49話 魔王、惨状を目の当たりにする
まぶしい。ずいぶんよく寝た気がして、むくりと体を起こすと、猛烈なめまいがして頭を押さえた。寝坊した上に、このめまいは何だ?
そのときやっと、自分が死んだことを思い出した。服を捲って見てみると、お腹の傷はきれいになくなっていて、影も形もない。
「そっか、天国か……いや魔王だから地獄なのかな、ここは……」
どこからどう見ても、自分の部屋だ。初めて見る地獄は、意外と普通の場所だなと感心していると、自分のすぐ近くから、何者かの気配がした。首だけを動かして、ベッドの反対側を見ると――
天使が寝ていた。
(な! な……!)
声にならない叫び声を上げる。
心臓の音が鳴り響く中、目が逸らせないくらい美しい天使をよく見ると、天使はユーリスだった。ただ髪が、ユーリスの綺麗な髪がなくなっている。
そんなことより、どうしてユーリスがここに!?
訳がわからなくて、頭を抱えていると、天使がゆっくり目を開いた。その彷徨う目が私の方を向いたとき、視線がピタリと固定される。
「エーネ……?」
「ユーリス?」
ユーリスの泣き笑いのような複雑な表情をした顔が、私の方に近づいてきて、ユーリスはそのまま私の首に抱きついた。
「エーネ」
ユーリスは温かかった。
私はどうやらまだ生きているらしい。どうやったんだろう? ユーリスの力は私には効かなかったはずだ
でも、何よりも今は。
「ユーリス、ごめん」
私の油断が招いたことで、ユーリスたちにずいぶん心配をかけてしまった。私の首に抱きついたままのユーリスから、そんな気持ちが伝わってくる。
「ユーリス。ありがとう」
ユーリスの頭に触れようと、ユーリスの背中側に手を回したとき――ユーリスが突然私の肩を押して、私から飛び退いた。
「ユーリス?」
「いや、何でもない」
ユーリスはそう言って、私から少し離れた位置で、下を向いている。少し、私がなれなれしかったのだろうか? 子どものころのように,頭を撫でようとするのは良くなかったかもしれない。
ちょうどユーリスが、ステータスが見えやすい距離に座っていたので、何気なくユーリスのステータスを覗く。
「何だよ、これ……」
私が死にかける前と、ユーリスのステータスが少し変わっていた。
『豊穣の女神アイロネーゼからの祝福: 応援しとるで、頑張りや!』
かつてのユーリスにあった忌々しい神からの呪縛が消えて、そんなコメントが書かれた、神からの祝福に変わっていた。
「頑張りや……か」
ユーリスをメッセンジャーのように使うとは、本当にふざけたような神様だ。
今回私は死にかけた。ユーリスが居なければ死んでいた。でも、神にそう言われてしまったら、そう願われているのなら――
「頑張りますか」
私はどうしようもなく、あの美しい女神に甘かった。
「エーネ?」
ユーリスが、緑の瞳で私の目をのぞき込んでいる。
「あぁ、ごめん。ちょっと考えごとをしていた」
「体に変なところはない? 少し触れるよ」
ユーリスが、私のお腹に手を伸ばす。
「ユーリス。少し血が足りなくて、ぼーっとするけど、大丈夫だよ」
「あの怪我は全部治ってる。でも、今日は一日安静にしておくこと。いいね」
「わかりました」
ユーリスは私を見上げて、笑った。
「じゃあエーネ。僕は自分の部屋に戻るよ。あのとき確かにここで倒れたけど、何で誰も僕の部屋に運んでくれなかったんだ……」
ユーリスはそう言って、ベッドから立ち上がった。ユーリスの長かった金色の髪は、ばっさり切り取られていて、いまはもうない。
「ユーリス。その髪は……」
「あぁ、色々あって。あとで、パメラに整えてもらうよ」
ユーリスは、自分の短い髪先をつまんでいる。
「ユーリス。また伸ばすよね……?」
短い髪もよく似合ってはいるが、せっかくあんなに綺麗な色の髪なのだ、勿体ない。必死な目でユーリスを見上げていると、ユーリスは私を静かに見つめ返した。
「いや……もう伸ばさない。僕の髪は、アイロネーゼ様に差し上げたから」
ユーリスはそう言ったあと、もうすっかり大人の表情で、さわやかに笑った。
あの女神め! 何て強欲なんだ!
ユーリスが部屋を出て行ったあと、ベッドの上で枕を抱えてじたばたしながら、私は神に文句を言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「エーネ様?」
扉をノックする音にベッドに体を起こすと、パメラとラウリィの姿があった。
「エーネ様!」
こちらに駆けよってきたパメラが私の手を握って、いきなりほろほろと泣き始めた。まずい……マーシェに怒られる。
「パメラ、ごめん。心配かけて本当にごめん。私が悪かったので、お願いだから泣き止んでください」
「もう、何ともないのですか……?」
「うん、すっかり治った。ユーリスのおかげだ」
ねっとパメラの顔を笑顔でのぞき込むと、パメラが私を見て少し笑ったあと、目元の涙を拭った。
「もう二度と、こんなことはしないでください」
「う……約束します」
先生に怒られてシュンとしていると、パメラの後ろで静かに立っていたラウリィが目に入った。ラウリィは、何というか、いつも通りだ。
「ラウリィも、心配掛けてごめんね」
「御身は大事になさってください」
「すみません……」
ラウリィにいつも通り頭を下げる。そう言えば――その存在を思い出して、少し血の気が引く。
「ら、ラウリィ。あのさ……あの手紙……」
「ご命令通り、皆に配りました」
「えっ!?」
「私も読みましたので、皆、もう読んだのではないでしょうか」
「えっ!?」
自分の遺書――自分がこの世界にいなくなってから読まれることを前提に書かれたあの手紙。その内容を思い出して、穴があったら入りたいほど恥ずかしい気持ちになった。
うわー! だって、まさか、こんなことになるとは。いや、あのまま死にたかった訳ではないけれど。
「返してもらえないよね……?」
「魔王様が、一度臣下に与えたものを、取り上げるのですか?」
「ですよね……」
ラウリィはいつも通りに見えるが、ものすごく怒っているらしい。それが、よく伝わってきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
皆の顔が恥ずかしくて直視できない中、パメラが作ってくれた軽めの昼食を食べたあと、転移で執務室まで戻ると、壁に大穴が空いていた。
「え……どういうこと……?」
確かあのあたりは、魔王の隠し部屋にあった美術品っぽい器を飾っていたはずだ。その一角に、大穴が空いている。ここが、一番上の部屋でなければ、崩れているであろう規模の大きさだ。
そして、大穴に気を取られて気づいていなかったが、窓に目をやると窓ガラスがなくなっていて、窓枠も少し外れかかっていた。
我が執務室は、ずいぶん風通しのいいぼろぼろの部屋に変わっていた。
「……」
落ち着こう。確か、死にかけていたときに、何度か轟音を効いた気がする。きっとそのときだろう。
ラウリィとイスカに確認する勇気は、今はない。うん、休もう。
死にかけた私は、再び働き出すために、一時の休息を取った。
4章終わりです。08年から16年の話でした。




