4話 魔王、同郷人と交渉する
「えっ、日本人!?」
「私は日本人という種族だったのか? 悪いが自分に関することはよく覚えていないんだ」
いつものようにユーリスに会いにいったら、なぜか教会の扉が壊れていて、慌ててユーリスの様子を見に行ってみたら、ユーリスが誰かを締め上げていた。状況がわからなかったけど、ユーリスが締め上げていたこの少年は勇者で、しかもこの世界では珍しい真っ黒な髪に、スキル『ステータス閲覧』を持っている。
その黒髪の少年が私の胸元をじっと見つめながら呟いた。
「初期ステータス……?」
目の前の少年は私なんかより遙かに強い。そしてこの言葉はやはり――
「……ステータスって上げられたの?」
「俺は2pt使って上げました。残り3ptで逆境スキルです」
言葉巧みに女神に流されたあの日、真面目に考えたとは言いがたいけれど、てっきり一つのスキルしか選べないと思っていた。
「君……賢いね」
「えっ? 俺が? 初めて言われました」
本当に初めて言われたらしい少年は素直に喜んでいた。
「勇者カケル。私と少し話をしないか?」
断られたら置いて帰ろうと思ったけれど、黒髪の少年は素直に頷いてくれた。
「良かった。じゃあ椅子を取ってくるよ」
魔王城の会議室に戻って、椅子を抱えて無人島に戻る。椅子を砂浜の上に向かい合わせになるように配置した。
驚いた様子で私のことを見ている黒髪の少年に、私がどうぞと手で示すと黒髪の少年はおずおずと椅子に座った。
「んー。何から話そうかな」
お互いステータスが丸見えだ。そんな相手に何から切り出そうかと考えていると少年が先に口を開いた。
「エーネさん。さっきのそれ……瞬間移動ですか?」
「あぁ、私のことはエーネでいい。あと敬語も使わなくていいよ。君は私の民ではないから。うん、そうだ。君が見えている私のスキル『転移+』は自分の望む場所に好きにテレポートできる能力だ」
「テレポート!? そんなスキルあった……?」
少年は大いに驚いてくれている。ほんの少しだけ報われた気がした。
「転移スキルには10pt必要なんだ。君が貰えたのは5ptだよね? 私が君よりさらに5pt多くもらえたのは、神に記憶を取り上げられたからなんだ」
「記憶を取り上げるって………記憶がないってこと?」
「全部の記憶ではないんだけど、自分の関係のことはさっぱりで。どうでもいいことは結構覚えている割に、自分の名前さえも忘れてしまったから」
私に何て言えばいいか迷っている様子の少年に声を掛ける。
「それが大事なことなのかも覚えていないから、そんなに深刻なことではないよ。気にしないでくれ。とにかく今、君を転移で連れてきたこの場所は、私たちがさっきまでいた大陸から遠く離れた無人島だ。太陽の高さが変わっていることかわかるように、イカダで何とかなる距離じゃない。君が私を殺したら、君がここから生きて帰るのは不可能だ。だから、私は弱いけれど、私を殺そうとはしないように」
少年は私の言葉に、きょとんした表情で私を見た。
「殺すって誰が?」
「君がだ」
「俺が?」
少年は言葉が結びつかないような顔をしている。
「君は勇者だろう? そして私は魔王だ」
「あ……そっか。俺が魔王を倒すってそういうことか……」
やっと理解できたらしい少年を邪魔しないように見守る。
少年が伏し目がちに私を見上げたので、話を再開した。
「勇者カケル。君がこの世界に落ちてきたのは2ヶ月前? 今までどこで何をしていたの?」
「2ヶ月前王城に召喚されてから、俺はずっと王城にいたぜ?」
私が魔王城からスタートしたように、勇者は王城からスタートするのか? それにしてはこの少年は、突然異世界に放りこまれて苦労した風には見えない。
「これまで王城で誰かに世話をされていた?」
「あぁ」と少年は頷く。
「良くあるゲームのように、目を開けたら綺麗な王女様がいて、『どうか勇者様。悪い魔王を倒してください』って頼まれて、王城でずっと鍛えられてた」
「王女?」
確かに人族の王には娘がいる。だけどあの娘は『パンがないならお菓子を食べればいいじゃない』と言いそうな娘だ。これまで通り遊んでもらっていた方が扱いが楽だから、このままでいいだろうと放っておいたのがまさか裏目に出るとは。あの王女が、勇者を召喚してまで私に何かをしようとするとは思わなかった。
