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復讐火葬  作者: SATOSHI
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三十二章『ただ一つを望む者たち』 その1

 品川駅周辺は、戦場と化していた。

 銃器が火を吹き、弾丸が行き交い、異能の情動力が咲き乱れる。

 高層ビルが並ぶ近未来的な街並みは段々と損壊が目立ち始め、何十何百と人が傷付き、死んでいく。


 いつも有明で行っているような、仮想空間での試合とは違う、コンティニューの存在しない殺し合い。

 そのような完全なる非日常真っ只中に身を置いていたにも関わらず、波照直宣は退屈していた。

 港南口北東にある石畳の広場の隅で、他者を殺傷せず、破壊工作にも加わらず、未だ傍観者の立場を貫いていた。


「おい、貴様! さっきから何をしている!」


 当然、そんな振る舞いを見て、周囲が何も咎めてこないはずがない。

 近くにいる"同志"が喚き散らしてくるが、波照は取り合おうともしない。


「休憩してるんですよォ。何せ体調不良なもので」


 気怠く手を振り「あっちへ行け」という意思表示だけを示す。

 確かに、体調が芳しくないというのは一応事実ではあるのだが。


「くっ……覚えていろ! この戦いが終わったら、貴様のその態度、上に報告してやるからな!」


 同志がそれ以上厳しく追及しなかったのは、ひとえに波照の不気味さ、底知れなさを恐れているためである。

 加えて、彼が有明コロシアムのSクラス闘士であるという事実を知っており、戦っても勝てないと分かっていた。

 結局、自分だけが銃を携え、前線へと向かっていった。


「……果たしてその時まで組織が残ってますかねェ? クックッ」


 それを見送り、聞き取れないほどの小声で呟く。


 波照が血守会に入ったのは、彼らの理念に共感したからではない。

 まるで無関係の、もっと個人的な理由であった。


「早く来て下さいよォ……ボクのコト、とっくに知ってるはずでしょォ?」


 ブツブツと独り言を漏らしながら、周囲を見渡す。

 波照の望みは、ただ一つだけ。

 それを果たすためだけに、わざわざテロ組織に加担したのだ。

 血塊が現れようと、劣勢に追い込まれようと、あるいは結界が破壊されようと、知ったことではない。




 波照の望みは、遠からず叶えられることとなった。


「波照直宣」


 血塊の出現によって、劣勢だった戦局が再び血守会側に傾き始めた時、道路の向こうから名を呼ぶ声がした。

 その方向を振り向いた波照の顔が、見る見るうちに輝きを放ち始める。

 デートで恋人の到着を待っていた男のようだった。

 今までスローペースで脈打っていた心臓が、段々と弾むように高鳴り始める。

 熱い血が全身を駆け巡り、闘争の遺伝子が目を覚ましていく。


「はァい?」


 高揚感を多分に孕んだ声色で、波照が答えた。


「EF格闘技闘士・宗谷京助だ。闘士の名を汚す不届き者を粛清に来た」


 有明コロシアムで行われているEF格闘技。

 そこで無敗の王者として君臨し続けている男・宗谷京助が、品川に出征してきた。

 精悍な容姿から鋭いオーラを放ち、波照を突き刺す。


「……クックックッ、相変わらず真面目なことで」


 波照は、恐怖心を抱くどころか、不気味な含み笑いを漏らすばかりだ。

 当然である。宗谷こそ、彼が一日千秋の思いで待ち焦がれていた人物なのだから。


「お待ちしておりましたよ、王者様。ボクが送ったメッセージ、受け取ってくれたようだね」


 波照は、血守会がテロを実行したのと同時に、有明コロシアム内の事務所へ"蟲"を飛ばし、メッセージを送った。


『品川駅周辺にいる。ボクを捕まえてみろ、王者様』


 事務所はすぐに宗谷へ連絡、それを港区白金の自宅で受けた宗谷は、直ちに品川へ行くことを決定した。

 この時点で、血守会が山手線各駅に攻撃を仕掛けていることを緊急速報で把握していたが、迷いはなかった。

 反社会的組織に加担した闘士は、同じ闘士が始末しなければならない。

 という掟は存在しないのだが、彼の精神を大きく占める"誇り"がそうさせたのだ。


 白金から品川駅東側まで直線距離でおよそ二キロと、近距離なのも幸いして、すぐに到着することができた。

 全国的な規模で宗谷の名が知れ渡っていることもあり、警察に事情を説明し、市街の防戦にも手を貸すと申し出ると、あっさり承諾を得られた。


「さァ、やろうか。あの時も言ったけど、ボクの目的はただ一つ。リベンジマッチ、アンタともう一度戦うことさ。この時に備えて、ボクはもう三日も寝てないし、ロクに食事も取ってないんだ」


