52話 魔王、花嫁を強奪する
先週から、パメラが魔王城を留守にしている。怒らせて実家に帰られたのではない。なんと、マーシェが、あのマーシェが結婚するのだ。
マーシェは今年で22歳。お相手は王都騎士団員だ。
出会いのきっかけは、どうやら私らしい。私が勇者と連絡を取るとき、以前は真面目に手紙を送っていたのだが、あの歴史学者の部屋に直接転移できるようになってからは、あの歴史学者経由で手紙を渡していた。
ただ、あの歴史学者は頼んだことを優先的やってくれる人物ではないので、マーシェがそこで働くようになってからは、マーシェに頼んで勇者のところまで手紙を持って行ってもらっていた。もちろん、マーシェに変な噂が立たないように、あの歴史学者の頼みだという偽装を施した上でだ。
そんなある日、騎士団長である勇者に、マーシェが私からの手紙を渡しに行ったときに、ある純朴な騎士団員がマーシェに一目惚れをしたそうだ。
それから、勇者も少し手伝って色々あり――乙女が一番聞きたいそこを、そんな風にしか説明できないとは、勇者とは何て使えない男なんだ――先月無事に結婚が決まった。
3日後、王都でマーシェの結婚式が執り行われる。イスカとアーガルは、どうやっても出席できないので、「魔王様は絶対に見に来て」とマーシェから頼まれている。
以前アウシア教徒に刺されて死にかけてから、私は王都には行っていない。しかも、先日私は東州で、自分の正体をばらしてしまった。今の私は指名手配犯のようなものだ。
そんな私が、行ってもいいのだろうか?
私一人であれば、何かあったときは転移で逃げればそれで済む。だけど、今回は結婚式だ。マーシェやパメラにとって、とても大切な日――そんな日に、私が面倒ごとを引き起こしてしまったとしたら……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
長いすに座って、月明かりが照らす3つの像を見上げる。マーシェの結婚式は、王都のこの三神教の教会で行われる。
マーシェのお相手は、熱心な信者ではないものの、この世界では一般的なアウシア教徒だ。そんな相手に対して、マーシェは「結婚式は三神教の教会でする。アウシア教の教会でするくらいなら結婚しない」と言い放ったそうだ。
相手はその言葉をあっさりと受け入れた。アウシア教は三神の存在を否定はしていないから、いいのかもしれないが……お相手は、マーシェにべた惚れなのだろうか?
マーシェはマーシェにとって大事な日を、人族領で私たち魔族を唯一否定しない、ここ王都の三神教の教会で行うことに決めた。そこに込められたマーシェの想いは、痛いほどよく伝わってくる。
真っ暗の教会を見渡す。この教会はあまり大きくはない。隠れて見られるような、そんな都合のいい場所はない。
「どうしよう……」
長いすにもたれかかって、先ほどからそればかりをぐるぐる考えていると、扉の向こうから足音が聞こえてきた。その音に、長いすの裏に転移して身を隠す。
深夜の教会の扉がギィーっと開いて――
「あらぁ? 気のせいかしら……」
聞き覚えのある声が聞こえた。長いすの陰から少し顔を出して覗くと、何度かお世話になった司祭さんが、パジャマのような服を着て、ろうそくで教会を照らしながら、首をかしげていた。
長いすの陰から立ち上がる。
「司祭様。こんばんは」
そう声を掛けると、司祭さんは捜し物が見つかったように優しく笑った。
「寒くはないですか?」
「大丈夫よぉ。おばあちゃんだから」
司祭さんと長いすに並んで座って、三つの像を見上げる。しばらく無言で像を見ていると、司祭さんが口を開いた。
「こんな時間に、どうしたの?」
「すみません。起こしてしまったようで」
「いいのよ」
司祭さんは本当に気にしていないように、優しげな表情で像を見上げている。
「あの。司祭様は私の気配が分かるのですか?」
思い返せば、ここに来たときはいつもすぐに司祭さんが現れた。司祭さんの魔力は、普通の人より少し多い程度だ。魔王の魔力を感知できるほどではないはずだが……
「わかるわ。だって、私は三神教の司祭ですから。あなたほど三神様と結びつきのある人だったら当然ですよ」
司祭さんは当たり前のように笑って答えた。
魔王ではなく、私の存在がわかるのか。確かに、私は三神の下僕のようなものだし、女神リュシュリートとの契約もある。
