜜入りですね」
「そうそう。そしてお供はこれだ!」
ずずい、と所長が押し出した皿には様々な焼き菓子が乗っていた。バターと蜂蜜がぜいたくに使われていることがわかる、こんがり狐色というより黄金色の菓子たちである。
「これは……」
「駄目だよリッカちゃん! 共用の戸棚になんかしまっちゃ。ここは甘味に餓えた獣どもの巣窟なんだから、朝日が昇る前に消失してしまうよ」
「一人で食べきれる量じゃないでしょう」
「それでも、だよ。……一個も食べずに忘れちゃうつもりだったのかい?」
気遣わしげな声にいたたまれなくなって、リッカは目を伏せた。普段はすっとぼけた解釈をするくせに、メイエ所長は時々、ひどく鋭い。ソファで目を覚ました時になぜか胸に抱えていた蜜蜂亭の菓子袋を、食堂の戸棚にしまった時の心境も、全て見透かされているような気がする。
なにから言葉にしたものか迷うリッカを、メイエ所長は急かすでもなく優しい目で見ていた。真夜中の食堂は羽のようにふんわりとした薄明かりで満たされている。
「……終わっちゃったんだなぁ、と思いまして」
ぽつり、とこぼれたリッカの言葉を、所長は静かに受け止めて、軽く首をかしげることで続きを促した。
「お見合いが、本当の意味で終わってしまったと思ったんです。叫ぶほど恥ずかしい誤解が解けたのは素直に嬉しいんですが……これでもう本当に会うこともないと思うと、挨拶ぐらいきちんとしたかったな、と。……薔薇のことで頭がいっぱいになって、駆けだした私が悪いんですが」
「リッカちゃんは、白騎士殿のことが好きなのかい?」
ごふぅ、とリッカはむせた。
あんまりと言えばあんまりにストレートな問いである。オブラートか八つ橋に包んでください、と訴えたくなったリッカだったが、どちらも説明が面倒なのでやめた。
「……ちょ……ちょっと、そこまでは私も飛躍しませんよ。だいたい昨日会ったばかりの人ですよ?」
「恋に時間は関係ないと我が輩は思うけどね。それにリッカちゃんの言ってた悲恋の戯曲だって、出会って数日間かそこらで結婚して心中しちゃったじゃないか」
「『ロミオとジュリエット』ですか? あれは……まぁそうですけど、それはお芝居だからで、文字どおり劇的なんですよ」
「一目惚れっていうのもありだと思うよ? 人間の勘はそう捨てたもんじゃないからね、運命の相手を嗅ぎ分けることぐらいできるかもしれない」
研究者の目で続けられて、リッカは困惑して口をつぐんだ。どことなく、所長の雰囲気が変化したように感じられたのだ。
「おっと、とと……ごめんごめん。我が輩の言い方がまずかったね。我が輩はただ、リッカちゃんが白騎士殿をどう思っているのかが知りたいだけなんだ」
「どうって……」
「んんー、とりあえず芋虫ぐらい嫌いなわけじゃないよね?」
「そりゃまあそうですよ。というか、薔薇を食い荒らす芋虫どもは常に嫌いなもの最下位付近をうろうろしてますから」
「じゃあ、カエルと白騎士殿ではどっちが好きだい?」
「また微妙な問いを……。別にカエルは嫌いじゃないんですが」
「どっちだい?」
「…………じゃあ白騎士殿で」
リッカの耳たぶがほんのり赤くなったのを見て、メイエ所長はいたずら気な光を目に宿した。
「では、トカゲと白騎士殿ならどっちが好き?」
「……後者です」
「ではでは、鳩と白騎士殿なら?」
「……後者です」
「ではではでは、君の飼い猫と白騎士殿なら?」
「……………………」
再び食堂に沈黙が落ちた。
リッカは自分の手を見つめて、真剣に黙り込んでいる。
「よし! 今のリッカちゃんの白騎士殿に対する好感度は『鳩以上飼い猫未満』ということで! どちらかと言えば好きかな、という認識だね!」
「待って下さい。比較対象が鳩からいきなりランクアップしすぎですよ。もうちょっとなにか挟みましょうよ。羊とか」
「え? 君って鳩より羊の方が好きなのかい?」
「はい。まあ、鳴き声とかが」
「じゃあ羊と白騎士殿では?」
「ええっと……後者で。って、そういう問題じゃないですよ!?」
「はっはっはっはー、照れない照れない! では『羊以上飼い猫未満』ぐらいには好きな白騎士殿と、これからも会ってみたいと思うかい?」
一瞬だけ視線をさまよわせた後、リッカはこくりとうなずいた。
「はい。……もう会うこともないと思うと、寂しいと思ったのは事実なので」
「ふふふふふ、それで十分さ。恋とかね、我が輩が先走り過ぎたよ」
「…………十代のころは、本当に恋愛をするどころじゃなかったので、正直こういうことをどう考えていいか……模索中ですね」
「うんうん、リッカちゃんのペースで進んでいけばいいんじゃないかな。というわけで、今、白騎士殿に会いに行ってくるかい?」
「…………はい?」
朗らかな笑顔でさらっと言われたセリフに、リッカは耳を疑った。繰り返すようだが今は真夜中である。人を訪ねるのに適した時間とはとても言えない。
「いや、言い忘れてたんだけどね。薔薇泥棒が団体さんだったことを重く見たお偉いさんがいてね、今夜から王立騎士団の騎士を派遣してくれることになったんだよ。それでね、とりあえず今夜の担当は白騎士殿の率いる白部隊隊長直属隊なんだなぁ。白騎士殿さえいれば一番さっと動ける隊らしいからね」
