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65 トマス料理長のつぶやき

バーティア子爵家のトマス料理長視点です。



 私はトマス。

 バーティア子爵家で料理長をしている。


 バーティア子爵家で料理人となってすでに三十年余り。

 今では料理長として、厨房を預かっている。


 このバーティア子爵家はいろいろとあった。


 私よりいくつか年下のダリウス前子爵は、ディーク様の息子とは思えない程怠惰で、遊びほうけてこの子爵家本邸にはたまにしか帰ってこない。

 ディーク様の亡き奥様のリリアーネ様はマリウス侯爵家の方で、早くにはやり病で亡くなった。

 私は以前マリウス侯爵家の料理長をしていた父のもとで料理人をやっていたが、リリアーネ様のご実家であるマリウス侯爵家の味を、バーティア子爵家に嫁いだリリアーネ様に召し上がっていただくために子爵家の料理人となった。

 私がこの屋敷にきて数年で奥様は若くして亡くなり、マリウス侯爵家に料理人として戻る話があったが、ディーク様をすでに生涯の主人と決めていた私はこのまま子爵家に留まることを選択した。


 ダリウス前子爵がまだ子爵家を継ぐ前、先々代の借金を返済したばかりの子爵家を、すぐに借金まみれにしたのを私は知っている。

 料理人というのは結構付き合いが広い。

 侯爵家の料理人や、同業者、農産物や海産物の仕入れ業者など情報源は広い。


 貴族に仕える者にも横のつながりがある。

 だから、誰にどのような手口で騙されたかも耳に入ってきた。

 そして、ダリウス前子爵がまた新たな詐欺のターゲットになっているとの情報もあったのだ。


 咎められるかもしれないと思いながらディーク様にお話しすると、ディーク様がすんなりと聞き入れてくださったのには驚いた。

 貴族が相手であれば、仕える身でありながら家中のことに余計なことを知った、進言したと、処罰されることもあるというのに。


 ディーク様は私の言葉を信用して動いてくださった。


 ―――この方は貴賤なく人に接してくださる。


 それまでも貴族に仕えてきた私は、それがどんなに貴重なものか知っている。

 仕える以上虐げられても文句を言えないのが平民なのだ。


 ディーク様に『ありがとう』『助かった』と言われた時にどんなに嬉しかったか。


 『これからもよろしく頼む』と言われた時は、歓喜に震えた。 

 社会の常識では、貴族は使用人しかも平民に感謝するなどあり得ないことなのだ。


 だから、私は料理人という立場で、ディーク様の情報源になろうと決めた。



 やがて、ローズマリー様がデイン伯爵家からお輿入れされた。

 ダリウス前子爵にはもったいない程良い方だ。

 デイン伯爵家の皆様は、ディーク様と同じような気質の方たちばかりで、私たち料理人や使用人も『人』としてきちんと認めてくださる。


 ローズ様が生まれ、2年後にローディン様がお生まれになり、おふたりの教育をディーク様が行ったことで、おふたりともディーク様やデイン伯爵家の方々のように、真っすぐにお育ちになった。