「それで、今日はどうしたの?」
優しげにそう問われて、少し考えてから、私は正直に話すことに決めた。
「3日後、ここで結婚式を挙げるのは、私の友人なんです。私はその友人の結婚式に出たいのですが……私が、彼女とつながりがあること世間に知られると、彼女の迷惑になる。私は、彼女の人生の足かせにはなりたくはない。
でも、彼女が大事の日の場所として、ここを選んでくれたこと――その気持ちは大切にしてあげたいのです」
私は、どうすればいいのでしょうか。
そう神に問いかけるように、私は像を見上げた。
「つまり、あなただと、周りの人にばれなければいいのね?」
「はい……」
司祭さんはゆっくり立ち上がって、「代わりに持ってくださいな」とろうそくの乗った皿を渡してきた。ろうそくを戸惑いながら受け取って、来た扉とは別の扉に向かう司祭さんのあとに付いていく。
扉をあけると中は倉庫のような場所だった。
「暗いわね……ここに置いていたはずだけど、見つかるからしら」
司祭さんが置いてあった箱をごそごそと探し始めたので、司祭さんの手元が見やすいようにろうそくを移動させる。
「何を探しているのですか?」
「服よ」
司祭さんはそう言うが、箱の中身は全部服だ。
「色は」
「白地に青いラインが入っているわ」
別の箱の上にろうそくを置いて、私も服を掘り返す。私は暗闇でも色が分かる。この中にはなさそうなので、別の箱の中を探し始めた。
これだろうか? 白地に青のラインが入っている。
「司祭様。これですか?」
ろうそくの灯りの下に持っていて見せると、
「あぁ、それよー」
と司祭さんが笑顔で受け取った。そのまま、私に服を合わせてくる。
「大きさは大丈夫そうね。あとベールがあるはずなのだけど?」
ベール? 頭にかぶる奴だろうか。服を見つけた箱のもとに戻り、再び漁ると、それっぽいものを見つけた。
「これですか?」
「ええ、それよ」
司祭さんはベールを受け取って、私の頭に乗せた。
「修道服を着て、ベールをかぶって、口元も布か何かで隠しちゃえば、あなただとは分からないわ。あとそうね、あなたの綺麗な黒髪は少し目立つから、後ろに隠した方がいいわね――これでお友だちの結婚式にも出られるわね」
目の前で司祭さんは、ニコニコと笑っている。司祭さんは「じゃあ、これ」と私に修道服を渡した。
「あ、ありがとうございます」
「いいのよーあと、そうだ。付いてきて」
司祭さんが部屋を出て行こうとするので、ろうそくを持って慌ててあとを追いかける。
司祭さんは、教会のまた別の扉の前に立った。
「ここを開けると、向こうに扉が見えるでしょ? その扉を開けると、外に出られるわ。式の間、あなたはここに立って、もしなにかあれば、ここから出て行けばいいと思うの。あとで私が、あなたには持病があるとでも説明しておくわね」
司祭さんは、楽しそうにしている。
「……どうして、そこまでしてくれるのですか?」
私は抱えてた服を抱きしめてそう聞いた。
「いけないかしら? でも、そうねぇ。私は三神様の頼みは断れないの」
内緒話をするように話す司祭さんの言葉に、あの銀色の女神の姿を思い出し――「わかります」と私は笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
豪華な白色の衣装を着たマーシェが、珍しく静かに微笑んでいる。そのマーシェの見つめる先にいるのは、どっしりとした巨木? そんな印象の、大きくて優しそうな男性だ。
まだ始まってもいないのに、もう泣きそうだ。パメラも今日は高価な服を着て最前列に座っているのが見えるが、慌てて目を逸らす。だめだ、もらい泣きする。この教会の修道女が、始まる前から新婦を見てぼろ泣きしているのはどう考えても、不自然だ。司祭さんの好意を無駄にしないためにも、私は目立ってはいけない。
イスカとアーガル、ラウリィにも見せてあげたかったな……20, 30年後にプレゼントして、もう一度やってもらうか? それはいいかもしれない。それまでには、この世界を今よりも少しだけ魔族に好意的な世界にしておかなければならないが、それは私の仕事だ。頑張ろう。
中央に立っていつもニコニコとしている司祭様の所為で、どこか優しげでのんびりとした空気の流れる結婚式を見つめながら、私はそんなことを考えていた。
