98 むかしなつかしいあんドーナツ
お久しぶりです。
少し落ち着いたので、本日より再開いたします。
これからもよろしくお願いいたします。
「パンケーキの材料で水分を少なくしたものを作って、この小豆の甘煮を入れて包む」
「お父さん、オイルの用意できましたよ」
「で、これを『揚げる』のだな」
マークシスさん、初めての揚げ作業に少し腰がひけ気味なのが面白い。
おそるおそる平べったく成形した小豆入りの生地をオイルに投入すると、ジュワーっと揚げ物特有の音が厨房に響き渡った。
「おお、膨らんでいくぞ。面白いな」
マークシスさん、マルクスさんが真剣にフライパンの中を覗き込んでいる。
メイヤさんも気になったのか、近づいてきて興味深そうに見つめている。
メイヤさんはお菓子がとても好きで、昔は好きが高じて自分でも作っていたということだけど、マークシスさんのプロポーズが、『君の食べる菓子を一生僕に作らせてくれ』だったので、それ以降、菓子作りはしていないとのことだ。
うむ。菓子職人らしいプロポーズだ。
なので、メイヤさんは、それ以来はお菓子作りをしなくなったとのことだった。
ふわあ! と感動していたら、『マリアが受けたプロポーズの方が素敵よ』と教えてくれた。
マリアおば様が綺麗な笑顔で、『ふふ。長くなるので後で教えるわね』と約束してくれた。楽しみだ。
何度か小豆入りの生地をひっくり返すと、こんがりときれいなきつね色になってきた。
「さっき食べたアメリカンドッグに似た色になりましたよ」
「そろそろいいかな?」
「あい。しょのくらいで」
この色になったら、生焼けの部分はなくなっているだろう。
ザルにあげ、軽く油をきった後、こんがり揚がったものに砂糖を振りかける。
―――私の大好きなあんドーナツの完成だ!!
さっそく出来たてを皆で試食。
サクっとした食感。
オイルの旨みとお砂糖の甘み。
そして小豆独特のうま味が絶妙だ。
ああ、懐かしい。
「「「美味しい……」」」
みんなの声が重なった。
「中の小豆の甘煮の旨さがすごく分かる」
「それに外側のオイルの旨味と、サクッとした食感がいいな」
「外側にかかったお砂糖がおしゃれね。それに甘くて美味しいわ!!」
菓子店のツリービーンズ親子はもちろんのこと、リンクさんやマリアおば様、ローズ母様は甘いものに目がない。
ディークひいおじい様に関してはこんなに甘くて大丈夫だろうか? と心配をしたけれど、杞憂だったようだ。
『ひとつでは足りんな』と呟いていた。美味しかったんだ。
もちろん私も好きな味だ。
「あんどーなつ、おいちい!」
「「「あんドーナツ?」」」
みんなが首を傾げた。
そういえばドーナツはこの国にはなかったのだ。揚げ物自体がなかったのだから、ドーナツという料理も料理名も初めて見聞きするものだろう。
「ああ! そうですわね、ご説明しますわ。このお料理、別の大陸の絵本に描かれていたんです」
ローズ母様がすかさずフォローしてくれた。ありがたい。
絵本を読んでもらったあの時、すべての料理名を私が大きい声で何度も言っていたのを記憶しているのだろう。
それに、あの本だけ何度も繰り返して読んでもらったのだ。
―――料理も背景の絵も、あまりに懐かしくて。胸がいっぱいになって泣きそうになった。
―――本当は、あの絵本が欲しかったくらいだ。
だから、ローズ母様も覚えてしまったのだろう。
アーネストおじい様やレイチェルおばあ様に何度も読んでもらって、指で絵を触って、何度も何度も料理名を私が言うから。
「そうなのか。他の大陸では絵本に描かれているほど有名な料理なのか」
菓子職人のマークシスさんの言葉に、ローズ母様が頷いた。
