107 王妃フィーネ 2
王妃様視点 その2です。
―――目覚めたのは、あれからひと月ほどたった頃だった。
「―――無茶をしたな。フィーネ」
目が覚めた時、夫であるアースクリス国の国王陛下が私の顔を覗き込んでいた。
真っすぐな銀の髪に、青い瞳。
その青い瞳がふと、安堵の色を浮かべた。
「レイ……あなた……」
私が『陛下』と呼ぶのを嫌うので、愛称で呼ぶと、夫が私の手を取ってぎゅうっと握った。
「一か月も眠っていたのだぞ」
「いっかげつ……。三国相手にそれなら、一か所なら倒れないかしら」
私の言葉にぎょっとした夫に、もう無茶はするな、と諭されたが。
「私は国母よ。同じことがあれば、同じことをするわ」
魔法陣を使って、三国の敵兵を薙ぎ払った。
私は、この手で大多数の敵を葬ったのだ。
―――夫を、息子を。そして、アースクリス国を守るために、女神様は私にこの力を残し、そして力を貸してくださったのだから。
「―――女神様は『必然を与える』。私の記憶に異界の魔法が宿っていたのは、必然だった。アースクリス国の民を守るために」
アースクリス国を守るために、敵である三国の兵の命を数え切れないほど屠った。
―――現実は残酷だ。
クリスウィン公爵家の令嬢として大切に育てられ、そしてアースクリス国の王妃として、多くの人に守られてきた。
―――そんな自分がまさか、人を殺める日が来るとは思わなかった。
それがたとえ、敵であったとしても。
それでも。あの時、私は決断した。
妻として、母として、国母として。
大事な人たちを守るために、―――この魂に宿った力を使うと。
夫は私を抱きしめて、安心させるように宥めるように背を大きな温かい手で何度も撫でた。
「たしかに。助かった。―――だが、これから先は私に任せてくれ」
「―――レイ」
「フィーネのおかげで、三国は大きなダメージを受けた。―――だが、私のダメージを考えてくれ。フィーネが目を覚まさないこの一か月。生きた心地がしなかった」
私の背に添えられた陛下の手が腕が震えている。本当に心配をかけてしまったようだ。
「レイ……」
「一か所意識を飛ばすだけでも負担がかかるのだ。それなのに続けざまに三か所に意識を飛ばして、あまつさえ意識体のままであんな強力な魔法を行使したんだ。―――もう目覚めてくれないのかと、どんなに……」
いつも冷静沈着な夫が身体を震わせている。
決して外では感情を出さない完璧な国王陛下である彼は、―――私にだけは感情を隠さずに、すべてを見せてくれる。
『大事にされている』と感じずにいられない。
―――ああ、この人を護ることができてよかった。
やっと『罪悪感』という分厚い氷がとけて、夫を息子をそして民を守ることが出来た、と。じわりと喜びが心を満たした。
「ごめんなさい。レイ」
心配をかけて。でもね。
「―――次からは一か所か二か所にするわ」
私の言葉に、夫が驚愕の声を上げた。
「フィーネ!」
「私は国母よ。本当は血を流さずにすめばどんなに良かったか知れない。でも、それは回避できないのだと今回思い知ったわ。―――だからこそ、女神様は私にこの力を与えたのだから」
『創世の女神は必然を与える』
そして私は、必然を与える女神様の加護を貰っているのだ。
その意味を誰よりも国王である夫は知っている。
知ってはいても、私を愛するがゆえに、愛してくれているがゆえに、私が負う心の傷を案じ、私を戦地から遠ざけようとしてくれている。
―――ありがとう、レイ。
そんなあなたが守るアースクリス国を、私も一緒に守るわ。
「私はアースクリス国の民を守る。今回のように一度に卑怯な真似をされた時は容赦はしないわ。―――その代わり、それ以外の時はレイと公爵たちにお願いするわね」
私はそう宣言した。
夫も父も兄も、そして公爵たちも、優れた人たちだ。
これまでだって、常に各国の侵攻を防いできた優秀な指揮官たちだ。
常ならば私が出る幕ではないのだ。
けれど、女神様は私をこの時代のこの場所に置いた。
その意思を、その意味を知った。ならば、その役目を果たす―――そう決めた。
―――その後、その役割を果たす戦いが何度も起きた。
開戦後、初戦を合わせて5回。
三国は示し合わせて、一斉の侵攻を繰り返した。
その度に、私は魔法を行使し、三国の思惑を潰した。
◇◇◇
開戦後、半年ほど経った頃、私の親友のローズがアーシェラを生んだ。
「ああ。ローズにそっくりね」
私の乳をこくこくと飲むアーシェラ。
金色の柔らかな少しくせのある髪に、キラキラした薄緑色の瞳。
クリステーア公爵家の直系の血を受け継いだ珠玉の姫だ。
生まれた時はとても小さかったが、元気に育ってくれている。
戦争が始まって1年が過ぎた。
私が何度か魔法を使い、敵軍を壊滅状態にさせた後は、三国一度に仕掛けられることはなくなった。
当然だろう。
私はアースクリス国を守る為に、何度も敵軍を壊滅的に叩き潰して来たのだから。
『アースクリス国は創世の女神様に護られている』と敵軍は思い始めているとの報告があった。
その通りだ。
