十一章『復讐火葬』 その1
『検索中心位置:墨田区錦糸町駅前
検索範囲:約三十キロメートル
探知できませんでした。引き続き継続して探索を行います』
携帯電話のディスプレイに表示された文章を見て、瑞樹は目を細めた。
五相は律儀なまでに瑞樹との約束を守り、毎日三回、朝昼晩に欠かさず"検索結果"をメールで送ってきていた。
今日でちょうど一週間になるが、未だ沙織を探知したという報告は上がってこない。
五相は嘘をついているのではないかと思ったこともあるが、今になって嘆いたり、疑ったりしても仕方がない。
他に沙織を見つけ、こちらから先手を打つ手段が思いつかない以上、五相を信じるしかないのだ。
「どうしたの? 難しい顔して」
空になった皿が載ったテーブルを挟んで向かいにいる栞が、瑞樹にそう尋ねる。
「知らない女性から、三億円の遺産をあげるから愛人になってくれってメールが来たんだ」
「そういうのって、本当にだまされる人、いるのかな?」
瑞樹がおどけて言うと、栞は笑った。
上手く誤魔化すことができ、瑞樹は心の中で安堵する。
今は栞とデート中だ。あまり他のことに気を取られていては彼女を退屈させてしまう。
携帯電話をしまい、栞との会話を再開する。
瑞樹は今日、栞に誘われて、二人で花火を見に行くことになっていた。
水道橋駅で昼前に待ち合わせ、近くのレストランで食事を済ませてから昼間は適当に時間を潰し、夕方に会場周辺へ向かうスケジュールとなっている。
瑞樹も栞も、人混みの中にいるのはあまり得意ではない。
が、花火デートという華やかな響き、更には夏だけという限定的なイベントともなれば、参加したいという思いが沸々と湧いてきてしまう。
栞は浴衣姿ではなく普段着だったが、瑞樹は浴衣へのこだわりがないので、気にしていない。
食後、二人はカラオケへ行くことに決めた。
あまり費用がかからず避暑ができ、プライベートな空間が確保できる場所として最適だったのが選択理由だ。
栞は「恥ずかしいから」と、あまり歌いたがらない。
対照的に瑞樹は、歌唱力に少々難があるが、歌うこと自体は割と好きな方である。
"歩く安全"、"ランプス"、"リキッド・アンドロイド"と、好きなバンドの楽曲を、ピッチが外れ気味な声で次々と歌い上げていく。
「わぁ、瑞樹くんすごいすごい! よく高い声だせるね」
恋のフィルターか、気を遣ってか、それでも栞は無条件で褒め称える。
それで気をよくした瑞樹は、ますますマイクを握る手に力を入れ、喉を熱く震わせる。
「ここが結界の外なら、僕の"火吹き"を見せてあげてたんだけどね」
瑞樹の十八番として、"カッス"という外国のバンドの曲を歌いながら、自身のEFを使用して口から火を吹くパフォーマンスがある。
憎しみをテーマにした歌詞の主人公になりきって火を起こすのだ。
作られた物だと分かっているから大した火力は出せないが、周りからの受けが良いので、たまに人前で披露していた。
歌いたい曲をひとしきり歌い終えると、瑞樹も飽きてきた。
マイクを置いて二人密着し、話に興じる。
二人の間で話題に困ることは特にない。それに黙っていても気まずくなることがない。見つめ合いすぎて照れ笑いをすることはあるが。
夕方近くになってカラオケボックスを出、花火大会の会場である江戸川区の東端へ、神保町駅から電車で向かう。
会場は駅から距離があるため、徒歩の時間を考慮すると早めに着いておいた方がいいのである。
会場の最寄りである篠崎駅周辺は、まだ比較的人口密度が低かった。
ピークは過ぎているもののまだ暑さが和らぐ気配はなく、気温は三十度を優に超えているが、雨が降る心配はなさそうだ。
虫よけスプレーを使った後、瑞樹は栞の手を取って歩き出した。
この近辺は道路が細かく張り巡らされている。
今はデジタルの地図があるとはいえ、二人とも土地勘がないため、多少遠回りとなっても大きな通りに沿って行った方が確実だし、安全だと判断した。
江戸川の河川敷まで抜けると、やかましい蝉の鳴き声が多少遠ざかって聞こえてくる気がした。
しかし、代わりに先着している場所取りや、空きスペースを探そうとしている人々が大群を成して土手を覆っていた。
瑞樹たちが今歩いている堤防天端だけでなく、斜面や高水敷の部分にまで及んでいる。
ガンジス川の二、三歩手前だ。瑞樹はぼんやりと思った。
向こう岸、市川市の方も同じような状況なのが、ここからでも見える。
音や光に恐れをなすのか、江戸川区の花火大会開催中に変異生物の襲撃があったことはない。
また開催前は警察や警備会社などが大量の人間を動員し、万全の防御態勢を敷いている。そのためジアースシフト後も変わらずに花火大会は大いに賑わっていた。
道中の屋台でメロンソーダとたこ焼きを買い、ケミカルな水分補給を行いながら見物ポイントを探す。
ベストな位置を探し続けて結局どこにも座れなかったということになっては本末転倒ではないかと、二人は相談した結果、多少難があっても構わないから早めに位置決めをしてしまうことにした。