「ええっと……その、では今も王立薔薇園にいらっしゃるということでしょうか?」
「そうだね。臨時の配置だから明日以降はわからないけど、今夜中はいるそうだよ」
リッカはなんとも言えない気持ちになる。もう用事もないし、遠い立場の人だから二度と会うことはないんだろうなぁ、とセンチメンタルな気分になっていた自分はなんだったのかとツッコミを入れたい。
まさか、同じ敷地内にいるとは予想もしていなかったのだ。
思わず頭を抱えたリッカだったが、食堂にひょっこり現れた小さな人物が悩む暇を与えてくれなかった。
「ちっ、リッカてめぇこんなとこに隠れてんじゃねーよ。俺様が探しただろうが」
「……ルイ。なんでこの真夜中に女性用宿舎にいるの?」
現れた人影は小さい。加えて細い。
薄茶色の猫っ毛に、酸味ばかり強い青リンゴを思わせる黄緑の瞳。子供らしい甘さのない色の瞳をしている上に、やけに目つきが悪い。どこからどう見ても性格が悪そうな子供である。
まだ十一歳という年齢を考えても小さな部類に入る体格なのが、ほとんど唯一の可愛げと言っていい。ルイは庭師見習いの見習いぐらいの少年だ。親はすでになく、王立薔薇園に住み込みで働いているのだが、たいへんな悪たれで、隙あらば色街に行こうとする問題児である。この年で色街のおねーさま方に可愛がられているというから、ものすごく将来が心配だ。
リッカの問いに、ルイはそっぽを向いた。
「細けぇことぐだぐだ言ってんじゃねぇよ」
「いやいやいや、見過ごすべきでない問題だと思うよ。ここは女性用宿舎。君は男の子。特に夜間の出入りは禁止されてるって、知ってるよねー。知らないはずないよねー。何回も言ってるから」
「はっ! 俺だって今回は来たくて来たわけじゃねー。馬鹿リッカの顔なんざ見たくもないしな! ちっくしょう……今頃は極上女にちやほやされてるはずだったのによ……。目の前にいる女がお前と所長かよ。しけてるぜ」
「おいルイ坊。その言い草だと今夜もまた脱走計画を実行したりした? あんだけ夜は危ないって言ったのに、『色街に行くぜ、ひゃっはー』とか叫びつつ脱走劇かましたの?」
「うるせー」
ルイはずかずかと近寄ってきて、テーブルの上を見て「うげろ」と嫌そうな顔をした。子供のくせに甘い菓子が苦手なのである。生粋の辛党を自認してこの年齢で酒好きだというから、まったく始末に負えない。
本当に背が低いので、リッカが座っていてようやく目線の高さが同じになる。それをいいことに鼻先が触れそうなほど顔を近づけて、ルイは半眼でリッカをにらみつけた。
「……んなことより、てめぇに男がいたなんざ知らなかったなあ! しかも騎士様とは、恐れ入ったぜ」
「えーと、話がとことん通じ合ってない気がするけど……見合いのことかな?」
「見合いってなんだよ?」
互いに疑問符を浮かべたリッカとルイ少年はしばしにらみ合っていたが、十秒後ぐらいに第三者に目を向けた。ぴったり同じタイミングである。
二対の瞳に見つめられる形となったメイエ所長は、軽い調子で手を振った。
「はっはっは、ルイにお見合いのことなんて言うわけないじゃないか。荒れるってわかってるのに正直に伝えるほど、我が輩は誠実じゃないよ。傷心の少年をなぐさめるほど人格者でもないしね」
「荒れる?」
「っ! んなわけねぇだろ! だ、誰がそんなこと気にするか! 今だってな、こいつと男の仲を取り持とうとしてやってんだぜ!」
蛇を威嚇するマングースのように勇ましく怒鳴るルイを、なんでも面白がる傾向のある所長はニヤニヤ見つめている。豊満な胸のところで腕組みしたポーズが実に悪の組織の女ボスっぽい。
「へぇ? 本当に?」
「こ、こいつの男が、俺をとっ捕まえやがった上にパシリに使いやがって……。リッカ!てめぇのこと呼んでやがんだよ! 宿舎前の噴水にいるぜ、騎士様がな!」
所長の挑発にのって、一気に話したルイはぜーはーしている。ものすごく不本意そうな顔だ。こんなに不本意そうなのは好き嫌いすると身長が伸びないとリッカに言われて、野菜を食べ始めた時以来である。
対するリッカは目をぱちくりさせた。
「騎士様って……白騎士?」
「そうなんじゃねぇの!? なんっか全身、白っぽい野郎だよ! ……ったく『夜中に女性用宿舎に立ち入るわけにはいかない』だあ!? すかしやがって!」
「ああ……まあ普通そうだよね。ルイが全然気にしないのが問題なんだよ。……というか、頼んだ方も子供ならいいという発想をしたのか。駄目だというのに」
麻痺していた思考がツッコミ方面に働きだし、リッカはようやく気づいた。
「って……! 今、待たせてるってことかいな!?」
「だからそう言ってんだろ! 耳の中、腐ってんじゃねぇの!? ぐーず、どーじ、まぬけー」
「ぐぅ! ……よし、ルイ。このことについては明日じっくり話し合おうじゃないか。やっぱり抜け出そうとしてたってことも自白してくれたしね! 覚えてろよ!」
まるっきり雑魚キャラの捨てゼリフを残して、リッカは食堂を出ていった。
残された悪い大人と悪い子供はお互いの顔を見もせずに、それぞれの感想を述べる。悪い大人はイイ笑顔で、悪い子供は凶悪な不機嫌面で。
「いやはや……若いって良いねぇ」
「けっ! …………せいぜい短い春を楽しんでな、馬鹿リッカ」




