時戻りをしたのは私だけではない?
「……入浴?」
目を瞬かせて尋ねると、リアム殿下が鷹揚に頷いて、手を拭う。
「あなたも相当降られたはずだよ。話は後。とにかく今は風呂が先だ。ああ、そうだ。俺もお湯使いたいからファルク、悪いんだけどもう1人分用意してくんない?」
リアム殿下の言葉にファルクはひとつ頷いた後、淡々とした声で抗議した。
「承知しました。それと、何度となくお伝えしていますが私は騎士であって従僕ではありません」
「その分、手当も出してるだろ。気心が知れてる方が何かとやりやすいんだよ。それで宝石姫……じゃなかった。確か、あなたの名は──」
リアム殿下がこちらを見て、思い出すように顔をしかめる。それに、私は自ら名を名乗った。
「ルシアです」
それに、リアム殿下は目を見開いた。予想外だった、とでも言わんばかりの顔。
(……もしかして初めて知ったのかしら?)
それにしたってこんなに驚かれるものだろうか。不思議に思っていると、リアム殿下がポツリと言った。
「……ルシア。そう、ルシアっていうのか」
「なにか?」
「いや、いい名だなと思っただけだよ。じゃあ、ルシア。風呂はその隣の扉だ。鍵はついてないんだけど開き戸だから内側から棒を噛ませれば鍵の役割は果たせると思う」
リアム殿下はそう言うとなにか探すように室内に視線を向ける。だけどお目当てのものは見つからなかったのだろう。少し思案した末、彼はなにか思いついたように「あ」と呟いた。
それに首を傾げたと同時、彼が手を持ち上げるを
そして、次の瞬間。それまで何も無かった彼の手には、いつのまにか杖のようなものがあった。
「司教杖……?」
……よね?教会で何度か見たことがある。
(なぜ!?どうして!?今突然現れた……わよね?マジック?マジックならなぜ突然?)
彼は何がしたいのだろうか?
掴みどころのないひとだと思っていたが、本当に何を考えているか読めない。突然司教杖が現れて、まるで魔法のようだわ。
どんな仕掛けなのか分からないけど、私の体質と同じようにこの世には理論で説明できないこともあるのかもしれない、と私はひとまず自分を納得させた。一体それどうやって出したのです?という疑問は後ですることにしよう。
とりあえず、重要なことを彼に尋ねる。
「それで一体何をするのです?」
その疑問に、リアム殿下はにっこりと笑った。よくぞ聞いてくれました!という声が聞こえてくるかのようだ。彼は冷たげに見える容姿とは裏腹に、随分表情豊からしい。彼は頷きながら、それを私に手渡した。
「これを内側の扉に噛ませるといいよ。長さもちょうどいいしね」
咄嗟に受け取った私は、思わず呻いた。
「重っ……!」
受け取った瞬間、ズシリとした重みが伝わってきた。司教杖ってこんなに重いの!?初めて持ったのだけど!!
両手で支えるように持っていると、リアム殿下が首を傾げる。
「ああ、仕込杖だからかな。持てそう?」
仕込杖!?
大体なんで司教杖を持っているのかも謎だし、どうやって出したのかはもっとわからないし、さらに仕込杖とか、このひとはびっくり箱か何かなのかしら??私は神妙に司教杖を見つめながら答えた。
「持て……なくはないですが、結構です。お気持ちだけちょうだいいたします」
「そう?」
それに頷いて答えた後、私は顔を上げた。
一瞬にして現れた、この杖。もしこれが私の体質同様、論理的に説明できない力によるものならば──
「これは私のカンですが、この杖は、あなたの大事なものなのではありませんか?」
私の疑問に、リアム殿下は目を瞬いた。
それに答えたのは、彼の背後に控える騎士のファルクだ。
「仰る通りです。ルシア様は我が国の王子殿下よりずっと聡明であらせられる。ええ、我が国の王子殿下よりもずっと」
二回繰り返したのは意図的にだろう。リアム殿下もそれを察したようで、苦苦笑いを浮かべながら彼は肩を竦めた。
「まあね。確かに大事なものだけど紛失はしない。そういう仕様だから。気にしないで?」
仕様??
「…………」
じっ、と司教杖を見つめる。
そういう仕様って何?言葉遊びしてんじゃないわよね?とか、気になることはたくさんあるけれど。
一旦その疑問はしまうことにした。
「……お心遣いありがとうございます。では、有難くお借りしますわね」
その言葉にリアム殿下が微笑んで応えた。
☆
そして、隣の扉から浴室に向かった私は、湯をもらって体を温め、ふたたび部屋に戻った。続いてリアム殿下が湯を使い、その間にファルクが紅茶をいれてくれる。
先程の雨は、さらに強くなっていて今や土砂降りの雨だ。時々雷の音が鳴り響き、どこかの木に落ちたのかバリバリバリ、という重低音が響く。窓を流れる雨粒は濁流のようで、まさにバケツをひっくりかえしたような雨だ。
紅茶が入ったところで、私とリアム殿下はそれぞれ対面の椅子に腰を下ろした。ファルクは、リアム殿下の後ろに控えている。
「さて、それじゃあ改めまして。俺はリアム・サミュエル。俺には役目がある、というのはさっき伝えたね。その役目、というのが──」
そこで彼は言葉を区切ると、私を真っ直ぐに見つめた。静かな声で、リアム殿下は言葉を続ける。
「あなたを死なせないこと。……いや、少し違うな。あなたを殺させないこと、だ。宝石姫。あなたはあなたが自身をどう思おうと、他者はあなたのことを宝石姫と見る。それは事実で、他者はあなたに【宝石姫】というラベルを貼る」
「……不思議なことを仰るのですね。あなたは私を死なせたくない、それは何のためにですか?」
彼は意図して私を宝石姫、と呼んだのだろう。先程までルシア、と彼は言っていたのだから。私の質問に、リアム殿下がシニカルに微笑んだ。
「それはもちろん、我が国のためだ。……俺の話をしようか。あなたからしたら、突拍子もない与太話だと思うかもしれない。だけどあなたは、俺が知らない行動を取っている。俺はその理由を、あなたも同じように時を戻っているからだと見ている。……どうかな?」
「──」
想定外の言葉に、私は息を呑んだ。




