幕間5 恐怖に壊れてしまった老人
豪奢な玉座の上に、王が座っている。その気怠げな目は、いつものように私の方を向いてはいなかった。
「東州領主アルフレッド・ウェルス。貴殿は、あろうことか魔族と協力し、国家反逆を目論んでいるとの報告があった。申し開きはあるか!」
王の隣で、本来は私を呼び捨てにする地位ではないはずの者――アウシア教の教皇が、まるで王のように声を上げた。
「間違いでございます。国家反逆など滅相もない」
「貴殿は、魔王と協力し、何やらよからぬ植物を育てているそうではないか!」
教皇が声を張り上げると、一人の文官がトレイに乗せたしおれた稲を持って現れた。
「そちらは『稲』と呼ばれる植物です。東州には麦に適した土地はあまり多くはありません。ですので、東州で育てられる穀物の開発を、新たに行っております」
「魔王と協力しているということは、本当なのか!」
教皇の裏返ったその声に
「はい。その通りにございます」
私は厳かに応えた。周囲の高位貴族のざわめく声が聞こえる。
「これを国家反逆と言わず何という!」
怒り狂う老人の姿を、静かに見つめる。
「私は国に反してはおりません。貧しい東州で、穀物が取れるようになれば、国に納められる税も多くなります」
「魔王と協力など、あってはならぬ!」
「その理由をご説明していただけますか」
この国の法には、『国に反してはならぬ』とは書かれているが、『魔族を滅せよ、魔族と協力してはならぬ』などということは書かれていない。
老人は顔を真っ赤にして、ヒューヒューと引きつった呼吸音を発している。
「魔王に協力させる見返りに、一体貴様何を差し出した!」
「何も。魔王は私に何も求めておりません」
あの方の表向きの目的は、東州を豊かにすることで、魔族領に侵攻するための理由をなくすこと。それは私の目的と一致する。
裏の目的は――あの方はただ、『米が食べたいのだ』とおっしゃられていた。
老人は私を見ながら、まるで私の方が狂っていると言いたげに笑った。
「魔族が何も求めないなど、あり得ぬ!」
「私は事実を申し上げております」
魔族は、人族のように地位などには固執しない。人族よりもよほど無欲だ。
「あっはっはっは! アルフレッド・ウェルス。貴殿、魔族に洗脳されているようだな」
私の罪状はこれかと王を見上げるが、王はつまらなさそうに、何かそこに見えるかのようにただ前を向いていた。
「そういえば、今代の聖女もそうだな……今の魔王というのは、洗脳に優れた力を持っているのだな! 聖女は殺しても、勇者と違って次のがすぐに生まれんので、私も扱いに困っておる!」
老人の言葉に、あの若者の目を思い出した。
私と聖女様が魔王に洗脳されている――エーネ様の夢に取り込まれたと言った意味では、私たちはそうなのだろう。
「さて、聖女でも解けないほどの、魔王の洗脳を解くにはどうすればよいのだろうな。アルフレッド・ウェルス。貴殿自身に聞いてみようではないか」
強者が弱者に問いかけるように、老人は私を見下ろした。
「魔王は、私にも聖女様にも何も求められていない。あの方は魔族と人族の平和を望んでおります。これが洗脳だとしても、人族の害にはなりません」
「人族を油断させて攻めるための作戦だろう。なぜわからぬ」
魔族にとって、人族は油断させるまでもなく踏みつぶせる存在であるのに、この老人はそれがわかっていないのだろうか。
「まぁ良い。アルフレッド・ウェルス。
魔王が人族との和平を望むなら、貴殿や聖女を使うのではなく、ここで、この王城でそれを訴えればよかろう!」
老人は、私の話をまったく信じていないのだろう。できるはずがないと言いたげに手を広げて、自分自身に興奮するように宣言した。
「魔王がこの場で申し開きをすれば、私の話を信じてくださるのですか?」
「そうだ。魔王が一人でこの場に来て、説明をすればな! 魔王がここに来なければ、貴殿が裏切られたことが分かれば、貴殿の洗脳も解けるかもしれないではないか!」
「名案だ」と老人は狂ったように笑った。
あの方がここに一人で来られて、ご説明して頂ければ私は助かるかもしれない。
あの方は、頼めば来てくださるだろう。けれども、この狂った老人があの方を無事に帰す訳がない。
ここまで自信がある様子であれば、勇者以外に決定的な何か――魔王たるあの方を殺せる何かが用意されるのだろう。あの老人の魔族への憎しみは、見ている方に哀れみを誘うくらい、根深いものだ。
魔族のために生きるあの方を、私のために危険な目に遭わすわけにはいかない。
私が死ねば、あの方は私の死を悲しんでくださるだろう。そして、何をなさるのだろうか。私のためにあのお優しい方がされること、私にはそれだけが気がかりだった。
けれども――巻き込まれるこの場の高位貴族には少し申し訳ないが、私が死んだそのあと、数世代経た後には、東州はきっと私が夢にまで見た金色の光にあふれているだろう。明日などに悩まなくて良い日が、いつか東州の民にも訪れるはずだ。
あの方と開拓団の者たちが、必ず私の願いを叶えてくださるだろう。
であれば、私は死のう。意味のない死かもしれないが、私は私の人生に満足していた。
操り人形のように笑っている老人が笑い終えるのを、私は静かに待った。
「では、アルフレッド・ウェルス。『魔族が人族との和平』を求めているという件に関して、魔王から申し開きがあれば、貴殿の主張を認めてその罪はなかったことにしよう。だがそうでなかった場合、貴殿は魔王に洗脳されている。貴殿の洗脳が解けるまで、アウシア教がその身と、貴殿が治める東州を管理しようではないか!」
老人は、自身の下した判決に満足するように叫んだあと、初めて王の方を見上げた。
「王よ。それでよろしいでしょうか」
「よい」
王は最後まで私を見なかった。
「アルフレッド・ウェルス。貴殿から魔王に伝えるがいい!
人族との和平を求めるのなら、ここに一人で来るのだ! 種族の代表同士、ゆっくりこの場所で、この世界の平和について、語り合おうではないか!」
王の言葉を代弁しているはずの老人は、最後はまるで自分が人族の代表であるかのように――恍惚とした表情でそんなことを叫んでいた。