「悪い魔王か……君が王女にどんな話を吹き込まれたのか知らないけれど、私は人族を苦しめたり、全滅させようとは思っていない。私が即位してから人族と魔族間の大規模な戦闘は起こしていない。証拠を見せろと言われたら後で好きなだけ見せてあげるから、魔王だからという理由で私を殺そうとはしないで欲しい」
少年は真剣な表情で私の目を見つめている。
「あのさ……魔族は人間を襲って食べるって聞いたんだけど」
私は内容の酷さに大きくため息をついた。
おいおい王女。幼気な少年にでたらめを吹き込むのも大概にしてくれ。
「あのさ……勇者カケル。君は人間を食べたいと思う? 私たちがどうして、凶暴で食べるところが少ない生き物をわざわざ狩って食べないと行けないんだ。私は食べたことがないから人間がどのくらい美味しいのかは知らないけれど、魔族領にたくさんいる大型魔獣は美味いんだ。私たち魔族は、遠く離れた人族領まで行って人間を食べるとか、そんな面倒なことはしない」
少年は何かを考えるように私から一瞬目を逸らして、焦ったように口を開いた。
「魔族から、他にも色々悪さされてるって聞いたけど」
「人族はなぜか魔獣――ゴブリンとかだな――を私たちの仲間だと思っているらしく、魔獣の被害をすべて私たち魔族の責任だと思っている。これはもう私たちは関係がないとしか言いようがないんだが、ゴブリンに関しては定期的に駆除を手伝っている。もちろん、魔族が国境を越えて人間をいじめて帰るなんてことはしない。そんなことをして私たちに何の得があるって言うんだ。面倒じゃないか」
少年は何かを言いかけて、俯いて自分の手を見つめて考え込んでいる。
「他に、何か聞きたいことはあるかな?」
「本当に何もしていないのか……?」
少年のつぶやくようなその声に、私は頷いた。
「魔族と人族が長い間戦っていたのは本当だ。だから、人族が魔族を怖がるのも無理はない。だけど、今は、私たちが人族を襲ったり傷つけたりしているようなことはしていない。そうだな――先代魔王が死んでから70年近くは私たちから戦いを仕掛けたことはない」
「前、王城まで魔族が襲ってきたって聞いたけど……」
少年は自分でももう信じていないように私に確認している。
「前は話をしただけだ。誰も殺していないし、傷つけてもいない。あと、15年前に人族側から仕掛けてきた戦争を止めるために王都に侵攻したけれど、そのときの死者は15人だ。言い訳かもしれないけれど、全面戦争が起こったら万単位で死んでいただろう」
少年は何か言いたそうにしていたけれど、口をつぐんで下を向いた。
「何だよ。あの話は――泣いていたのは全部嘘なのかよ……」
騙されていた少年はそう呟いて、うなだれていた。
自分が信じていたことを否定されて、怒り出さないだけこの少年は素直な良い子なのだろう。だからこそ、騙されたのだと思うけれど。
「うんまぁ、とにかく人族の中にはなぜか私たちを殺したい勢力が居る。でも私は殺されたくないし、私の民を傷つけさせるわけにはいかないから、今私は、人族と魔族が仲良くできるように主に東州に働きかけている。時間がかかるかもしれないけど、幸いにも私は歳をとらないようだし、少しずつお互い平和に暮らせるように変えていくつもりだ。だから、君にどうしても殺される訳にはいかないんだ」
少年は私の言葉に少し顔を上げた。
「あぁ、あくまでこれは私側の意見だから、反対側から見るとまた別の意見も出るだろう。君自身が判断してくれたらいいし、そのために生きたい場所や見たいものがあれば私が連れて行こう。君が私を殺す決意をしたときには、その理由を説明してくれると嬉しいよ」
少年は私の言葉になぜか目を見開いて私を見つめている。
そして――
「俺は殺さない。さっきからそんなに簡単に殺すとか言うなよ!」
急に怒り始めた少年を驚いて見る。
「そ、そうだな。そうだったはずなのに私も慣れてしまったようだ」
「いや、ごめん。俺の方が先に言ったんだ……」
少年は慌てた様子で、私に向かって少し頭を下げた。
「あいつ、すげー怒ってた。本気で怒って……俺を本気で殺そうとした。俺は、『魔王』って言葉だけで聞いて、世界のためにゲームのラスボスを倒すくらいにしか考えてなかった。魔王も倒せば死ぬし、俺も倒されれば死ぬ。俺、全然わかってなかった……」
少年はそう呟いてからまっすぐ私を見た。
「ごめん」
