41話 魔王、悪徳商人のように笑う
「イスカ、アーガル、何をやっているの……?」
ユーリスが、中庭で、小さな棒を一生懸命振っている。その横に、魔王軍将軍の二人が中腰で待機していた。
「魔王様、聞いてください! ユーリスが剣を覚えたい、と!」
イスカが私を見上げて、鼻息荒くそう言った。
うん。見ればわかる。
ユーリスが息を切らして、私を見上げた。
「エーネ、おはよう! イスカとアーガル、凄く強いんでしょ? 二人に教えてもらったら、僕きっと強くなれるよね? 僕、頑張るんだ!」
ユーリスに昨日の時点で敗北していた私に、二人をとやかく言う資格はない。
たどたどしい魔族語で、あんなことを言われてしまったら――見てはいないが、二人がユーリスに撃墜されるのはきっと一瞬だったのであろう。
「ユーリスはまだ8歳だ。体が成長するまで、激しいことはさせてはいけないよ」
「魔王様。心得ております!」
アーガルのその自信満々さが、まったくもって信用できない。
この件は、私の責任でもある。ときどき見に来ようと、心の中で誓った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もう深夜だというのに、東州領主アルフレッド・ウェルスは執務机に小さな灯りだけを付けて、黙々と仕事をしていた。
「こんばんは。ウェルス卿」
私が後ろから声を掛けると、領主は静かに振り返った。
「ご無沙汰しております。エーネ様」
どんなに驚かそうとしても、もうこの人は驚いてくれない。また負けた気がして、転移で領主の正面に回った。
「あぁ、座ったままでいいよ。それにしても、ずいぶん遅い時間まで仕事をしているね」
「はい。ですが手配はおおよそ終わりまして、人や物などの輸送段階に入りました。これが一段落つけば、少し休めるでしょう」
「ウェルス卿、押しつけてしまってすみません」
米作りのための沼地開拓団など、人を送ればできるだろうと軽々しく提案してしまったが、実際始めるとなると、まずその地で暮らすための住まいや食べ物の手配から考えなくてはならず、やらなければならないことは山のようにあった。
転移を使ってもよければ、私も手伝えるのだが、領主が魔王と繋がっていることをまだおおっぴらにすることはできない。
つまり私は、ここ一年、これに関するすべての仕事を領主に丸投げしていた。
申し訳なさでいっぱいになっている場合じゃない。目的を果たそう。
「ウェルス卿、今日は別の稲を見つけて持ってきたんだ」
これだ、と握っていた稲をウェルス卿に手渡す。
「他のものよりも、茎が少し太いですね」
「だろう? それは、魔族領南東の海岸近くで見つけたんだ。育てやすかったり、実の数が多かったりしたら、交配させて品種改良できるはずだから、それも育ててみよう。期日までに、集めておくよ」
「ありがとうございます」
「ウェルス卿、今日の用件はそれで終わりなんだけれど、ちょっと世間話というか、相談事があるんだ。時間はいいかな?」
「もちろんでございます」
領主はお世辞ではなく、少し興味がありそうな顔をしている――この目は、商売人の目だ。
椅子を持ってきて、領主の向かいに置いて座る。
「魔族領にときどき冒険者がやってきて、殺さないように叩き返しているんだけれど、彼らが魔族領に来る理由が、最近『男のロマン』ってやつであることが判明してね。
こういう人たちを、止めるのって、どうすれば良いだろう。何か良い案はあるかな?」
ちなみに相手が魔族であれば、まず食べ物で吊る。それで断られたら諦める、だ。大抵のことはそれでうまくいく。
「……そうですね。彼ら冒険者は、自分のためだけに生きている者が多いですから、止めるのは至難の業かと……答えになっておらず、申し訳ございません」
人族のことなら、人族に聞けと、私が知る中で人族について一番熟知している領主に聞いてみたが、その領主でも難しそうな顔をしている。
「いや、いいんだ。やはり難しいか……」
「エーネ様、ご質問なのですが、魔族領に人族が来られては問題になることがあるのですか?」
ん? だって自分の家の近くに知らない人が急に現れたら怖いじゃないかと考えて、そう言えばもう国境付近に誰も住んでいないことを思い出す。
「そうだな。国境付近の誰もいない地域で遊んで帰るくらいだったら、誰も困らないかな」
魔族領の入り口あたりに『これより先、立ち入り禁止』の看板でも立てようか?
「エーネ様、そもそも魔族領に行くほどの腕のたつ冒険者の数はあまり多くはありません。止められないのであれば、何か有効活用はできませんか?」
「有効活用?」
「例えば、これです」
領主は、今日私が持ってきた稲を指さした。
魔族領は人口密度がかなり低いため、まだ、何があるかもよく分かっていない辺境も多い。
「そうだな……タダで冒険してくれるっていうならば、何か私たちにとって良いものを探してもらうのも手かもしれない」
私は、人族にとって価値のあるものについて、あまり詳しくはない。
これはまだまだ先の話だが、いつか人族と交易を行う予定だ。将来的に人族領から米や卵を買うにあたって、人族にとって価値のあるものを把握しておくのに良いかもしれない――私は卵かけご飯が腹一杯食べたいのだ。
「ウェルス卿。『冒険者を使ってみる』という路線で考えてみるよ。非常に参考になった。ありがとう」
「価値のあるものがありましたら、東州に優先的に回して頂けると嬉しいですね」
「わかった」
お互い、ふふふと悪徳商人のような顔で笑った。
「ウェルス卿、開拓はいつ頃始められそう?」
「輸送して、家を建ててからですから、あと8ヶ月くらいかと」
「わかった。これからもよろしくお願いします。じゃあ、今日は帰ります」
私が椅子から立ち上ると、領主も立ち上がった。
「エーネ様、お待ちください。レグルストから手紙が届いております。こちらです」
領主が引き出しを開けて、中から封筒を取りだし私に手渡す。
「なんだろう? とにかく受け取ったよ。ありがとう」
「では、エーネ様、私からのご用件はそれだけです。また、いつでもお越しくださいませ」
「またね」
頭をさげた領主に手を振ってから、魔王城に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
自分の部屋に戻ってから、『エーネ様』と宛名が書かれた勇者からの手紙を、ナイフで開封する。
『君に会いたいと、知り合いがうるさい。
火急速やかに、返信を頂けると、私が助かる。
レグルスト・ルーベル』
何だこの手紙は――
勇者の苦労が浮かぶ文章に苦笑しながら、引き出しから綺麗な紙を取り出して、筆を執った。