ランク分けすれば三等席ぐらいだろうが、河川敷斜面の中段辺りにスペースを見つけた。
二人用の小さなレジャーシートを敷き、腰を下ろす。
身を寄せ合うと、互いに虫よけスプレーの微かな匂いが鼻をくすぐる。
時々たこ焼きをつまみながら会話をしている内に、空が段々と暗くなっていく。
人口密度が益々高まる。夜空に大輪の花が咲くのを、今か今かと待ち望む気持ちが、少しずつ胸の高鳴りとなって現れる。
その時、瑞樹の携帯電話が振動を始めた。数
回で途切れず、断続的に続く。電話のようだ。
ディスプレイを見て、冷凍されたように瑞樹の顔が強張った。
そのまま、感情のない声を栞に吐き出す。
「……少し電話してくる」
「瑞樹、くん?」
レジャーシートから飛び出すと同時に、瑞樹は通話を開始していた。
「何かあったんですか」
開口一番、電話越しに質問しながらも、瑞樹は薄々気付きつつあった。
これまでの五相の報告は全てメールで行われてきた。
能力による探知反応がなかったことをわざわざ電話で知らせられても鬱陶しいし、効率が悪いだけだからだ。
しかし、今回は、電話という形を取っている。
それが意味するところといえば――
「……円城寺沙織の反応がありました」
少しの沈黙の後、ノイズに混じった五相の声が聞こえてきた。
人混みのせいか、電波状態が良くないようだ。
「どこですか!?」
瑞樹の声が大きくなったのは、電波状態だけが理由だけではなかった。
「……千葉県、市川市、本八幡です」
モトヤワタ。行ったことはないが、何となく聞いた気がする地名だ。
と、ここへ来る時に乗った電車に、そのような駅名があったことを瑞樹は思い出す。
確か次の駅、終点だったはずだ。
「中島さんは今……江戸川区の上篠崎にいらっしゃるんですね。電車で一駅分ですから、すぐに着くはずです」
「分かりました」
そう言って電話を切ろうとしたが、五相に引き止められた。
「私も同行させて下さい。今度は邪魔をしませんから」
瑞樹が拒絶の言葉を吐こうとするよりも早く、五相が言葉を継いだ。
「私も今、本八幡に向かっています。対象の位置をタイムラグなく、常時掴めた方が便利だと思います」
「……頼みます」
それだけ言って、瑞樹は電話を切った。
既に向かわれている以上、拒んでも無駄だ。
ならば利用した方がいい。油断しなければ不意打ちを食らうこともないだろう、と考えた。
花火が打ち上がるのを待つ高揚感は、既に雲散霧消してしまった。
周囲にいる全ての人間が、まるで別の惑星の生物にすら感じられる。
夢遊病のような足取りで、よろよろと栞の下へと戻る。
「栞……」
「瑞樹くん、すごい顔になってるよ? 何かあったの?」
腰を下ろさず、硬い表情で見下ろしている瑞樹を、栞は心配そうに見上げて言う。
「……ごめん、栞」
瑞樹がまず口にしたのは、謝罪の言葉だった。
今から言い出すことを聞いたら、きっと彼女は戸惑い、傷付くだろう。
それを予想できるくらいの理性はまだ残っていた。
「急用が入って、一緒に花火を見ることができなくなった」
「えっ」
瑞樹の予想通り、栞の顔が驚きから、悲しみを含んだものへと変化していく。
迷いや後ろめたさがないはずなどない。
大切な彼女の楽しみを奪い、裏切る形になってしまったのだ。
しかし瑞樹は目を逸らさなかった。
夏空のように変わりゆく栞の表情をじっと見続け、次の言葉を待つ。
「……理由を、教えてくれないかな」
「家族を殺したあの女の居場所が、分かったかもしれないんだ」
「えっ……うそ……!?」
栞は口元を抑えて声を詰まらせた。予想を上回る驚きようであった。
だが、今の瑞樹にはそれを気にかけているゆとりがなかった。
去来する様々な感情を抑え、淡々と言う。
「だから、今から打って出ようと思う。こんなチャンスは次にいつ来るか分からないから。すまないけど、ここからは別行動を取らせて欲しい」
栞は、手を口にあてたまま、下を向いた。
何か考え事をしているのだろうか。それとも迷っているのだろうか。
急に解散を告げられて怒っているのだろうか。悲しんでいるのだろうか。
それも瑞樹には分からない。
ただ、じれったいという思いだけが、少しずつ込み上げてくる。
早く「分かった」と言って欲しい。
栞がどう答えても瑞樹の決心が揺らぐことはなかっただろうが、ここで別れる罪悪感を幾許かでも紛らわせたかったのだ。
「この埋め合わせは後で必ずするから。今は黙って行かせてくれないかな」
痺れを切らせて付け加えると、栞は、瑞樹の手首を掴んだ。
思いのほか強い力で。
――まさか、妨害するつもりか。
瑞樹がそう思った時。
「…………負けないで」
ぽつりと、砂地に落ちた一滴の水のように、栞の小さな桃色の蕾から、音が滴った。
「もちろんだ」
栞が掴んでいる手の指を一本一本外し、瑞樹は踵を返した。
――邪魔だ! どけ!