結婚式が終わって、招待客が順番に教会から出て行くのを私はぼーっと立って眺めていた。
「アイサ。ちょっと手伝ってちょうだい」
司祭さんが、今日の私の偽名を呼びながら、手招きをしているのが見える。
司祭さんのところに行くと、何も言わずに司祭さんは歩き出した。司祭さんが開けるように促す扉を開くと、
「魔王様!」
花嫁衣装を着たままのマーシェが立ち上がり、私の首に抱きついた。そして私の首に抱きついたまま、「何その格好」と言って笑っている。
マーシェが私から体を離した。
「じゃあ、連れてって」
マーシェは私をからかうようにそう言った。
「『連れてって』ってどこに?」
「そんなの決まってるじゃない! 魔王様、お願い、あまり時間がないの」
『えっ? 今から?』とか、『新郎のことはいいのか』とか、色々聞きたいことはあったが、マーシェの真剣なお願いを私が断れるはずがない。横を見ると、パメラもにこにことしている。どうやらパメラも一枚かんでいるらしい。
「わかった。行こう」
マーシェとパメラの手を掴んで、私の話を聞くために皆が待機しているはずの食堂まで転移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「マーシェ。結婚おめでとう!」
「マーシェ、綺麗ですよ」
「ありがとう。イスカ、ラウリィ!」
女性二人が、幸せそうにマーシェを褒めたたえている横で――わかってはいたが、アーガルは声も出さずに号泣していた。呼吸をするのも辛そうなので、さっきからユーリスがアーガルの後ろで待機して、時折その背中を叩いてあげている。
「また、泣いてる」
マーシェが、アーガルの前に仁王立ちして、呆れた様子でそう言っている。
「マ、マーシェ……」
「はいはい。わかったから。わかっているから」
言葉を必死に絞り出して泣いている大男を、マーシェが慣れた様子で慰めている。
マーシェがくるりと、皆の居る方を振り返った。
「みんな! ごめん、あんまり時間ないんだ! だから簡潔に言うね!」
それだけを元気よく言ってから、「私、わたし……」とマーシェの言葉が震え始めた。そして、マーシェは涙をこぼしながら、顔を上げた。
「私、楽しかったんだ! ほんとうに楽しかったんだ、ここでの暮らし! 今まで、お世話になりました!」
マーシェは笑って、私たちに礼をした。
そんなマーシェを、最後はアーガルがしっかりと抱きしめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マーシェとパメラを連れて教会に戻ると、司祭さんが私たちを見て微笑んだ。
「じゃあ、マーシェ。もし辛くなったらいつでも帰ってくるんだ。いいね?」
「大丈夫よ!」
マーシェは輝くように笑った。マーシェをこんな笑顔にさせていくれるマーシェの旦那とも、いつか話をしてみたいものだ。
「魔王様」
「ん?」
マーシェが真面目な顔で私を見つめている。
「今後とも、お母さんをよろしくお願いします!」
「あぁ、そんなことか。私を誰だと思っているんだ。任せなさい」
必死な顔のマーシェに、そう真面目に答えてから笑った。
そんなマーシェと私のやりとりを見て、パメラが戸惑いながら「マーシェ……」と声を掛けている。マーシェは、今度はパメラの方をまっすぐ向き直した。
マーシェが何かを誤魔化すように自分の手をいじりながら、ゆっくりと口を開く。
「あの、お母さん……この機会だから言うね。
私たちは、あの日から、普通じゃない暮らしを始めて……そりゃあ大変なこともたくさんあったけど、私は悪かったなんて思ったことがないんだ。さっきも言ったけど、私、すごく楽しかった。
だから、お母さんももう悩まないでほしい。昔のことなんて、気にせずに、幸せに暮らしてほしい。だって……だって、私はお母さんのこと、ちっとも恨んでいないもの」
マーシェの言葉を、目を見開いて聞いていたパメラは一度よろめいて、ふらつくような足取りで壁にもたれかかったあと――
天を見上げて、神にすがりつくかのような声で泣き始めた。
私は、かつてパメラが決死の表情で話してくれたパメラの過去を思い出しながら、泣きじゃくるパメラの背中を見つめていた。
「あーあ。マーシェが泣かした……」
「えっ!? 私が悪いの?」
私たちがそんなことを言う傍らで、司祭さんがしゃがみ込んでしまったパメラの頭を、優しく撫でていた。