だからこそ女神様の加護を持つ私がアースクリス国の王妃となっているのだから。
アースクリス国を守る為ならば、私は、いつでも女神様に与えられたこの力を奮う。
愛する人たちを守ることのできる力を持って生まれたことを女神様に感謝した。
出来れば敵軍とはいえ、敵軍を殲滅するのは本意ではなかった。
徴兵されてきた平民もいるのだから。
だから、最近は襲い来る敵軍の指揮命令系統を徹底的に潰した。
指揮官さえいなければ、多くの兵は自ら動くこともできないのだから。
アーシェラが生まれた頃は、徹底的にやり込めた直後でもあった為、少し戦局が落ち着いていた頃だった。
「本当にかわいいわ」
愚かで狡猾なリヒャルトからアーシェラを守る為に、アーシェラは生まれて直ぐにクリステーア公爵家から王宮の隠し部屋へと転移させられた。
初乳は魔法を使い、なんとかローズの母乳を飲ませることが出来たけれど、その後はほとんど私の乳でアーシェラを育てていた。
私のたった一人の親友の子。
「アーシェラ。あなたも女神様の愛し子なのね……」
私には一生懸命乳を吸うアーシェラが、私と同じ女神様の加護をもらっていることがわかった。
薄緑の瞳の奥に女神様の祝福の刻印があった。
その刻印は同じく女神様の加護をもらっている私にしか見えない。
このことは夫である陛下にしか告げていない。
クリステーア公爵やレイチェル女官長が知れば、愛する孫を今以上に心配し、心を痛めるだろうから。
この子は将来どんな形でこの国を守るのだろう。
―――出来れば、私のような魔法使いではないように。
かわいいかわいいアーシェラが戦地に行くことのないように。
―――私は、この子のもうひとりの母親。
愛しい我が子を。まして女の子を戦地に送ることは絶対にしない。
魔法使いは私で十分よね。
―――女神様は必然を与える。
その必然のひとつは、魔法使いである私。
それではこの子は?
私とは違うものをアーシェラは女神様に課せられている。
それが何かはまだわからないけれど。
「ああ。かわいい……」
キラキラした薄緑の瞳がとてつもなく愛おしい。
アーシェラ。あなたが幸せであるように。
こんな激動の時代の中で生まれたあなた。
女神様の愛し子で、クリステーア公爵家令嬢のあなたは、私のあとを継ぎ、次代の王妃となるのでしょう。
それならば。私は戦争を終わらせる役目を担いましょう。
◇◇◇
アーシェラを手放して3年近くがたった頃。
クリステーア公爵が私に贈り物をしてきた。
この国で初めて作られたという『ラスク』という食べ物と共に、ある書類を持って。
それは、ラスクのレシピ保有者の登録済みの書類。
―――そこにはアーシェラの名があった。
その頃からバーティア領の護衛から届く定期的な報告の中に、アーシェラの『したこと』が報告書に書かれることが多くなった。
天使の蜂蜜。
この国にはなかった米。
デイン領においても新たな産業を生み出した。
そして極め付けは―――女神様のキクの花だ。
―――どうしても、『飢え』というものは弱者に降りかかるものだ。
戦争により寡婦となった女性、そして子ども。
戦争の弊害で生活が苦しくなった人々。
身体に障害を持った人々。
救いの手を差し伸べたくとも、末端までは目や手が届かなかったのが現状だった。
そんな中でアーシェラが動き、結果的に弱者ともいえる女性や子どもたちが食べていくことのできる環境が徐々に形成されてきた。
キクの花では、飢えから国民を救い、雇用を生み出した。
―――更には結果的に、リヒャルトの悪事を暴き出したのには驚いた。
―――アーシェラの行動に、すべては繋がっていたのだ。
食べることは、生きる力となる。
とてもとても大事なことなのだ。
私は、理不尽な戦からアースクリス国民の命を護り。
アーシェラはアースクリス国のみならず、このアースクリス大陸すべての民の命を繋ぐ。
―――そういうことなのだろう。
アーシェラはまだ4歳。
この子が成長したら、どんなに美しく育つだろう。
親友のローズにそっくりだから、余計に楽しみでしょうがない。
女神様の愛し子ゆえに、様々なことが起こるだろうけれど、アーシェラを見続けるのは楽しい。
―――さて。いつ息子に会わせようかしら。
王家と公爵家のつながりは深い。
女神様の流れを汲むアースクリス国の王家には、同じく女神様の流れを汲む四公爵家の姫が娶せられる。
政略結婚と巷では言われているし、脈々と受け継がれる慣習はそう思われても仕方がないものだ。
けれど。
アースクリス国の王家の者は、一目見ると、『自分の相手』が分かるのだ。
それまでは誰を見ても心が動かない、冷たい王子様だ、と言われるが。
その実、自分の相手を見つければ、変わるのだ。
アースクリス国を担う者は、誰一人として、政略結婚をしたとは思っていない。
だから、これまで、あえておぜん立てしてまで、アーシェラを息子に会わせてこなかった。
「まあ。いずれ『その時』は来るでしょう」
私が陛下に出会ったように。
―――『その時』が来るのが楽しみだわ。
お読みいただきありがとうございます。




