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魔王より、世界へ。  作者: 笹座 昴
4章 想い
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42話 魔王、勇者に同情する


 隣を見るとイスカが笑顔で、たまに訓練のときに使う木刀を2本抱えていた。

「イスカ、それ……」

いや、止めるのは止そう。これを止めれば、木刀が真剣に変わるだけだ。

「じゃあ、行こうか」

「はい!」

イスカとアーガルの手を握って、いつもの丘に転移した。


 今日は、勇者はまだ来ていないな……

「まだ、勇者は来ていないようだ。しばらく待機だな」

私がそう告げると、イスカは鼻歌を歌いながら、木刀の一本をアーガルに渡して、アーガルと打ち合いを始めてしまった。

 止め……いや、本気でやれば折れてしまうから、遊んでいるだけのように見えるし、別に待っている間くらい遊ぶのはいいだろう。

 風が気持ちいい。私は本でも読むか。一度本を取りに自分の部屋に戻り、丘に腰掛けて、本を開いた。


「魔王様。勇者ですぜ」

「うん?」

アーガルの声に、顔を上げると、美しい毛並みの黒馬がこちらにやってくるのが見えた。


「う、馬だ!」


私がそう言うと同時に、なぜか、アーガルにがっしり手を捕まれる。

「アーガル、何?」

「魔王様が、いきなり跳んでいくかと思いまして」

「そんなことしないよ」

やだなぁ、と続ける自分は――自分でも信用できないなと思ってしまった。



「やぁ、久しぶり。レグルスト」

名前は、ゲミグランティアか……名前からして、何て格好良いんだ。いいなぁ。

「魔王。こいつが、魔王に会いたいと言っていた私の知り合いのローディスだ」



「……馬ではない。こちらを見ろ」

勇者の言葉に、目線を黒馬から勇者の横にずらすと、高そうな服を着て、やけに疲れた様子の顔色の悪い男がいた。

「その人、もう死にそうだけど、大丈夫?」

男のステータスを覗くと、HPが120しかなかった。この男の最大HPがどのくらいかは知らないが、成人男性にしては不安になるくらい少ない。そして、攻撃力は26で、黒馬の10分の1以下。大丈夫かこの人。

「あぁ、こいつは滅多に外に出ないからな。揺れない良い馬を用意したんだが、やはりだめだったか……魔王、少し休ませるから、待っていてくれないか?」

勇者は、顔色の悪い男に肩を貸しながら、ため息をついていた。

「いいよ」

会議室まで椅子を取りに帰り、「はい。椅子」と乱雑に椅子を置いてから、勇者が近くの木につないだ馬の側に転移する。


 綺麗な毛並みの黒馬と見つめ合っていると、いつの間にか勇者が隣に立っていた。

「魔王。馬が好きなのか?」

「うん」

間近で見ると何て美しい生き物なんだ。だが――私ほど馬が不要な人間はいないだろうと考えると悲しくなる。

「勇者の白馬もきれいだよね。君が魔王城に来て、不用心にも白馬を置いてどこかに行ってしまったときは、盗むか真剣に悩んだよ。懐かしいなぁ……」

「なんだそれは」

勇者は呆れた様子だ。

「あいつは去年引退したよ。私のために、随分無理をさせてしまった」

「そっか……」

王都侵攻時には、彼が一番頑張っていたからな。いつか会って、お礼を言いたいものだ。

 じゃあ馬も見たし帰ろうかと、言いそうになったが、今日の用事はそういえばそれではない。仕事をするかと、椅子に座ってうつむいている男のもとに戻った。


 私が椅子に座ると、男が顔を上げた。まだ、顔色が悪いが、さっきよりはマシになった気がする。HPも12増えていた。

「大丈夫?」

「少し回復してきたようだ……」

男は息も絶え絶えにそう答えた。

「魔王。私はローディス・ガールベルグだ」

男が名乗る。ガールベルグ? どこかで聞いたことがあるなと、しばらく考え込んでから思い出した。

「西州の領主は、あなたと何か関係があるの?」

「私の父だ」

「へー」

ずいぶんと身分が高い人だ。勇者はその事実を隠しておきたかったのか、男の横で苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。