 戦いへ臨むにあたり、苛め抜いておいた体をゆらりと揺らし、波照が一歩前へと踏み出す。


 今年の七月十九日に有明コロシアムで行われたSクラスマッチで、宗谷に敗れて以降、波照は常に復讐の機会を窺っていた。

 復讐といっても、ただ相手を倒せばいいというものではない。

 試合と同じような形、つまり一対一の真っ向勝負で宗谷を超えなければ意味がないのだ。


 波照は、試合に勝ち続け、腕を磨き続けながら、その時を待ち続けた。

 しかし、有明という地で再戦の願いが叶うことはなかった。


 波照との戦いに勝利した後も、宗谷は無敗を守ったまま勝ち続け、つい先日、最上位のSSクラスにまで上り詰めた。

 SSクラスの枠は、たった一名。

 ゆえに同クラス間での試合は発生せず、八名いるSクラスの闘士が挑戦する形となり、誰の挑戦を受けるかは王者側が自由に決めることができる。


 宗谷がSSクラスに昇格するよりも前から、波照は彼にアプローチし続けていた。

 だが、宗谷の方がそれに応えることはなかった。

 理由は、昇格セレモニーの時に語った、


「私が挑戦を受けるのは、最も価値のある闘士のみ」


 という発言に集約されていた。

 すなわち、王者でいる間は、最も優秀な戦績を持つ闘士としか戦わないと公言したのである。


 Sクラス闘士の中でそれに該当するのは、波照ではなかった。

 確かに彼は二十を優に超える数の試合に勝利し、唯一の黒星も宗谷につけられたものだけだったが、それ以上に優れた戦績の持ち主が存在したのだ。

 前王者、宗谷に敗れSSクラスから陥落した闘士である。


 彼もまた、先の防衛戦で宗谷につけられた一敗以外、全ての試合に勝利していた。

 そして彼の勝ち星は、波照のほぼ二倍であった。

 彼も宗谷との再戦を望んでいたため、波照の意向どころか、存在さえも無視する形となるようなマッチメイクが行われるのは当然の流れだった。


「アンタがあの時、ボクの申し出を受けてくれれば良かったんだ。そうすれば、こんな面倒なコトにならずに済んだのにねェ?」

「理由はセレモニーの時に言ったはずだ。それに、みだりな私闘を拒むのは、闘士として当然の事だ」

「そう。だからわざわざ血守会なんかに入って、アンタが制裁に出てくるのを待ってたんだ。こうでもしないと動いてくれないだろうからねェ」


 波照は諦めなかった。諦めきれなかった。

 かといって、元王者の男と挑戦権を賭けた試合などしていられないし、そんなことをしていれば更に時間がかかってしまう。

 勝算も戦術も関係ない。一刻も早くリベンジを果たしたいのだ。悠長な順番待ちなどしていられない。


 波照の人並み外れた執念深さと負けず嫌いさ、そして短気さは、常人の斜め上を行く方向へと彼を走らせた。


 波照は、EF格闘技の運営の一部と、血守会が秘密裏に繋がっていることを知っていた。

 運営は血守会に人材の斡旋などを行い、見返りとして裏金を得る。

 基本的に高クラスの闘士へは手を出さないことが、問題の隠蔽にも繋がっていた。


 癒着を知っていながらも、これまでは我関せずを貫いていた波照だったが、あえて自分からコンタクトを取り、"交渉"を行って血守会へ加入した。

 たった一つの目的、宗谷京助との再戦を果たすためだけに。


 SSクラスに上り詰めるよりも前から王者と呼ばれていただけあり、宗谷という男は、高潔な人柄としても知られていた。

 闘士ということに誰よりも誇りを持っていた。

 運営と血守会との繋がりにも薄々勘付いていた節があり、不正の撲滅を率先して呼びかけ、自らも行動していたほどだ。


 波照はそこに目を付けた。

 Sクラス闘士の自分がテロ組織に入り、反社会的行動に関与していることを宗谷が知れば、きっと直接制裁に乗り出すはずだ。

 いや、無理矢理にでも知らせる。"蟲"を使役すれば造作もないことだ。


 そこまですれば、戦う状況を作り出すことができるだろう。

 それに。


「夢幻実体空間なんて、ケチなモノ抜きで戦える……素晴らしい、最高だよォ」


 波照は、現実世界での戦いを好んでいた。

 いくら現実とは変わらない、生々しい感覚を伴うとはいえ、所詮は全て仮想空間上での出来事だ。

 傷付いても、死んでも、空間のスイッチがオフになれば全て元通りに戻ってしまう。


「アンタも思わないかい? 戦いってのは、負ければ体や心が傷付き、プライドや命を失うから価値があるってさァ! ぜーんぶバーチャルでした! ウソでした! ってんじゃァ、脳味噌が鈍っちゃうし、魂が腐っちゃうよォォ!」

