いつもそばにショウがいる
明日2月5日、コミックス一巻発売です!
今日は本編の続きではなく発売記念ssです。カナンに来たばかりの頃のお話です。
金曜日には本編の続きを出します!
「見えてきたぞ。あれがファルコの育った家だ」
「俺の、育った家」
町を出て、麦畑を抜けてしばらく、サイラスとリクと共に馬に揺られていると、向こう側には緩やかな丘陵地帯があり、そのふもとには小さい農家が一軒、立っていた。
「あの三角屋根のさ、真ん中にある窓のところが俺の部屋なんだ」
リクが嬉しそうに説明してくれる。
「そうか」
ファルコにとっては、家は寝るところであり、よいも悪いもない。寒くはなく、まあ清潔であれば言うこともないというくらいである。
自分に父親が確かにいたということは嬉しい気がするが、ようやっとこの間かすかな記憶を思い出したくらいで、別に執着もないし、恨みもない。あったかもしれないが、そんなことは忘れてしまった。ファルコにとって、幼いころは、ライラが世界のすべてだったから。
小さいと思った家は、近づくと案外大きくて、白い壁が温かい感じがした。
「ある冬の夜、突然ドアを叩いた人がいてな。たとえ近所でも、用は昼の間に済ますものだ。なんだろうと思ってドアを開けたら、そこに光がいたんだ」
サイラスがまるでその光のまぶしさを思い出すように目を細めた。
「それが、母さんか」
「そうだ」
サイラスは照れたように細めた視線を庭に落とした。
「庭にキャンプを張ってもいいかと言うんだ。冬のさなかにだぞ。狩人だから、野営は慣れてるのって言われても、そんなわけにはいかないだろう」
「俺の時も家に入れてくれたものな」
「ああ、大人でも子どもでも、男なら迷わないんだが、独り者のところに女はまずいだろうと一瞬悩んだな。俺はかまわないが、相手の評判が落ちたら困るだろうと思った。だが、やはり寒い中外で泊まらせるのは自分が許せなかったんだ」
冬でもう夜になるというのに、行きたいという気持ちだけで町を出てきたに違いない。何とかなるだろうと考えて。ライラのやりそうなことだとファルコは苦笑した。
ファルコでもわかる。賢明な人なら、そして人に迷惑をかけたくないと思える人なら、そんなことはしない。ファルコはライラの代わりに謝るべきかと一瞬本気で悩んだ。
「どうやらこの家が気に入ってくれたらしいライラは、そのままここを拠点にして平原をあちこち旅していたな。そのうちその、俺と一緒にいてくれるようになって」
「俺が生まれたと」
「そうだ。光と共にやってきて、この家に光をあふれさせてくれた人。それが俺にとってのライラだったんだよ」
まあ、ライラはどこに行っても人気があったし、ここでもそうだったんだろう。だが、ファルコを連れている時でも、一年以上滞在した町はなかった。ということは、よほどここが居心地よかったんだろうなとファルコは家を見上げた。
「さ、中に入ってくれ。一階はライラとファルコがいた時とほとんど変わっていないんだよ」
そう言われて中に入っても、何も思い出すことはなかった。自分の家ではない、だれか知らない人の家だ。ファルコは何となく背中がうすら寒いような気がした。
「ショウとハルも連れてきたかったな。こういう、なんて言ったかな、カントリー調の家って女子には人気だったと思うんだよな」
リクが改めて自分の家を見渡している。
「ショウが喜ぶのか」
カントリー調とは何か、ファルコにはよくわからないし、北の町の自分の家ともそう区別はつかなかった。あえて言うなら、部屋は広く、窓は大きいように思う。ショウが喜ぶと思ったら、途端に背中の寒気はどこかに行ってしまった。
「深森がどうかはわからないけど、こういうぽってりとしたカップや模様にも興味を持つと思うよ」
サイラスがすぐに茶を入れようと湯を沸かしている横で、リクが食器棚からカップを出して並べている。
それを見てファルコの記憶の何かが刺激された。そう、確かその食器棚から、カップを自分で出したくて、手を伸ばしていたような気がする。どうやら少しは記憶が残っているようだ。
「ファルコ、食器を出したいの」
「うん。じぶんで」
「そう。やってごらん」
ライラの声がする。背伸びしてカップを取りたくて、でもやっぱり落としてしまって。厚いカップは、きれいに二つに割れてしまった。
「うえ、ふえ」
思わず泣きだしたファルコに、ライラはこう言った。
「どうして泣くの?」
「だって、カップが」
「落としたら、割れるものでしょう。割れたらどうするの」
「……かたづける」
「それだけのことよ」
ファルコは必死で涙をこらえながら、割れたカップを片付けて、手を切った。
「ライラは小さいファルコにも厳しくてな。間違ったことは何も言っていないんだが、ファルコが割れたカップで手を切った時はさすがの俺も怒鳴った記憶がある。もしかして、なにか覚えているか」
「ああ、何となく」
そんなことが続いて、泣いても仕方がないんだ、自分でできることは何でもやるんだということが身についた。
ライラは何も間違っていない。
けど、ショウだったらどうしただろうと考えてしまう。
「ファルコ、カップが取りたいの?」
「うん、じぶんで」
「それなら、台を持ってこようか」
ショウならきっとそう言ったと思う。台をよいしょよいしょと運ぶ自分、カップを無事に取っても、やっぱり落としてしまう自分。
カップを割って泣いたらショウはどうするだろうか。
「落としちゃったねえ。悲しいねえ」
そう言って泣き止むまで待ってくれる。泣き止んだら、片付けるのを見ていてくれる。そして俺はまた、しょうこりもなくカップを取ることに挑戦するだろうな。
「どうした、ファルコ」
「いや、何でもない」
きっとこの家で俺は楽しかったんだろう、とファルコは思う。
その楽しさを今、思い出すことはできないけれど。ショウならどう感じただろうか、ショウならどうしただろうかと思うと、きっと楽しかったんだと思える。
「お茶を飲んだら屋根裏に行こうぜ!」
「ああ」
ショウならきっとお茶もそこそこに、屋根裏に上がる階段に走っていくんだろう。
「ファルコがいた時って、どこまで完成していたのかなあ」
なんて言いながら。
父さんにとって、母さんが光だったように、俺にとってはショウが光だ。湖沼で見た沼のような静かな水面にいる俺を、キラキラ光って引き上げてくれるんだ。
「きっと、楽しかったんだろうな、俺」
「たぶんな。いつも真面目な顔で何かをしていて、少なくともそんなファルコがいて俺は」
サイラスの声は何かをぐっとこらえるように震えた。
「楽しかったんだよ」
「うん」
思い出だけが残る家ではない。今はリクがいて、この家に新しい思い出をつけ足している。
「今も楽しい、だろ」
リクがおどけて、サイラスが素直に頷く。失礼にならないようにそっと目をそらしたファルコは、はしごを見つけた。
「さて、屋根裏を見せてくれ」
きっとショウなら喜ぶだろうから。
「かっこいいんだぜ!」
今度はショウと一緒に来よう。そう思いながら椅子から立ち上がったファルコだった。
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