そう怒鳴り散らしたい思いをこらえながら、瑞樹は人を掻き分け、流れに逆らって篠崎駅へ向かう。
全力疾走したいができない。
歩くこともままならなくなることがある。苛々する。
直接川を渡って向こう岸に行きたいとさえ考える。
この近辺は歩いて渡れる橋がない上、花火大会の影響で道路が混雑しているため、電車が最も確実で早く目的地へたどり着ける交通手段なのだ。
時折、すれ違う人が迷惑そうな顔を浮かべるが、瑞樹の目には入らない。
彼の頭には、忌々しい沙織の美しい姿だけが描かれており、他人の表情まで気にかけている余裕はなかったのだ。
右手に握っている携帯電話がまた震える。
五相からの連絡が数分間隔でやってくる。
今の所、沙織に動きはないようだ。
だが決して悠長にしていられない。
一秒でも早く目的地に辿り着かねば。
焦燥感から来る熱が、肌に浮かぶ汗を即座に蒸発させてしまいそうだった。
ようやく土手を抜けて歩道に下りた時、瑞樹の真正面にチンピラ風の派手な格好をした三人の若者がぬっと現れた。
瑞樹は咄嗟に横へ身を滑らせて避けようとしたが、肩と肩がぶつかってしまう。
「すみません!」
瑞樹はそう言って走り抜けようとしたが、
「おいコラァ! てめぇ何ぶつかってんだよ!」
ぶつかった若者の大きな怒鳴り声に、反射的に足を止めて振り向いてしまった。
(何だ、こっちは急いでるのに。謝っただろう)
そんな考えが表立って態度に出ていたのか、ぶつかった相手だけでなく、残りの二名も怒りを増幅させた。
「おいチビ! んだよそのツラはよぉ!」
「コイツムカつくからちょっとやっちゃわね?」
「いいねぇ、ちょっとイジメっか」
「おーいボク、ちょっと場所変えようか。あとお小遣い持ってない?」
瑞樹の小柄な体、優等生風の容貌に油断を加速させたのだろう。
三人の思考は瑞樹を謝らせることから、痛めつけて金銭を巻き上げることへと移行していた。
が、瑞樹は早々に背を向けて走り出していた。
三人を一目見ただけで、これ以上付き合う時間が惜しいと即断したのである。
「あ、逃げやがった!」
「待てコラァ!」
最早瑞樹は耳も貸さない。密林から疎林くらいに人の数が減った道路をすり抜けて走る。
身体能力の差で、瑞樹と三人の距離はどんどん開き、怒声が遠ざかっていく。
ようやく篠崎駅まで辿り着いた。
混み合う出入口に辟易しながらも、立ち止まらずに突き進む。
自動改札機へ電子乗車券を叩き付け、下り方面のホームへ曲がり、柵で仕切られた広い方の階段を駆け下り、発車直前状態だった電車へ滑り込む。
ギリギリだった。文字通り、自動改札機へのタッチがわずかでも遅れていたら乗れなかっただろう。
本八幡駅までの一駅分の区間、瑞樹はドアの前に立ったまま、乱れた呼吸を整えることに専心する。
五相との合流場所については考えていなかった。
彼女の能力があれば必要がないからだ。勝手にこちらを見つけてくれるだろう。