 男が淡々と口を開いた。

「私は、その権力と金を使って、主に歴史の研究をしている」

こういう正直な人は好きだ。ニヤリと笑みが浮かぶ。

 男がすっと私を見上げた。

「今日は、魔王に聞きたいことがある」

「私にとって興味深い話を持ってきてくれたんだろう? その話を先に聞かせてくれ。面白かったら、私は君の質問に答えよう」

「いいだろう」

貴族と言うよりは、研究者の顔をした男が、話を始めた。


「今から、約1200年前、一人の女が今の西州の小さな村に生まれた。その女は、聖女のような特別な力を持っていたわけではない。だがその女は、神の奇跡と思われるほど、外見と、心が美しかったそうだ。成長するに従い、その外見の美しさは周囲の村の人々を魅了し、その内面の強さは、魔族の侵攻におびえる人々の支えとなった」


 女? これは何の話だ。

 私の困惑など無視して、男は話を続ける。


「女は人々に呼びかけた。

『魔族の恐怖は消えない。せめて人族が互いに協力して、安らかに過ごそう』

と――1200年前は人族間で、まだ争いが続いていた時代だ。女の真摯な言葉は、ゆっくりと世界に広がり、長い年月がかかったが、人族はついに人族間の無駄な争いを避けるようになった。


 女の美貌は長い年月の果てに陰りが見えていたが、人々は女の下から離れようとはしなかった。それどころか、人族の希望となったその女を一目見ようと、人族領の各地から多くの人が集まるようになった。

 女の最期の言葉は、歪曲されている部分が多く、定かな情報をまだ見つけられていないが、女は最期まで、ただ『人族の平和と協力』を願っていたらしい」


「アウシアの話か」

私の問いに、男が頷く。


 はじめは何の話だと思ったけれど、まさかこんな話が出てくるとは。しかも、この男は魔王にとって興味深い話として、今日、この話を持ってきたのだ!

「勇者。この男、最高だな!」

私が「ははは!」と笑うと、勇者は驚いた顔をしていた。


「試すようなことをしてすまなかったよ。面白かったどころか、最高だ。ありがとう」

「お褒め頂き光栄だ」

そんなことなどまったく思っていないように、男は答えた。

「ちなみに、その話にどのくらいの信憑性があるの?」

「アウシア教がその記述を世界から消し去ろうと動いた歴史から、大筋は真実であろうと私は推測する」


 人族の平和を、ただ願った女か。


「命をかけた君に敬意を示して、私で回答できる質問であれば答えよう。質問は何だ」

私が問いかけると、男は背筋を伸ばして、私を通り越してはるか先を見つめたような目をして、口を開いた。

「魔王の目的を。そのすべてを」

そのすべてか……強欲なことだ。


「これまで何度か勇者には話しているけれど、私の目的は『魔族の平和』だ。それがすべてで、それ以外はない」

別に嘘などついていないが、この説明ではこの男は納得しないだろう。現に、男は私の話が続くのを、当たり前のような顔で待っている。


「人族が魔族と敵対するこの世界で、魔族の平和を達成するには、おおむね2つの方法が考えられる。『人族を滅ぼす』か、『人族に、人族が魔族の一員であることを思い出させる』かだ」

「待て! どういうことだ」

勇者が動揺して立ち上がった。男は、私の話を中断させる勇者を冷めた目で見上げている。

 歴史学者を名乗る男に、驚く様子はない。このことは、あくまで私がこれまで得た情報からの推測であったが、間違っていないのかもしれない。


「勇者。君は疑問に思ったことはないか。なぜ、人族という単一の種族が、世界の半分を支配しているのか。そして、魔族に敵対しているのか。なぜ勇者は人族から生まれるのかということを」

「なぜって……魔族と対になるのが人族ではないのか?」


 魔族と人族が敵対しているのがこの世界では当たり前だ。だけど、よくよく考えてみると、人族と魔族の間で何が根本的に異なるのかがわからない。強いて言うならば、言葉が違うくらいだが、それも学べば分かる程度だ。