「そうだと思いますわ。絵本の作者はその大陸の貴族階級の方とのことです。その大陸の文字は私では読めなかったのですが、アーシェに読み聞かせしてくださった義父がそう言っておりました」
「なるほど。その大陸ではこういった揚げ物という料理が浸透しているんですね」
マルクスさんが頷くと、その後をマークシスさんがつないだ。
「『あん』は生地に包むものの総称で、『ドー』は生地。では『ナツ』は?」
「ナツはナッツでしょうね。上にクルミがのってました」
マークシスさんの疑問に、ローズ母様がこたえた。たしかにあのドーナツの絵にはクルミがのっていたし、前世での由来もそうだ。
「それなら、このドーナツにクルミやナッツをのせるか生地か中に入れることにしよう」
うん。それはいいかもしれない。
「これ、材料がうちのツリービーンズ領で採れるものばかりで作れるから、原価も抑えられるし、いいな」
「小豆は今まで他では食べられなかったから、物珍しさも手伝って売れると思います。それに揚げたものは今まで出回ってませんでしたからいいですね」
「貴族の方たちばかりじゃなくて、これは庶民の人たちにも安価で売れるわよね」
メイヤさんが声を弾ませた。
「お隣のパン屋さんがお店をやめちゃったから、さっきの小豆の甘煮とバターを挟んだパンも出したらどうかしら。たくさんは出せないけど少しならうちの見習い二人にパンを焼いてもらえると思うの」
お隣のパン屋さんは高齢だったので、つい最近引退して娘夫婦のいるところへ引越ししたのだそうだ。
メイヤさんの提案にマークシスさんが頷いた。
「そうだな。パンなら毎日うちで食べる分焼いているからいけるだろうな」
「まあ、そうなの?」
マリアおば様が聞くと。
「ええ。実はうちの見習いの二人は、もとはお隣のパン屋で住み込みで働いていたパン職人だったんですよ。お店を閉めると行く場所がないということで、うちで雇ったんです」
「だから二人に毎日食べるパンを焼いてもらっているのよ」
そうなんだ。
見習いさん二人はパン職人さんだったのか。
「ごめんなさい。なんだか勝手に盛り上がって」
次々と商品化する話を進めて行ったメイヤさんとマークシスさんが、私に気づいて申し訳なさそうな表情になった。
「甘い小豆のレシピも、あんドーナツも、自分たちが考えたレシピじゃないのに。でも、できればこれもバター餅と同様に売り出させてほしい。―――うちはもともと庶民も買いに来ていた所なんだ。でも、開戦後、日々の食事をとるだけで精いっぱいになって、お菓子を食べるなんて贅沢は出来ないと、庶民はなかなか買いに来れなくなった。こっちも生活が苦しいのは分かっているしな。―――バター餅が出来て貴族の人たちはものすごく来てくれるし、ケーキも買っていってくれる。だけど、たくさんいる平民の近所の人たちは、子どもや大切なひとの誕生日とか特別な日だけ、焼き菓子を少しだけ買っていくんだ。比較的安価なものをな」
確かに。毎日の食事でも精一杯なのに、おやつを購入する余裕は庶民の人たちはないだろう。
それでも、子どもの誕生日には特別なもの買ってあげたいと考えるのは親として当然のことだ。
マークシスさんたちは、以前のように近所の人たちにもお菓子を食べて欲しいと思っているのだ。
それには価格帯を抑えなければ叶わないことを、十分に理解している。
「ケーキより安価な値段で、このあんドーナツを買うことが出来たら、とっても喜ばれると思うの。うちの利益はほとんど出ないけど、近所の人たちにも楽しみをあげたいのよ」
利益を出すことは店として大事なことだ。
それに新しいものは付加価値がついて儲けも出るというのに、原価ギリギリで近所の人たちの為に価格を抑えるとは、なかなか出来ることではない。
