導師の覚悟
次の使者で、魔物の動向がわかる。町の人たちがじりじりしながらも準備を進めていた時、その使者はやってきた。
やってきた使者は、すぐに教会に通され、町の重鎮の他に、導師とエドガー、そしてショウとハル、サイラスとリクも呼ばれた。みんなが集まっている昼の時間でちょうどよかったという感じだ。
「クロイワトカゲの群れはだいぶ小さくなったというのか」
使者の第一声を受けて、ガーシュの父親であるカナンの町長は安心したようにほっと溜息をついた。
「少なくとも、今生きている人たちが見たことのない規模の群れでしたが、さすがに平原に入ったあたりから動きが鈍り始め、そうなったところで、群れを刺激しない程度に狩人が少しずつ数を減らしていったようで、カナンの近くにも群れはたどり着くでしょうが、おそらくクロイワトカゲでは大きな被害は出ないでしょうということでした。時期はおよそ三日後」
使者は一気にそう言うと、すぐに言葉を継いだ。
「それが一つ目の知らせです。そしてもう一つ、悪い知らせが」
使者は深森一行のほうに体を向けた。
「アカバネザウルスが出ました。それも三頭」
ひゅっと息を吸い込んだのはおそらくエドガーだ。
深森の子どもたちが何度も何度も聞かされる話。
三〇年と少し前、町を救った三人の英雄の話。
家一軒と同じ大きさのアカバネザウルスが三頭、北の町を襲った。建物も壊され、狩人も次々やられる中、身を挺して町を守った三人。
ガイウス。レオン。ファルコ。
アカバネザウルスが出たら、丈夫な建物の中にお逃げ。できれば地下室がいい。そうして、強い狩人が退治してくれるのを待つんだ。
すべてが終わるまで、決して外に出てはいけないよ、と。
ショウは気が付いたら立ち上がっていた。
「離れられるなら、町から避難を。間に合わないようなら、なるべく頑丈な建物の中に閉じこもって。できれば地下室がいい。薬師はありったけのポーションを用意して、それを使ってください。時間との勝負だから」
「ショウ」
「ノールダムからここまで飛んできたのなら、きっと弱っているはず。狩人が間に合わなければ、止められるのは私たちだけ。剣を、剣を取ってきます」
「ショウ、落ち着け!」
導師の大きな声にショウはびくっとした。
「英雄の娘だからと言って、英雄の代わりに行動する必要はないんだ、ショウ」
「でも」
「この町にアカバネザウルスと戦える剣士は私だけだ。だがもちろん、私だって戦うなんて無謀なことはしない」
戦わない。導師のはっきりした言葉はようやくショウを落ち着かせた。
「もう少し詳しく話を聞こう。使者殿、続きを聞かせてくれ」
「はい。しかし、さすが英雄ファルコ殿の養い子。その判断の速さ、決断力には頭が下がります」
使者は本当にショウに頭を下げた。そして顔を上げると、すぐに話を再開した。
「今、北の町の狩人一行は、アカバネザウルスの動向だけを追いかけてくれています。だいぶ弱ってきたので、できればカナンの町にたどり着かないよう、どこかで仕留めておきたいとのことでした」
その場にほっとした空気が流れた。ショウも緊張が解けて、先ほどの自分を思い出し少し恥ずかしくなったほどだ。
「今回、ノールダムの町が早めの招集をかけてくれたおかげで、ノールダムに優秀な人たちが集まったらしいのです。普段は狩人だけなのだが、今年は魔術師も多く集まったとか。中でも、この間引退された魔術院の院長が来ていたおかげで、魔術師と狩人の連携で作戦を考えることができたとのこと」
動きはしなかったが、ハルが心の中で一歩引いたのをショウは感じた。ショウはハルの手を探して、ギュッと握りしめた。
「魔物が駆け抜けた草原は草も生えない荒野になり果てたが、狩人と魔術師のおかげで、途中の町や村にはほとんど被害が出ていないということです」
教会には今度こそほっとした空気が流れた。
そこにパンパンと町長が手を叩く音がした。
「だからといって、終わったわけではありませんぞ。すべてが終わったとわかるまで、今のまま警戒態勢を取り、各自、備蓄、ポーションの備えなど、ゆめゆめ怠りないように!」
了解の声がし、その日は解散となった。
しかし、導師の合図で、深森一行と、サイラスとリクはその場に残った。
「本来なら大人として、ここで私はショウやハルを安心させるべきなのだろう。だが、私には懸念があるのだ」
導師はゆったり座りながらも、そう話し始めた。
「私は三〇年と少し前、アカバネザウルスが出た時に、北の町にいた。当時から導師と呼ばれ、治癒の腕には自信を持っていたよ。今よりも若かったし、体力もあったしな」
導師はにやりとした。三〇年前と言ったら、今のガイウスと同じくらいの年だろうか。何かやんちゃなこともしていたに違いないという顔だ。
