旅立ちの日
次の日の朝、ハルの魔術師ギルドには、確かに3年分の狩りの報酬が入っていた。それはハルが思うよりはるかに多い額だったが、ドレッドに言わせれば、それでも魔術師ではなく見習いとしての報酬であることを告げられた。
「成果を主張してもっと搾り取れるかもしれないが」
「いえ、卒業資格と新しい暮らしが始められるだけの資金ができたのだから、もういいです」
ハルはすっきりした顔でドレッドにそう答えた。そうしてさっそく旅の資金を下ろすと、ショウにお財布ごと借りたお金を返した。ショウはお財布からお金を抜き取ると、お財布だけ渡してくれた。
「お財布はプレゼント。深森は革細工が盛んだからね」
「ありがとう」
昨日とは違う気持ちでお財布を受け取りながら、ハルは下ろしたお金を入れなおし、ぎゅっと握りしめた。
それが終わったらもう後は深森に帰るだけだ。
「ライナスさん、何もかもありがとう」
「ハル、深森の人がしてくれたことですよ」
「いいえ、だれもが私のことを気にもかけなかった国で、ライナスさんだけが私をちゃんと見てくれた。おかげで、やり直すことができます」
そうしてライナスをまっすぐに見つめるハルには、もう怪我したばかりのころの面影はなかった。思わず手を伸ばしたライナスに、ハルはそっと抱きしめてもらった。
「気を付けて」
「はい」
そうして馬車に乗り込もうとした時、魔術院のほうから、制服のローブを来た若者が二人やってきた。一人はけがをしているようで、もう一人が肩を貸している。導師はそれを見て眉をひそめた。けがが治りきっていないだと。ばかな。
「テリー、フィーア。なんで……」
「昨日の若者か」
レオンとファルコはさりげなくハルとショウの横に立った。昨日の勢いでは今日もまた何かをやりかねない。すぐに立ち去ってもいいのだが、憂いを残したくなかった。
二人は馬車のそばまでやってくると、テリーの支えから手を離してフィーアが一歩前に出た。テリーの表情は厳しいけれど、昨日の激情は姿を消していた。
「ハル」
「フィーア」
お互い、初めて名前を呼びあった。
「卒業して、深森の養い親に引き取られるって聞いて、それで」
昨日一日で学院ではうわさが飛び交ったようだ。
「行ってしまう前に、一言謝りたくて」
「謝る?」
ハルは首をかしげた。テリーならわかる。昨日ひどいことを言われたもの。でも、フィーアが、なんで?
「あなたの役割は、若い魔術師のあこがれだったの」
「まさか」
あんな恐ろしくて、孤独な仕事が。
「誰よりも華やかに狩りの合図となる魔法を打ち上げる仕事。探さなくても集まってくる魔物を次々と倒す喜び。あなたがけがをしているのは知っていたけれど、ポーションをのめば治ること。そんな大切な仕事を、年少組に任せることに、魔力量に自信を持つ魔術師は誰もがいらだっていたわ」
成果を上げたい魔術師にしてみたら、喉から手が出るくらいほしい仕事だったという。
そんなことをいまさら言われても仕方がない。それにそんなことを最初から知っていたとしても、おそらくハルは断れるなら断っていた。
「そんなにいいものじゃなかった。魔物が集まってくるのがいつも恐ろしかった。けがをしてもポーションは支給されなかった。なにより、けがはほとんど味方の魔法だったのに、だれも助けてくれなかった」
ハルは淡々とフィーアに告げた。
「知らなかったの。華やかに魔力を打ち上げた時、大量に集まってくる魔物の恐ろしさを。魔力切れの怖さを。そして、私など見向きもせずに魔法を撃ってくる同僚のはずの魔術師も。けがをしても狩りが終わるまで放置されるということも。何もかも」
やはり何も変わらなかったのだ、ハルが怪我をしても。
「三本持っていたポーションをすべて飲みつくした後に怪我をして、治りきらなかったらすぐにお払い箱よ」
フィーアはさみしそうに笑った。
「あと一年でちゃんとした狩りに参加できるはずだったの。でももう後方支援だけ。悔しいけど、仕方がない、でもね」