 ローズ様がクリステーア公爵家にお輿入れになった時は、子爵家に仕える者たちが喜びに包まれた。

 お優しいローズ様が幸せになれるのだと、皆喜んだのだ。


 しかし、その喜びもつかの間、ローズ様のご夫君のアーシュ様がアンベール国でとらわれ、戦争となり、ローズ様が死産されたという悲しい出来事が続いた。


 その後、勝手な思惑でローズ様を受け入れなかったダリウス前子爵に憤慨し、ローディン様が商会を街に興して、そちらの家にローズ様と共に移り住んでしまった。


 驚愕したのは、おふたりが赤ん坊を拾って育てているという情報だった。


 ある時、子爵家に戻って来ていたローディン様に『離乳食の作り方を教えてくれ』と言われた時は心底驚いた。


 野菜の切り方や調理のしかた、調理道具の使い方、調味料など。

 貴族の令息であれば、まったく未知のものを必死に覚えようとしていた姿は、今でもあたたかな気持ちと共に思い出すことが出来る。

 『アーシェがかぼちゃを食べた!』と満面の笑顔で教えてくれた時は、こちらまで笑顔になった。

 嬉しくて涙が出たものだ。



 ローズ様はダリウス前子爵に会わないようにするために、子爵家に来ることはなかった。

 『たまには子爵家の味を』と弁当を作り、ローディン様にお渡しすると『ありがとう』とお礼を言ってくださる。ローズ様からもお礼のお手紙をいただいた。

 やはり、ディーク様のお孫様方だ。


 ずっと、ディーク様やローディン様たちにお仕えしていこうと誓った。


 そして今年の春、ローディン様がお土産をくださった。

 今は国中で作られている『ラスク』だ。

 さくさくした食感。シュガーバターや廃糖蜜、ガーリックバター味が私の心をがっちり掴んだ。

 『アーシェが作ったんだよ』という言葉に、まさかという思いが走る。

 まだ3歳の子供だ。

 『親(?)の欲目』というやつではないか。


 その後、『天使(アンジュ)の蜂蜜』、『米』などバーティア領特産物が次々と名をはせていった。


 先日、デイン伯爵家のクラン料理長から、王宮での試食会に出したという、米料理をはじめとしたレシピが送られてきた。

 『分からないことは、アーシェラ様に聞くといい』という、レシピの最後に書かれた文言に頭をひねった。


 そして、4歳の誕生日という今日、初めてローディン様とローズ様の拾い子のアーシェラ様に会った。


 一目見た瞬間、『幼い頃のローズ様に瓜二つだ』ということに衝撃を受けた。


 思わずディーク様を見ると、頷かれた。

 『誰にも言うな』とその目が言っている。


 この本邸に仕える者は私が一番古い。


 ―――そうか。と納得した。


 クリステーア公爵家のリヒャルトの悪行は情報として入っている。

 十数年前、この子爵家にアーシュ様が滞在していた時にも刺客を送ってきていたのだ。

 ローズ様が懐妊してからもずっと命を狙われていたことも知っている。


 おそらくはアーシェラ様とローズ様を守るために『拾い子』としているのだ。


 よく見ると、アーシュ様と同じ髪色と髪質、同じ色の瞳だ。

 アーシェラ様はクリステーア公爵家の色彩を受け継いでおられる。

 貴族の子供は父親の色彩を受け継ぐことが多い。

 そして、お顔立ちはローズ様にそっくり。

 おふたりの子で間違いない。


 ディーク様のアーシェラ様を見つめる瞳が溶けそうに甘い。

 『あーん』などというディーク様に悶絶した。


 さらに、アーシェラ様が魔法のように茶碗蒸しを作ってしまったのには驚いた。

 ローズマリー様に喜んでいただきたくて何度も作ってみたのに出来なかったのだ。


 それをさっくりと作ってしまった。

 デイン伯爵家のクラン料理長から届いたレシピで作った炊き込みご飯は、感動する美味しさだ。

 アーシェラ様は商会の家でローズ様と共にお料理をされているということだ。


 目の前でいとも簡単に茶碗蒸しを作られて、アーシェラ様の味覚が優れているという話に納得した。

 昨年ローディン様に教えていただいた、干し柿のバターサンドもアーシェラ様考案だというから、脱帽だ。

 長年柿を扱ってきたというのに、その食べ方は考えもつかなかったのだ。


 クラン料理長からのレシピにあった、エビ塩の出来た過程のくだりを楽しそうに話すローディン様とローズ様。

 確かにその時のアーシェラ様の姿を想像すると微笑ましい。そして同時にアーシェラ様の味覚に料理人として驚嘆した。




 ローディン様がアーシェラ様を溺愛していることは知っていた。

 父親であるダリウス前子爵にはそんなそぶりを見せないが、時折厨房にきては菓子職人のハリーに焼き菓子を用意させていた。


 驚いたのは、一昨年アーシェラ様が高熱で何日も食事をとれなかった時のことだ。

 仕事の話で子爵家に来たローディン様が憔悴していた。

 『食事はおろか、水さえ口にすれば吐くんだ。……代わってやりたい』

 その一言でローディン様の心が知れた。


 体にやさしく消化がいい食事と、身体に吸収されやすい飲み物をお渡ししたら、速攻でお帰りになられた。

 翌日、朝早くにリンク様が子爵家を訪れて、『作り方を教えてくれ』とおっしゃられた。

 ローディン様と同じく疲れておられるようだが、『昨日少しだけ食べれたんだ。少しでも食べられるものを食べさせてやりたい』と話すその表情はローディン様と同じだった。


 数日して快復したとローディン様に聞いた時は私も安堵した。

 同時にアーシェラ様を将来どうするおつもりなのか、と疑問に思った。


 ローズ様はクリステーア公爵家に嫁いだ方だ。

 もしもアーシュ様がお戻りになられたら、拾い子であるアーシェラ様を連れて行けるのだろうか。

 ローディン様がご養子にお迎えになるかもしれないが、ローディン様はまだまだ若い。

 いずれご結婚もされるだろう。

 その時アーシェラ様の存在が障害になるのではないだろうか。

 それはデイン伯爵家のリンク様も同様だ。


 今はいいが、成長した後のアーシェラ様のことを思い、悩んでしまった。



 ―――だが、それは全くの杞憂だった。


 アーシェラ様はいずれ、クリステーア公爵家の後継者としてローズ様と共にクリステーア公爵家にお戻りになるのだろう。


 ディーク様にも同様のことを言われた。

 だから、そのために秘密裏に動いているのだと。

 『そのため』とはクリステーア公爵家のリヒャルトとその仲間たちの排除だということを私は知っていた。


 ならば、その一端を担わせていただこう。

 長年の情報収集で裏の事情もある程度掴めるようになっている。

 『人の口には戸が立てられない』

 リヒャルトたちのあくどい所業も、貴族たちにはきれいに隠されていても、関わった者たちは必ずどこかで口を滑らせるのだ。

 

 『とにかく慎重に動け』とのことだ。

 承知している。いらぬ情報を得たことを相手に知られれば、命を消される。

 さらに『私』を特定されれば、ディーク様をはじめ、ローディン様やローズ様、アーシェラ様、そしてデイン伯爵家の方々にも危険が及ぶことになる。

 いままで水面下で動いておられた皆さんの努力を水泡に帰す可能性もあるのだ。


 時間がかかろうとも、焦らず腐らず諦めず、慎重に。

 細心の注意をはらって。




 いつか、バーティア子爵家の本当の家族としてアーシェラ様をお迎えできるように。


 ディーク様、ローディン様、ローズ様が心から安心できるお手伝いをさせていただこう。


 ―――そう秘かに誓った。




お読みいただきありがとうございます。

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