223
勇者が何か考え込んでいるようだ。
うんうん唸っている。
どうせくだらないことだろうなと思いつつ、今日のノルマをこなすべく努力中だ。
『マリちゃんってさ、基本的に毎日、家で仕事してるか、店番してるかだよね。なんかこう変わったことがしたくならない?』
ほら、下らなかった。
そういう仕事なんだから仕方ないじゃないか。
だからか。だからなのか、旅行に引っ張り出すのは。
「あのさ、何べんも言うようだけど、普通に生活してるとそういうもんなの。小市民は魔王とか魔物討伐の旅に出たりとかしないもんなの」
『魔王はともかく、お盆と正月に帰省とか…』
「盆も正月もないし」
労働基準法も、特に決まった週休もないし、運が悪いとそもそも年休ないし、うちは自営業だし…
この世界では誰も一週間が七日で休日もあるって決めたりしてない。だから、その職場で一番のお偉いさんが好きに休日を決められる。つまりは、労働契約する際に休みを決めなければ、休日を与える必要すらない。もちろん、契約相手がそれでオッケーする必要はある。
『例えばだよ。年に一回くらいの旅行とか気分転換にいいじゃん』
「あのさぁ。王都じゃ冒険者か旅商人でもない限り、一生に一度も旅行しないもんだけど」
『…お祭りとか』
「毎年あるけど、ここ数年その時期にお前のせいで王都に居ないんだよ。稼ぎ時なのに」
『仕事かっ!』
仕事以外に何をしろと言うんだ。働かざるもの食うべからず。
まぁ、たまに趣味の研究したりしてるけど、その費用も稼がなきゃいけないんだよ。勇者手当で悠々自適な生活ができるお前とは違うんだ。今のところ、手当に見合う分、こき使われているようだがな。役に立っていると思わせるのも必要らしい。
勇者が王族と婚姻してくれれば、その辺りは簡単に行くんだろうが。
『花が無いんだよ、花が。なんか盛り上がりのないサ○エさんみたいで』
「日常が常に同じ感じで何が問題だ? 波瀾万丈な人生なんか要らないって以前にも言ったと思うが」
『ストーカーとかじゃなくて、楽しいイベントの方向で』
あ、一応覚えていたらしい。脳筋鳥頭でも全く学習しないわけではないのだな。
だが、しかし
「めんどくさいイベントは要らない」
『お祭りは楽しいよ』
「めんどくさい」
『旅行だって、楽しいじゃん。…ち、地方色豊かな食事とか…』
勢い込んでいたのが、途中でダウンしている。魔王討伐の旅の食事でも思い出したんだろう。ずっと日本食のことだけ考えていたらしいが。
「どこかにおいしい料理があるという情報でも?」
やや皮肉を込めて言う。提案のない不満など聞く価値はない。
私は、いつもの食事で何の問題もない。もちろん、今夜もスープだ。毎日同じではない。季節ごとに違う野菜を入れている。ほぼ同じ食材が続くことはたまにはある。それはそれで季節感というヤツだ。
『知らないってか、教えて欲しいくらいなんだけど』
「王都生まれの王都育ち。旅経験は2回の私が知ってるわけないだろうが」
『ソーセージがうまいとこと、チーズが独特なとこなら知ってますよ』
いつの間に来たんだツヴァイ。玄関が開いてないとこから考えるに、裏を回ってきたようだ。
新鮮なミントの香りがする。途中で摘んできたな。向こうの庭には薬草の類ばかり植えているので、うちの庭からだ。
ツヴァイは勇者にミントティーを勧めるが、歯磨きの味がすると吐き出して以来、勇者が頷いたことはない。ミントティーも悪くはないが、やっぱりリンデンに軍配が上がる。叔父の農園で栽培しているもので変な混ぜ物はない。毎年、一定量仕入れる契約だ。あれ、コレも旅行中の分をどうするか決めないといけないのか。でも、戻ってきたら思う存分飲みたいから、そのままでいいな。後で連絡だけはしておく。とりあえず不在の時の分は叔母のとこの倉庫にでも入れておいてもらうか。となると、叔母にも連絡しなきゃいけない。
結局、いつも通り、リンデンとミントと白湯のお茶会になった。おやつはない。
と思ったら、ツヴァイがドーナツを用意していた。
『テイクアウトもやろうかと思いまして』
にっこりと笑う。
