何を知っている
山の麓まで降りると、そこには赤髪の男性が立っていた。どうやらリアム殿下の護衛騎士のようだ。彼はリアム殿下を見るとホッとした様子を見せた。
「ご無事でしたか」
「当たり前でしょ。俺は死なないよ」
あっさりと答えるリアム殿下に、護衛騎士が苦笑する。
「そうかもしれませんが、死にかけているのでは?と心配になりました」
「一回死んだんじゃないかって?」
シニカルに笑うリアム殿下に、赤髪の男性は肩を竦めた。リアム殿下はそれ以上騎士に尋ねることなく、くるりとこちらを振り向いた。
(あっ、今ので会話は終わりなのね??)
どうやら今ので一段落ついたらしい。ふたりの空気は何だか独特で、掴みどころがない。こちらを向いたリアム殿下に戸惑っていると、彼が大仰な仕草で胸元に手を当てた。騎士の挨拶のようだ。
「改めまして、俺の名前はリアム・サミュエル。あなたが知るとおり、サミュエル王家の二番目の王子だよ、宝石姫」
その言葉に、私は反射的に口にしていた。
「宝石姫と呼ぶのは、やめてください」
「なぜ?」
「先程の会話を聞いてらっしゃったでしょう?私は宝石姫をやめたいのです。その名で呼ばれるのは……好きではありません」
正直に答えると、リアム殿下は、す、と目を細めて「ふぅん」と答えた。まるで猫のようだ。
(探られている……?)
その鋭い瞳に私が何か言おうとする前に、もう彼は私に興味を失ったように背後の騎士を振り返っていた。
「ひとまず宿に戻る」
「は」
赤髪の男性──ファルクと呼ばれた彼が恭しく胸に手を当てる。
そして、リアム殿下がふたたび私を見て尋ねた。
「あなたも一緒に来てくれないかな。俺も、あなたに聞きたいことがある。そしてあなたも。俺に聞きたいことがあるんじゃないかな」
「…………」
「あ、警戒してる?そりゃあするか。でも安心して。俺はあなたの味方……といったら、余計怪しいか。だけど俺は、俺のためにあなたを死なせるわけにはいかない。これは本当。これだけは信じてくれないかな」
小雨だった雨は、いつの間にか大粒の雨となっていた。たしかにここで立ち往生していてはずぶ濡れになってしまうだろう。
(それに……今の私がひとりで出歩くのは危険すぎる)
リアム殿下が信じられるかどうか。そもそもさっき出会ったばかりのひとだ。
(だけど、なぜか彼は本来知らないはずのことを知っている)
先ほどのリアム殿下の言葉を思い出す。
『俺はあなたが死んだ後のことしか知らない』
まるで、見てきたかのように彼は言った。
(彼は、巻き戻りのことを知っている?)
もし、私が死んだ時……いいえ、殺された時のことを知っているのなら、彼は何か大事な情報を持っていることになる。……リスキーだけど、守りに入っていたら何も得られない。思い悩むのは早々にやめると、私は方針を決めた。
(それに、一度は死んだ身だもの。せっかく時間が巻き戻ったというのに、慎重になりすぎて重要な情報を見落とすんじゃ巻き戻った意味が無いわ)
守りに入るのはもう終わり。私は、私のために行動に移すと決めた。
顔を上げると、ちょうどその時、頬に大粒の雨が降ってきた。それをぐい、と手の甲で拭う。私はリアム殿下を見て、答えた。
「お話を聞かせてください」
それにリアム殿下がニッと笑う。
まるで、商談成立だ、とでも言うように。
「よし、じゃあ行こうか。道中足元に気をつけて。さっきの雨で地面がぬかるんでるから」
☆
そして、向かった先は──こぢんまりとした一軒家だった。
リアム殿下の言う宿とは、宿屋ではなく、彼が所有している家だったのだ。街の外れに建つその家はギリギリ二人暮らし出来るくらいの大きさだ。中も、そう広くはないだろう。
灰色の切妻屋根に白い壁の、ごくごく普通の家だ。
ファルクと呼ばれたひとが鍵を開けて、扉を開く。
リアム殿下に「先にどうぞ」と手で示され、部屋の中に足を踏み入れた。
私は室内を見渡すと、彼らに尋ねた。
「この家はどうされたのですか?」
私の後に続いて家に入ったリアム殿下が、外套を脱ぎ、それを椅子の背にかける。室内は、備え付けのキッチンと小さな食器棚、木のテーブルと二脚の椅子が置かれていた。
どうやらここはリビング兼ダイニングのようだ。扉はふたつあり、入ってすぐの左手と、正面にそれぞれひとつ。
扉の隣には、木の階段が続いている。
キッチンには、朝の食事の残りと思われるくるみパンが無造作に置かれていた。鍋にはスープが入っているようだ。生活感があることから、長くここで生活しているのだと察する。
私の疑問に答えたのは、リアム殿下だった。
「この国にはよく来てるんだ。俺にも目的があるからね。そのために、一時的にここを拠点にしている」
「買ったのですか?」
「まさか。借りたんだよ。よく来てるとは言っても、永住する気はない」
やけにキッパリと彼は答えた。
黒の外套を脱ぐと白の装束が現れる。髪も銀髪で白系統だからか、教会の神父様のようだと思った。
先程の雨でリアム殿下は思った以上に被害を受けていたらしい。襟足を束ねて水気を絞るようにしながら私に言った。
「それじゃあまずは俺の話をしようか。…………と、言いたいところなんだけど」
その時、奥の扉に消えていったファルクが戻ってきて、リアム殿下にタオルを一枚手渡す。リアム殿下はそれを受け取ると私に言った。
「まずは入浴が先かな。このままじゃ風邪をひくでしょう」