 現に、私が人族であることに、魔族の皆が気づいている様子はない。


「君たち人族が、一切魔法を使えないのであれば、その定義の仕方もわかる。でもそうではない。数は少ないが、強力な魔法を使える者もいる。

 君たちは、多くの魔族と同じように、私『魔王』が整えた世界の魔力――その恩恵を、受ける立場にある。言葉の定義の問題かもしれないが、それは『魔族』ではないのか?」


 勇者だけではなく、男の方も考え込むような顔をしている。魔王の役割に関する情報は初耳か。

 私は、普段はこれっぽっちも意識をしていないが、ラウリィ曰く、いるだけで魔力の流れがよくなる存在らしい。実際に私が魔王になってから、木の実が増えたり、魔獣がおとなしくなったりしたそうだ。かつて女神が、必死に私を探し出して魔王の仕事を押しつけたのもそのためだ。

 魔王が長期間空位になると、この世界はおかしくなってしまう。


「魔力の流れを整えるために、この世界に必ず必要とされる魔王という存在。できるだけ在位の期間を長くするためなのだろう、魔王は年をとらない。その寿命のない魔王が、暴走を始めたときに止めるための役割が『勇者』――この世界で一番弱くて、数が多く、魔王の暴走の被害を一番受けるであろう種族から生まれる存在――つまり君のことだ

 どういう経緯で、人族が魔族から分離した立場を取るようになったのかは知らない。だが、人族の中から勇者が生まれることと、多少の関係があるはずだ」


 勇者は絶句している。


「話を戻すが、私が私の目的のために人族を滅ぼそうすれば、人族の中から先代魔王を殺したような、強力な勇者が現れて私を殺すのだろう。それに、天災以外の方法で一種族を全滅させるなど、限りなく不可能だ。したがって、この手段は取れない。

 となると、私に取れる手段は、『人族に、人族が魔族の一員であることを思い出させる』こと――つまりは、魔族と人族の垣根をなくすことだな。今、私がやっていることはそういうことだ」


 私は、私が求められていることよりも話しすぎている――それは分かっていた。

 だが私は、やっと人族に、話す機会を得たのだ。


「人は、己に関係する何かを、突如変えようとするものに対して抵抗する。特に、アウシア教のやつらの考えを変えるのは、並大抵の努力ではできないだろう。

 だけど、そんなやつらの考えを、どうして、馬鹿正直に変えてあげる必要がある? 私たち魔族の寿命は、君たち人族よりも遙かに長いんだ。私は、私の目的に抵抗する奴らの考えを、いちいち変えてあげるなんてことはしない。変えてほしくないやつらは、変えなければいい――私は、その寿命まで待ってやろう。