「言いたいことはそれだけか。私はただ有明コロシアムの闘士として、貴様を討つ。それ以外にない」

「残念、理解してもらえないかァ。……まァいいや」


 波照はため息をついた後、蟷螂のような構えを取った。


「やろうよ」


 その一言が全てだった。

 理解や共感など、どうでもいい。

 ようやく望みが叶う。

 自分を負かした唯一の男と、現実世界で心ゆくまで戦える。これ以上の幸福はない。

 嬉しすぎて、顔が緩むのを止められなかった。


 しかしここで、宗谷の方に変心が生じる。


「……待て」

「あァ?」

「事情が変わった」


 宗谷が、品川駅の方を見やる。


「まずはあそこの人工生物を破壊するのが先決のようだ。貴様との勝負は後回しだ。もし貴様に一片でも闘士としての誇りがあるのならば、これ以上血守会などに加担せず、黙ってここにいろ」


 宗谷は、周りを取り巻く状況の変化を敏感に読み取っていた。

 駅前に現れた血塊が猛威を振るい、周囲に大きな被害を及ぼし始めていたのである。


「何だとォ?」


 緩んでいた波照の顔が、一瞬にして険悪になる。

 茹で上がったように青白い肌が赤く染まり、大袈裟な挙動と共に怒声を撒き散らす。


「ふざけるなァ! あんなのどうでもいいだろうがァ! 警察や防衛会社に任せとけよォ! 今は! ボクとアンタの勝負だろうがァァッ!」

「片がついたら、場所を問わずに幾らでも相手をしてやる」

「……王者として、二言はないだろうねェ?」

「愚問だ」


 即答される。

 言質を取れたことで、波照からさっと怒りが引いていく。

 舌打ちした後、ニヤリと笑う。


「気位の高い王者様なコトで。分かりましたよ。ただ、ボクも手出しさせてもらうよ。アンタ一人だけを消耗させるのは面白くないからねェ」

「血守会に加担した者の汚れた手など不要だ」

「勘違いしないでもらいたいねェ。ボクはただ、アンタと戦うことだけが目的だったんだ。連中の考えや目的なんて興味ない。だからこそ、こうやって何もしないで、わざわざ後ろの方で待ってたんじゃないか」


 かくして波照直宣は、あっさりと血守会を脱退してしまった。

 宗谷は血塊の破壊、波照は敵構成員の始末。

 役割を決め、即興コンビが品川駅の防衛にあたり始めた。




 二人の参戦、厳密には宗谷の参戦と波照の裏切りは、品川駅攻防戦に大きな影響をもたらした。

 有明コロシアムの闘士の中でも一、二を争う実力者が揃ったのだ。当然といえば当然である。


 彼らが武を誇るのは、夢幻実体空間の中だけではない。

 現実の世界でも何ら衰えを見せることはない。


 血塊の破壊にあたり、宗谷はEFを一切用いなかった。

 彼のスタイルはボクシングだけではない。様々な武芸に精通しており、使いこなせる武器は多岐に渡る。

 血塊相手に選択したのは、近くにいた防衛会社の人間から借りた剣だった。

 名剣の類でもない、量産品の一振りだけを携え、封鎖結界の準備が整うまでの間、宗谷は血塊をズタズタに引き裂き続けるのであった。


 一方、波照の方も、言を違えることなく自らの担当を全うした。

 丸腰のまま、つい先程まで一応の味方だった者たちが集まる場所へと飛び込み、


「すいませんねェ。今日限りで血守会を辞めさせてもらいまァす」

「何だと!? ふざ……!」


 男の言葉がそこで止まった。

 鉄の棍棒よりも強烈な波照の手刀を首に受け、卒倒する。


 内部から突然の裏切りが発生し、血守会側に動揺が走った。

 それが伝播する間もなく、波照がEFを発動させて放った"熱病蟲"により、次々と戦闘能力を奪われ、無効化されていく。


 範囲・感染者共に極めて限定的な疫病の流行は、瞬く間に血守会側の敗北をもたらすのだった。


「……さて」


 奇しくも両者、ほぼ同時に近いタイミングで、互いの受け持ち分を終了させた。

 血塊は消滅し、血守会の構成員も全て無力化。


 ただし、宗谷にとっては協力活動の一部、波照にとっては準備運動でしかない。

 二人の本当の戦いは、今これから始まるのだ。

 

 夢幻実体空間ではなく現実世界で行われる、時間無制限の一本勝負。

 クラスや名誉とも無関係、賞金も出ない。

 あるのはそれぞれのプライドだけ。


 戦いの爪痕を残す品川の一画で、宗谷と波照が向かい合う。

 巻き込まれぬよう、既に人払いは済ませてあり、周囲は無人だった。

 近くにEF格闘技ファンがいたならば、危険を冒してでも観戦したくなるであろう、垂涎ものの好カード。


 図らずも両者が取っている距離は、有明コロシアムで試合を行う時、開始の合図を待つ瞬間と同じ間隔であった。


「始めようよォォォ!」


 一陣の乾いた風が吹き抜けたのを合図に、波照が声を裏返らせて叫んだ。

 無審判無観客のエキシビションマッチの火蓋が、切って落とされた。

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