40話 魔王、冒険者になる
国境警備隊は、国境沿いの村々がすべて引っ越したあとも、規模を小さくして続けていて、時々冒険者を捕獲している。私が殺すなと命令しているので、荷物だけをもらって、殺さずに送り返すのだけれど、たまに強い冒険者もいて、怪我をする者が現れることがある。
国境警備隊の面々は、もはや血の気の多い魔族しか残っていないので、強い冒険者が来たときは大はしゃぎだし、ユーリスが来てくれてからは、ユーリスがきれいに怪我を治してくれるので、あまり問題にはなっていないが、それでもな……
冒険者がこうも定期的に魔族領に訪れるのは、冒険者を送り出す冒険者ギルド自体に何かあるに違いない。
米づくりが始まるまで、時間もあるし冒険者ギルドを見に行ってみるか。だが、冒険者たちは一般人よりも魔族と会ったことがある人が多いため、まだ人族語を流ちょうに話せないラウリィたち魔人族を連れて行くと、正体がばれる可能性がある。
私一人で行かなければならないのが、難点だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここかな」
盾と剣が向かい合う絵の看板が掲げられている建物を見上げる。
突っ立っていても仕方ない。どこの店でも売っているような安物の装備を身につけた自分の姿を見下ろしてから、目の前の扉を開いた。
「こんにちは……」
「どうもー!」
へっぴり腰で挨拶をすると、正面の受付カウンターから、ギルド嬢の元気な声が返ってきた。
朝早くに来たため、狙い通り冒険者の数は少なかった。徹夜明けと見られる、疲れて眠そうな顔をしたグループが、奥のカウンターで換金をしている。二人組の冒険者が、大きな掲示板を見上げて、話し合っていた。
ちょうど、手の空いたギルド嬢もいるし、私に気づいた冒険者もいない。今のうちだ。
「あのー、私今日が初めてで、貧乏な家を助けるために冒険者になりたいんですけど、あまり強くはなくて……」
「採取などの仕事もありますし、身の丈にあった仕事を受けてもらえれば大丈夫ですよ」
笑顔のギルド嬢のその言葉にほっとする。
ギルドに行くにあたって、客として行くか、冒険者になるか悩んだが、私が客として行った場合、冒険者は私とあまり話をしてくれないかもしれない。私が冒険者になるとして、冒険者試験などがあるのであれば、弱い私はその時点で失格になる可能性が高いが、その必要はなさそうだ。
「よかった。では、冒険者登録をお願いします」
「はい、承りましたー。あ、でも、魔獣はそれで大丈夫なんですが――くれぐれも冒険者には気を付けてくださいね」
私よりステータスの低いギルド嬢が、私に向かって可愛くウインクした。この分野に関しては、目の前の若い女性の方が私よりも100倍は強いだろう。
「は、はい。用心します」
姿勢を正して、答えた。
「文字の読み書きはできますか?」
「はい」
「ではこれを読んで、よければここに名前を書いてください」
渡された紙に目を通す。人族語を読むのにはまだ慣れていないが、平易な言葉で書かれているためか、私でもそれほど時間がかからず読むことができた。
この紙の内容を一言でまとめると、『あなたが死んでも、ギルドは責任をとりません』だ。
右下の署名欄に、『エーネ』と最近では手が覚えてきたサインをした。その紙をギルド嬢に返す。
ギルド嬢は、私のサインを見て、うーんと考え込んでいる。