「いや、反省するのはいいことなんだけど、一度騙されたんだし、同郷だからって簡単に信じるのはどうかな?」
「俺のことを騙しているのか?」
「いや、そうではないんだけど……」
勇者だからなのだろうか。この少年はまっすぐ過ぎて逆に行動が読みにくい。
『あいつ、すげー怒ってた』か……
ユーリスが本気で誰かを傷つけようとするところなんて初めて見た。いや、それどころか私はユーリスが本気で怒っているところを初めて見た。
あの優しい子でも怒るのかと、そんな当たり前のことに驚いた。
すでに、この少年はわかってくれた気もするけれど、念のため魔王のことをもう少し説明しておこう。
「勇者カケル。このことは君は知らないだろうと思うから説明しておくけど、そもそもこの世界には魔王は必ず必要なんだ」
「えっ? どういうこと?」
王城の中でも知っている人はあまりいないと思うけれど、この少年の驚く顔はやはり聞いていないか。
「魔王は、別に悪い王様という意味じゃない。『魔力を統べる王』そんな意味だ。魔王の仕事はこの世界を流れる魔力を整えること。魔王がいなければ、この世界のバランスは崩れてしまう。だから、本来は勇者にそう易々と殺されて言い存在じゃないんだ」
「俺は魔王は、何としてでも滅ぼさないといけない存在だって言われた……」
私の言葉に動揺している少年を見る。
「それがこの世界の難しいところなんだ。遙か昔から、なぜか人族は魔族――人族以外の存在と敵対していて、それを滅ぼそうとしている。アウシア教は知っている? この世界で一番信仰者が多いアウシア教の経典には『魔族を滅ぼす』と書いてある。現れる魔王をことごとく殺してしまったら、この世界は滅んでしまうのに困った人たちだ」
「もし知っててそれをやってるんだったら、アウシア教って頭おかしくね?」
少年のひどくまともな突っ込みに苦笑する。
「うん、そうだな。私もそう思うよ。まぁ、長年続いていると言うことは、このことで何か得をする人がいるんだろうね」
あの歴史学者にも調べてもらっているけれど、よく分からない。どうして私はこうも命を狙われるのだろうか。
まだまだ話す内容はあるけれど、最低限知っていて欲しいことは説明できたので、よしと立ち上がる。
「君にはまだ聞きたいことがあるんだけれど、一度ユーリスのところに戻ろう。心配しているだろうし」
「俺、殺されない?」
砂浜に立ち上がった私を、真剣な目で見上げる少年を見返す。
「えっと、その……君が私のことを殺そうとすれば、ユーリスは君を傷つけようとするかもしれない」
「だからもうしないって。ごめん」
立った少年は私に頭を下げた。
「あのさ。王女の頼みはもういいの?」
「王女様か……思い返せばあいつらの話、ところどころおかしかったからな。きれいな金髪の王女に頼まれて、おだてられて何となく流されていたけど、まぁ今日ぼこぼこにされて目が覚めたというか……」
少年は何かを思い出すように斜め上を見上げている。
『きれい』か……少年の言葉に、あの王女の猫なで声を思い出す。
「ああいうのが好みなのか……?」
少年はおろおろと視線を彷徨わせている。そしてため息をついた。
「いや、ま。金髪の王女様だから俺もテンション上がっちゃってさ」
うーんわからなくはないが、それにしても『きれい』か。
この世界できれいなものと言われて、ユーリスもそうだけれど、『魔王様!』と笑顔で私に呼びかける愛する魔族領の民の顔が思い浮かんだ。
「勇者カケル。金髪はあまりいないけれど、きれいな女性が好きなら我が魔族領は最高だぞ? 健康的な美女や美少女がたくさんいる。しかも、かわいいのはもちろんのこと、それに加えて彼女たちには特徴的な耳や翼やしっぼが付いているんだ。プラス要素だ。何というか、お得感を感じて最高なんだ」
私が常日頃から思っていることを口に出してしまって、少し我に返って少年を見ると、少年はゴクリと唾を飲んで、真剣に私の話を聞いていた。
「紹介してやるから、私と一時休戦しない?」
「異世界に来た男としてその頼みを断るわけがない」
異世界に来た男として当たり前らしい。
こうして勇者カケルはあっさりと王城の人間を裏切った。
「あぁ、あとそうだ」
転移しようとして、重要なこと言い忘れていたことに気づき慌てて少年を振り返る。
「えっ、何……?」