マークシスさんをはじめ、ツリービーンズ菓子店の心意気が好きだ。
「これ、かしゅたーどくりーむいれてもおいちいよ」
是と言う代わりに、にっこりと笑ってカスタードクリーム入りも美味しいことを伝える。ついでに何も入れないドーナツと、生クリームを後入れするものも提案しておく。
安価で買えるものを増やしたら、買う方だって嬉しいだろう。そう思ってレシピを提案すると、メイヤさんが目を丸くした。
まさかメニューを増やすとは思っていなかったようだ。
「いいのかしら?」
もちろんだ。お菓子は心を幸せにしてくれる。
日々の食事はもちろん大事だ。
でも、甘いものを少しでもいただくと、ちょっぴり幸せな気分になる。
今は世情が世情だけに厳しい経済状況の家庭が多い。
菓子職人が作るケーキはもちろん美味しい。
けれど、ケーキはパンの数倍の値段だ。一般的にパンの3倍から5倍の値段なのだ。
経済的にも苦しい一般家庭では手が出ないのが実情だろう。
けれど、ドーナツなら。
前世でも、ドーナツはパンと同じくらいの価格帯だった。
フルーツや生クリームをふんだんに使うケーキと違って、ドーナツは原価を抑えられるのだ。
パンと同じ価格帯で出そうと言っていたので、それならみんなで購入しやすいだろう。
それに、パンのように何度も発酵させる手間がないのだ。
ベーキングパウダーがあるおかげで、パンより短い時間で調理が出来る。
メイヤさんの問いにしっかりと頷いた。
「あい。みんながうれちいとあーちぇもうれちい」
「「「ありがとう!!」」」
「じゃあ、すぐ作るね! カスタードなら作り置きあるし、お父さんドーナツ揚げてください!」
菓子職人の二人は、すぐにコツをつかんだようだ。
あんドーナツには砂糖をかけ、カスタードクリーム入りには砂糖をかけないことで区別。
シンプルなドーナツは生地だけで、試作で中心の生焼けという失敗を体験したので、中心部分を小さい型で抜いて揚げることを提案。リング状のドーナツを完成させた。
そのシンプルなリングドーナツを開いて生クリームを入れたもの。
さらに、あんドーナツに生クリームを後入れしたもの、と全部で5種類のドーナツがラインナップされた。
ドーナツは全種類大成功だった。
「へえ。何も入れなくてもこのリング型のドーナツ美味いな」
リンクさんがシンプルなものを食べて頷くと、マリアおば様が。
「そうねえ。生クリームを後で挟んだものも、私好きだわ」
「カスタードクリーム入りも、濃厚でおいしいわ」
「あんドーナツに生クリームは贅沢な美味しさだわ!」
ローズ母様やメイヤさんも新しい味に満足そうだ。
「うむ。だがやはりあんドーナツが一番だな」
ディークひいおじい様はあんドーナツがお気に入りのようだ。
基本的にはリングドーナツ、あんドーナツ、カスタードクリーム入りをラインナップ。
生クリームは希望した時に追加料金で後入れする方式にすることになった。
ううむ。全部好きだけど。
食べると太るものオンパレードだ。
糖と油。
今はまだ成長途中の子供なので大丈夫だけど、食べすぎには注意しよう……。
「うわあ。あっという間にドーナツ5種類と、小豆あんをパンケーキで挟んだ2種類、小豆あんバターサンドパンまで、商品が増えたよ!」
「豆を使ったパウンドケーキだって増えるわよ!」
今回考えた商品の価格設定は庶民が購入できるまで価格を抑えるのだそうだ。
それは良かった。
それにしても、商品化されるものが多くなっては忙しくなるのではないだろうか?
そう思っていたら、ディークひいおじい様がマークシスさんに問いかけた。
「―――隣のパン屋の店舗はどうなっているのだ?」
お読みいただきありがとうございます。