フィーアはハルをしっかり見てこう言った。
「昨日幼馴染のこの馬鹿があなたに文句を言いに行ったって聞いて。情けなくて、テリーにも私にも腹が立って仕方なかった。ハル」
フィーアは泣き笑いのような顔をした。
「知ろうとしなくてごめんなさい。放っておいてごめんなさい。味方に捨てられることが、あんなに怖いということも。今更何もできないけど、ただ、見送りたかったの」
もう遅いのだ。共感も、同情も。それでもまた一つ明るい気持ちで湖沼を旅立つことができる。
ハルはただうなずいて、馬車へ乗り込もうとした。
「ちょっと待っててね」
代わりにショウが前に出ると、導師のほうを振り返った。導師はしっかりとうなずいた。
「フィーア、両手を出して」
「あなた、なに? 急に」
フィーアは戸惑い、テリーは慌てて、
「おい、昨日の仕返しなら俺にしろ」
と言った。ショウは冷たい目でテリーを見ると、テリーは思わず一歩下がった。
「この黄色い帯が見えないの? 治癒師が仕返しなんてするわけがないでしょ」
ショウの目が馬鹿なの? と言っていた。
「さ、フィーア」
「でも、」
「でもじゃない。フィーア」
小さな見習い治癒師の言葉はなぜだか重く、フィーアは恐る恐る手を出した。
「魔力を流すよ」
「え、ええ」
「……左の膝が少し影になってる。それで右側にも負担がかかっている。転んだのかな、左の肩の後ろに傷。さ、少し熱いかも」
「え? あ、熱い……」
「我慢して! 湖沼の人は本当に治癒を受けるのが苦手なんだから!」
それほど傷は多くない。ハルの時ほど苦労せずに癒すことができた。
「ポーションだけに頼ってはダメ。けがをしなくても、まめに教会に通ってチェックしてもらって」
「わ、わかったわ」
「フィーア、大丈夫か」
「え、ええ」
心配するテリーに、ファルコが近づいた。
「お前」
「な、なんだよ」
狩人にのしかかるように見降ろされると、害されることがないとわかっていても怖い。テリーは何とか言葉を絞り出した。そこにファルコがこう言った。
「俺のショウは治癒を失敗したりしない。わかったな」
「わ、わかった」
「お前」
ファルコは声をひそめた。
「俺の恋人が、って昨日言ってたな」
「だからなんだよ」
「幼馴染、だってよ」
「くっ」
テリーは今日一番のダメージを食らった。確かに、フィーアにとってテリーはまだ幼馴染の域を出ていないのだ。ファルコはふん、という顔をすると、もう振り返りもせずに馬車に乗り込んだ。俺のショウを突き飛ばしたやつ。許すわけがない。
そんな一幕もありながら、ハルを連れて深森の一行は旅立った。
「さ、私もちゃんと声を上げていくわ」
フィーアは昨日、街の人たちがハルの事件を聞きつけ、心配して様子を見に来てくれて初めて、いつの間にか自分が魔術院に染まって魔術師の目的をはき違えていたことにやっと気づいたのだ。街の人の役に立つ。そのことを忘れて自分の利益ばかり望んでいた。
「後方支援としてやり直しよ」
「フィーア」
すたすた歩くフィーアにテリーが声をかけた。
「何よ、はやく来なさいよ」
「足」
「あし?」
「歩けてる。普通に」
「……ほんとだ。さっきの小さな治癒師!」
振り返ればすでに馬車は路の角を曲がって見えなくなっていた。
「治癒師はどんな時でも無償で癒す。あんな小さい子でも治癒師の理念をわかっている。私も、魔術師として人のために頑張る! 行くわよ、テリー」
「あ、ああ」
二人は魔術院に向かった。テリーは立ち止まるともう一度後ろを振り向いた。俺はフィーアほどの覚悟はまだないけれど、せめて隣に立てるよう、頑張るしかないんだ。
「テリー!」
「わかった」
テリーは足早にフィーアのもとへ急いだ。もう誰かのせいにして、逃げないように。
さあ、明日でラストです!
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