「あのさ……お互いのステータスは内緒にしない? 特に私は人族ってことを皆に知られたくはないんだ」
昔は、魔族たちに私が『人族』であることがバレたら死ぬと思っていた。今はそんなことはないと思うけれど、この世界の情勢を考えればあまり知られたくはない内容だ。
「あぁ、いいよ」
「私たちが他人のステータスを見られると言うこともペラペラとしゃべらない方がいいだろう。えっと、まさか言ってないよね?」
「さすがの俺でも、それは言ってない」
なぜか大きく頷く少年を不安に思う。誰にもバレないといいが、バレることも想定しておこう。と言っても弱いのはもうバレているから、他に隠すことなどないかもしれない。
「じゃあ、ひとまず王都に戻ろう。これからのことはそこで決めよう」
「あぁ」
私が差し出した手を少年はじっと見つめている。
「ごめん。手を握らないと能力が使えないんだ」
「あ、じゃあ握ります」
少年はなぜか敬語を使って、私の手をそっと握った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ユーリス。ごめん待たせた――」
転移で戻ってきた瞬間、ユーリスは私の手を掴むカケルの腕に手刀を落として、カケルの手を私の手から外させたあと、私の手を引いて自分の背中側に押しやった。
「痛ってぇー!」
ユーリスの背中を挟んだ向こうで、カケルが右腕を押さえてしゃがみこんでいるのが見える。
慌てて後ろからユーリスの袖を引く。
「ユーリス。話は終わったから、もう大丈夫。殺さないって約束してくれた」
「エーネ。そんなこと信用できる訳ないだろう」
ユーリスが、カケルから目を外さずに答えた。
「殺すつもりなら、さっきのところで殺されていると思うよ」
「エーネのことだから、エーネを殺したら帰って来られないところにでも行っていたんだろう。だったら、安心はできない」
さすがユーリスだ。私の行動を完全に読んでいる。
カケルが恐る恐る自分の服の袖を捲っている。
「スキル発動前だから、すっげー痛え。折れてんじゃねーの?」
「折れていたら私が直そう。私は聖女だ。骨ぐらいすぐ治る。」
ユーリスの言葉に、カケルが呆然とユーリス見上げて、はき出すように呟いた。
「何が癒やしの聖女だ。何かの間違いだろ……」
そして、青く変色している腕を引きつった顔でさすりながら、ユーリスを睨む。
「エーネが言うように、俺はエーネが魔王だったとしても、もう殺そうとは――」
なぜかカケルの言葉が途中で止まる。ユーリスの横からユーリスの顔を覗くと、ユーリスは無表情でカケルのことを見ていた。
「何でまた怒ってんの……? 俺、何かまずいこと言った?」
カケルはユーリスから距離を取るように一歩ずつ下がりながら、私に確認するように、私の顔をちらちらと見た。
「ユーリス。カケルは私と同じところの出身なんだ。だからかな? それなりに信用して大丈夫だと思う」
「カケル……」
「あぁ、あの勇者の名前だよ。私は自分の生まれたところをあまり覚えてはいないけれど、少し懐かしい響きがするな」
ユーリスの目線がやっと私の方を向いたので、笑いかけると、固かったユーリスの表情が少し和らいだ。
そのとき突然カケルが声を上げた。
「あー! わかった!」
そしてあんなに怖がっていたはずなのに、なぜか笑顔でユーリスの顔を見る。
「悪い悪い。俺はエーネのことは殺さないし、嫌だったらエーネって呼ぶのもやめるよ。そうだよな……突然現れた男にそんなこと言われたら、そりゃ怒るよな。知らなかったとは言え俺も悪かったよ」
カケルはニコニコとしながら、ユーリスと私の顔を交互に見た。
「そのー、付き合ってるんだろ? 二人」
カケルの言葉に固まった。ユーリスの顔を見ることなんてできない。
「それ以上の仲だった?」
「……私たちは、育ての親と子の関係だ」
私は、私たちの関係を表す一番無難な説明をしたつもりだった。
「はっ? 親と子ってどういうこと!?」
カケルのその驚き様を見て、私は自分の見た目を完全に忘れていたことに気がついた。
「それはまた今度話すよ」
カケルが今すぐ聞きたいと駄々をこねるかと思ったけれど、カケルは案外あっさりと引き下がった。
『育ての親と子』より、『誘拐した人と誘拐された幼子』の方が良かっただろうか。
どちらにせよ、隣から感じるプレッシャーに私は今すぐこの場を逃げ出したかった。