「達筆で、お名前を読むことができないのですが、お名前を教えてもらえますか?」
げっ、さっそく魔族語で書いてしまった。
「すみません。書き直します」
「いえ、お名前を教えてくれれば、それで大丈夫ですよ」
笑顔でそう言うギルド嬢に「エーネです」と名乗った。
「では、エーネ様、指を貸して頂けますか?」
指? 本人確認のために指紋でも採るのだろうか――言われた通りに親指を出した。
「はい、ではこの枠の部分に触れてー」
インクを付けるのかと思っていたが、そんなこともせずに、先ほどサインした紙に出した指を押しつけられる。
「はい。これで完了です。紙から、指を離していいですよ」
ゆっくり指を離すと、紙には親指の指紋ではなく、私の親指と同じ大きさくらいの、黒で塗りつぶされた円が現れていた。何だろうこれ。
ギルド嬢を見上げると、紙を持って、現れた黒丸を黙って見ている。
「エーネ様は、魔法が得意なのですか? 枠一杯、塗りつぶされた魔力紋を見たのは初めてです」
ギルド嬢は素直に感嘆した様子だが、「(ま、魔力紋って何だよ……?)」私はそれどころではなかった。
「魔法は使えませんが、才能があるのなら嬉しいです……」
なんとか誤魔化すための言葉を絞り出して、
「そうですね。講習もやっているので、受けてみればよいかと思いますよ」
もう帰ろっかな……とまだ何もしていないのに、心が折れかけていた。
ギルド嬢から渡されたドッグタグのような冒険者タグを首から提げる。
冒険者ランクというものが、上からA、B、C、D、Eとあって、それぞれタグの色が金,銀,黒,褐色,赤橙色と異なるらしい。E級の私は、タグの色が赤橙色だ。
これまで、冒険者からかっぱらったコレクションの中で、タグの色が違ったものがあったのはそういう意味かと今日初めて知った。
「すみません。冒険者の仕事について勉強したいのですが、何か資料はありますか?」
「珍しいですね。あちらにありますよ。誰も読まないので好きなだけ見てください」
ギルド嬢が笑顔で指さした方向に、大きな本棚があった。
本棚に向かうと、さっそく『魔族学』という面白いタイトルの本を見つけた。本棚の前の豪勢なソファーに腰掛け、わーいと本を開く。
『悪魔。
討伐ランクS。魔族領の奥地に住んでいると言われているが、詳しい生息地は不明。
翼があり、飛行する。多種の武器を使用するが、主には槍。雷、火の魔法を好んで使い、その威力もきわめて高い。
好戦的な個体が多く、ウイントルース大戦においては、一体の悪魔により、一大隊1000人が壊滅。いかなる冒険者であれど、準備なしに遭遇した場合は逃げることを推奨する。
悪魔と出会って生きて帰る冒険者が少ないため、魔族の中でも一番情報の少ない種族である。』
悪魔、鬼、竜人と、討伐ランクSに私にとってはおなじみの種族が続く。猫人族がAで、犬人族でもBランクあった。
楽しい。まさか、魔族について書かれた本が、こんなところで読めるとは!
何度か、誰かが私に声を掛けてきたような気がするが、言葉が頭まで入ってこなかった。夢中でページをめくる。
それにしても、精霊族はもちろんのこと、エルフも見当たらない。まさか、人族はあの女性が美しい種族を知らないのか? エルフの森は結界が張ってある上に、エルフ自体も滅多にあの森の中から出てこないので、確かに見つけるのが難しいと言えばそうか……
うーん、面白かった!