 孫、ひ孫。はるか下の世代になって、いつの間にか世界が変わっていればそれでいいんだ」


 アウシア――魔族の滅亡ではなく、人族の平和だけを願った女。

 その女が死んで、すがるものをなくした人々の欲望と恐怖――ドロドロした感情から生まれたものが、アウシア神か。


 永遠なんてものはない。一人の人間の願いなど、時間と共に、都合の良いようにねじ曲げられる。

 それをぶち壊すんだ。長い時間をかけて。


「私の目的は、ざっとこんなところだな」

もう完璧に話しすぎていたが、別に秘密でもないし、いいだろう。


 語り終えてすっきりとした気分で、視線を男の方に移すと、男は下を向いてわなわなと震えていた。

 私がびくっとするくらい、男は急に立ち上がり、私の方にずんずん歩いてきて、イスカに刃を首に突きつけられるのも気にせずに、男は私の手を取った。

「情報提供感謝する。私は今すぐ帰って、調べたいことができた」

「よかったね」

呆れて答えると、男は立ったまま明後日の方を向いて、ぶつぶつ何かを言いながら考え込み始めた。


 男が完全に己の世界に埋没する前に、聞きたいことを聞いておこう。

「あのさ、知ってたら教えてほしいんだけど、ゴブリンの記述がアウシア教でいつ出たか知っている?」

反応がないので「おーい!」と耳元で叫ぶと、男は私をゴミのような目で一瞥してから、機械のように「289年前」と答えた。

「ありがとう」



 男はもう誰のことも見ていない。

 変な男だが、ずいぶん面白い話が得られた。今日は楽しかったし、帰るか。そう笑顔で振り返ると、

「魔王様。話、終わりました?」

イスカは私の真後ろにいた。

「あぁ、終わったけど……」

勇者の方に目をやると、勇者はまだ頭がパンクしたような顔で、硬直している。

「わかりました! 行ってきます」

私の言いよどんだ言葉の意味が、イスカには正しく伝わらなかったようだ。


 勇者が、イスカが投げた木刀を反射的に受け取った。目の焦点が合って、やっと自分に近づいてきていた敵に気がついたようだった。

「勇者。くんれん。けがしない。いい?」

「えっ。あ、あぁ」

イスカの片言の人族語に、勇者は――頭がまだ動いていないのだろう、流されるように頷いた。


「“イスカ! 怪我させない、怪我しない! わかったな!”」

「わかってる。まおうさま」

イスカが笑顔で空に移動した。



「おう。やってる、やってる」

椅子に座って空を見上げるアーガルの隣に座る。

「アーガルはいいの?」

「わしは、酒の方がいいです」

戦わせたくなければ、酒を持ってこいという意味だろうか。

「用意するよ」

「理解のある王様で、わしは幸せです」

お酒を期待してだろう――そのホクホクとした笑顔に苦笑する。

「現金だなぁ。で、アーガルから見て、勇者はどう?」

「わしが、以前戦ったときよりはずいぶん成長してます。イスカがまっすぐ突っ込むから、避けやすそうだ」

イスカの一撃をくらえば、勇者でもダメージは大きいだろう。それを勇者は最小限の動きで避け続けている。イスカは、そんな勇者の周りを、汗をかいて,満面の笑顔で飛び回っていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「お疲れさま」

勇者は少し服を汚した程度だが、イスカの方は汗だくだ。前髪が額に張り付いてる。

「魔王様、楽しかったです! また、してもいいですか!」

「それは私ではなくて、勇者に言ってよ」

イスカが、隣の勇者の方を向いて、片言の人族語と身振り手振りで、自分がいかに楽しかったか、もう一度やりたいかを説明している。

 話の内容は荒っぽいけれど、私が見たかった世界が見えるような気がして、何だか微笑ましかった。



 勇者が馬を牽いて「おい、ローディス帰るぞ」と必死になってあの男に話しかけている。

 話しかけられた男が勇者を見る目は――路傍の石ころを見るときでさえ、もう少し優しい目をするんじゃないかなと言いたくなるような、無慈悲な眼だった。


 揉めている二人を放って、先に会議室に椅子を戻す。再び丘に戻ってくると、あの男が、転移してきた私をじっと見つめていた。

「魔王。私も送ってくれ」

「おい! ローディス!」

「転移先の地図なら描こう」

男は懐から紙を取り出して、さらさらとそこに図面を描き始めた。


 男の後ろから、男が描いているものをのぞき込む。よく知っている、そのシルエットは王城か。

「王様が寝泊まりするのは、どこ?」

「それは、ここだ。この建物の3階にある。王の部屋からの隠し通路はここを通っていて、出口はここだ」

ぺらぺらと機密をしゃべる男に、「あはは!」と笑いが止まらない。ほんと、最高だなこの男。

 勇者は、諦めたようにだらりと手を下げて、うつむいていた。

「ローディス。参考になったよ、ありがとう」

「感謝の言葉などいいから、ここの2階の角にある私の部屋まで連れて行け」

「日が沈んでからならいいよ。一度上空から、正確な位置を確認しなければ、直接転移は不可能だ」


男は空を見上げてから、うつむいている勇者の方を向き直した。

「レグ。私は魔王に送ってもらうから、先に帰っていいぞ」


 勇者のことが心底気の毒になって、しばらく笑いを堪えていたが、私の努力はそう長くは持たなかった。



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