でも、なんでドーナツ。困惑しながら手渡されたそれに視線を落とした。どっしりとしたタイプで、下手に食べるとぼろぼろこぼれるやつだ。チビが好きだったのは、ゴールデンチョ…まあいい。
どっしりとしたドーナツは穴のあくほど見ていても減る気配はない。
「……」
『マリちゃん、揚げ物あんまり食べないよね』
どちらかと言うと揚げ物系は好きじゃない。油が合わないんじゃないかと思うんだ。
まあ、カラッと揚がっているならそれほどでもない。ギトギト系は受け付けない。天ぷら屋のカウンターで揚げたてを食べる分には……たまになら問題なかった。どうせなら他のものを食べたかったけど。そんなのは大抵仕事だったから仕方ない。
ドーナツは微妙なんだよね。量は食べらんないし、当たり外れが大きすぎる。
まぁ、店の商品なら私の好みに合う必要もないし、どうでもいいか。『これとジンジャークッキーをテイクアウトにしようかと』
ああ、日保ちするヤツな。冒険者にはいいかもしれない。ってか、旅行に持って行くか。勇者に持たせれば大量にいけるな。
『そこはサンドイッチじゃないの?』
『ソーセージをパンに挟んで出すくらいならできますよ。ソーセージ料理も出す予定ですから』
『ホットドッグ!』
勇者が小躍りしそうな勢いで叫ぶ。
『トマトケチャップとマスタードはかけ放題がいいな』
いや、トマト無いし。それに、たぶん…。まぁ、いいや。勇者はツヴァイのことを知らなすぎだ。あいつは笑顔で落とすタイプだぞ。私は普通に突き落とすだけだ。
『…ただ、それをやるには、軍資金が…』
ドーナツを一口齧った勇者にツヴァイはうつむき加減でこぼした。
勇者の位置からは見えないだろうが、ツヴァイの口元は明らかな弧を描いている。
そもそも、軍資金がなんなんだ。それが明らかになっていないのに、勇者は顔を引きつらせた。
『お金なら出すよ!任せて』
勇者は胸を叩いて大きな声で言った。
『それでしたら…』
ツヴァイが勇者に耳打ちしながら算盤…じゃなくて、加減盤を弾いた。
二号店の細かいツメはツヴァイの仕事だ。計画案が提示されるまで、私が関わる必要はない。素人が口を出してうまく行くとは思えない。違法じゃなきゃいいや。ツヴァイのことだから、勝算はあるんだろうし…
勝算か……硝酸も少し発注しとくか。他に足らない薬品は何だろう。頭の片隅で考えながら、自分の仕事に専念することにした。何枚も縫った巾着だから無意識でも手は動く。思考は自由だ。
取り寄せに時間かかるものは今発注かけとけばいいか。ツヴァイに受け取りを任せて…
得物とかは旅行の支度ということで、旅行の主催者に出してもらっている。前回までは大人しくしていたが、色々やった後だし今さらだ。どうせ、隣国に請求するんだろうし、知ったこっちゃない。
ついでに色々手に入れているが、旅行で使わなくもないかもしれないから問題ないハズだ。さすがに出発までに間に合いそうもないものは考えてなかったが、発注したけど時間切れでしたはアリだったかもしれない。失敗した。
さすがの私も人非人ではない。隣国の危機をいつまでも放置しておくつもりはないので、自衛に最低限必要と思われるものが揃ったらすぐにでも動く予定だ。貿易相手国の国力が落ちすぎると、商売にならないからな。輸出しようにも相手に金がないと無理だし、輸入しているものが生産されなくなったりすると色々困るかもしれない。一国だけ勝ち組とか難しいんだよ。
魔王が倒されて数年じゃ、他国を支配するだけの国力のあるところもない。なによりいたずらに面積が増えても管理しきれない。しかも、国境は山脈か川か海だ。今回行く予定の隣国にいたっては、向こうが島国だから間に立派な海峡が存在する。何かあるごとに危険な航海を経て、返事が数ヶ月後とかになったら笑えない。それだとせっかく支配した地域が再び独立する。つまりは骨折り損のくたびれ儲けという。しかも、いつ魔王が出現するかわからない状況だ。そんなこんなで各国の勢力図はほぼ変わることなく続いているらしい。
とりあえず、必要なのは共存共栄。お互いがそこそこ平穏無事にあること。
まあ、細かいことはお偉い様方に押しつけ…任せて、一般市民は日々の生活を…のハズなのになあ。