「アカバネザウルス自体は、数十年に一度、平原を除いた三つの領地のどこかに現れる。原因も何もわかってはいないが、確かに今回のように魔物が増える年に合わせて発生するような気がするな。うむ。これは後で考察してみねばなるまい。しまった、話がずれた」
導師は話している間に疑問を感じたようだが、頭を軽く振って話を元に戻した。
「三〇年前のアカバネザウルスは、北の森で発生したらしい。だが、発生したところが森の奥で、北の町に出てきたときには相当弱っていた。もしあそこが平原のように開けた土地で、町もなかったら、被害は出なかっただろうと思う」
ショウたちは固唾をのんで聞いた。導師の話は、おとぎ話のように聞かされた英雄譚とは違う物だった。
「北の森から北の町の手前まで降りてきた三頭のうち、空を飛んだものは一頭だけ。あとはもはや飛ぶ体力もなかった」
ショウが想像していたアカバネザウルスは、火こそ吹かないものの、勝手に空を飛び回って町を攻撃して回る飛竜だったから、この話には驚いた。
「しかし、想像してみるがいい。家一軒ほどの大きさの羽の生えたトカゲが、町の中で動き回ったらどうなる」
しっぽの一振りだけ、あるいは町の街路を進んでいくだけで、家々の壁は崩れてしまうだろう。
「狩人が何とか近寄って剣を当てようとしても、あいつらの羽が当たるだけで跳ね飛ばされてしまう。たったそれだけで骨を折ったものが何人もいて、ポーションも治癒師も追いつかぬほどだったよ」
そんな中で、どのようにファルコたちはアカバネザウルスを倒したのだろうか。
ショウの問いかけるような目に、導師は目元を緩めた。
「ショウ、見せてやりたかったよ。ファルコはな、アカバネザウルスの進む先を読んで、建物から屋根に上って、アカバネザウルスが近くに来るのを静かに待ったんだ。まだ二〇歳かそこらの若造がだぞ」
若造がと言っているが、ファルコのことを誇りに思っていることがその表情から伝わってくる。
「真下に来たときに、剣を下に向けてそのまま屋根から飛び降りた。首の根元に一刺しだよ。魔物は暴れるでもなく、そのまま絶命した」
「かっこいい……」
思わずつぶやいたショウに、導師は優しく微笑んだ。
「なんであれだけ北の町で女性に騒がれるかわかったか?」
「うん」
ファルコのことを、ただの稼げる若い狩人だから人気なんだと思っていたショウは反省した。
「あの、レオンはどんなふうに?」
ここは養い子として、ハルも聞いておかねばならないだろう。
「レオンは正面からだった。町の通りを壁を壊しながら進んでくるアカバネザウルスを、正面から突き通したんだ」
ハルは祈るように手を握り合わせて胸に当てた。かっこいいよりも、よく無事に済んだということを感謝する気持ちのほうが強いのだろう。
「残ったのは、空を飛ぶ一頭のみ。ガイウスは、あいつは、魔法も使える狩人を使ってアカバネザウルスを町の外におびき寄せた。そして、たった一人、剣を構えて」
導師の声が少し震えた。
「舞い降りるアカバネザウルスを下から貫いたんだ」
「つ、つまり家一軒分の重さを引き受けたということですか」
黙って聞いていたサイラスが、信じられないというように首を横に振った。
「剣で受け止めたということになる。もちろん、死ぬつもりなどなかっただろう。だが、どんなに避けてもその重さを受け止めるには、人は弱すぎるんだよ。すぐに治癒師総出で治療したが、砕けた膝だけはどうしても戻らなかった」
ひどすぎる損傷は、どんなにすぐに治療しても魂の記憶まで飛ばしてしまうことがある。もちろん、それで死ぬこともある。
「町は救われた。だが、狩人は何人か亡くなったんだ。ガイウスは命が助かっただけでも運がよかった」
その後ショウの治癒でガイウスはほぼよくなったが、ショウの治癒でも、体幹部の損傷は治せないのだ。治癒は万能ではない。
「思わず昔語りをしてしまったが、私が言いたかったのはそこではない。弱っていても、アカバネザウルスほどの大きさだと、何があるかわからないということなんだ」
「動いただけで、町を破壊する魔物、ですか」
「そうだ、エドガー。瀕死の状態でもどれだけ体力が残っているか予想もつかない。弱っているとはいえ、少なくとも今、ファルコたちが倒せていないのであれば、まだ飛ぶ力は残っているということだ。つまり」
導師の言いたいことは何か。
「最後の力を振り絞って、狩人より先行して来る可能性があるということだ」
それが最悪の想定。
狩人は常にそれを考えて行動しなければならないのだ。
「ショウ、さっき私は嘘をついたよ。すまなかったな」
「導師……」
「この町にいるただ一人の剣士として、私は町の外で魔物を待つ」
その場にやめろと言えるものは一人もいなかった。
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