最後まで読めたので本を畳んで、ふーっと息を吐いて前を見ると、向かいの席で装備の手入れをしている赤髪の男性がこちらを見ていた。タグは銀色だ。まったく気がつかなかった。
「読み終えたのか?」
「えっ? は、はい」
男性が広げていた装備をテキパキと片付けて、身につけてから立ち上がった。
「楽しそうに読んでいたが、何が面白いんだそれ。じゃあ、飯食いに行くぞ」
えっ、誰? 私の言葉は捨て置かれて、引きずるように外に連れ出された。
お昼の時間からずれていたためか、空いていた飯屋で出された珍しい東州の料理に食いついていると、先に食べ終わったらしい目の前の冒険者がほおづえをついて私を見つめていた。
「名前は?」
「エーネ」
「エーネ、お前結構食うな……」
目の前の冒険者が、心配そうに自分の財布の中を確認している。
「自分の分は、自分で出しますよ」
「お前な。そんなわけにいくか」
呆れた様子でそんなことを言う冒険者が身につけている、銀色――B級の冒険者のタグを見つめる。そこに書いてある文字と、ステータスの名前欄を見比べて間違っていないことを確認する。
「ジストさん、そのかわりに聞きたいことがあるのですが」
「何だ?」
何でも聞いてくれと言わんばかりの、自信たっぷりの様子の高ランクの冒険者――まさにうってつけの相手の方から、わざわざ私に話しかけてくれたことに感謝した。
「ジストさんは、B級冒険者ですよね? 魔族領には行ったことがありますか?」
冒険者は、機嫌の悪そうな顔をした。
「なんだその話か。さっきも魔族の本を読んでいたな……E級なのに興味があるのか?」
「はい」
そう答えて、心から笑顔になった。
「もちろん行ったことはあるぞ」
自慢気なその男に、「仕事ですか?」と確認すると「いや」とあっさりとした返事が返ってきた。じゃあ、何のために。
混乱していると、目の前の男が堂々と口を開いた。
「冒険者なんだから、未知なる世界へ冒険するのは当たり前だろう?」
「はっ?」と、一瞬素の反応をしてしまってから、
「何か、魔族領に関して、新しい情報を手に入れれば報酬が貰えるのですか?」
と言い直した。
「エーネ、夢がないな。そういうことは金じゃねーんだよ」
なぜか私に説教するように、得意げに語るその男に、
(今度から生かして返すのは、止めよっかな……)
黒い考えが一瞬頭をよぎった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
国境沿いに村々があったうちに頻繁に来ていた盗賊のような男たちは、本当に盗賊だったらしい。冒険者は関係がないそうだ。
それで冒険者の方は、冒険者ギルドに『魔族領で魔族討伐』なんていう依頼が張り出されることはないらしく、基本的にロマンのためだけに魔族領に行くそうだ。まさか命がかかっているのに、そんな理由だとは思ってもみなかった。
ギルドの掲示板に張り付くまでもなく、今日はいろんな情報が得られて有意義な一日だった。
それにしても、ロマンか……
「エーネ。これからどうするんだ?」
金の問題であれば、まだなんとかなったのに……
「うん、もう帰るよ」
沈みつつある夕日を見て答えてから、敬語を使うのを忘れていたと、少し焦る。
隣の冒険者を見上げると、「まぁ……そうだな」とつぶやいていた。
「エーネ。ランクが違うから、仕事は手伝えないが。何か困ったことがあれば俺に言え」
内容はともかく、この男が助けになったのは事実だ。慌てて頭を下げる。
「ありがとうございます、ジストさん」
「またな。しょうもないことで死ぬなよ」
それはお前の方だと、言いたくなった口を押さえつけて、笑顔で手を振り返した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「エーネ。それなあに?」
犬人族の村までユーリスを迎えに行くと、ユーリスが私の首元を見ながらそう聞いてきた。見下ろすと、自分の冒険者タグが見える。そう言えば、首に掛けたままだった。
取り外して、ユーリスに渡す。
「これは冒険者タグだ」
「エーネの名前が書いてある! エーネ、冒険者になったの!? すごいね!」
ユーリスは私から受け取った冒険者タグを自分の首に掛けて、キラキラとした目で、赤橙色のタグを掲げて見ている。
「すごいな……」
E級の冒険者タグにそんなに感心されると、何だか逆に恥ずかしくなってくる。男の子は、やはりそういうものに憧れるのだろうか。
「憧れるんだったら、ユーリスも将来冒険者になってみればいいじゃないか」
そう笑顔で言ってから、今日会った冒険者のことを思い出して「あっ、やっぱ今のなし、なし」と否定する前に、
「僕、聖女だよ? 冒険者になれるのかな?」
ユーリスが期待と不安が入り混じった顔で、胸元で冒険者タグを握りしめながら聞いてきた。
「魔王がE級冒険者になれるんだ。聖女がA級冒険者でも、おかしくはないさ」
私は性懲りもなく、そう自信満々に断言した。
「そうかな……? なれるかな?」
「努力すれば、きっとなれるさ」
私の言葉に花咲くように笑ったユーリスの顔をしばらく眺めてから、我に返る。
「またやってしまった」と心の中の自分が頭を抱え始めたが、後の祭りだ。




