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復讐火葬  作者: SATOSHI
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七章『二つの転機』 その2

 いかに向上心に溢れ、高いモチベーションを維持し続けていたとしても、仕事やトレーニングを間断なく長期間続けていては、著しくパフォーマンスを低下させる。

 それは当然、瑞樹とて例外ではない。

 オーバーワークにならないよう秋緒からも常々戒められていたし、彼自身も自覚していた。

 次、沙織が現れるのはいつになるか分からないが、今はとにかく地道に力をつけていくしかない。

 焦りと上手く折り合いをつけながら。


 そう考え、蒸し暑い季節を過ごしていた彼に、二つの転機が訪れる。


 季節は梅雨明けも目前に迫った、七月初旬の頃であった。

 土曜日。

 瑞樹は皇居のすぐ北にある、北の丸公園に来ていた。

 目的は休息だ。

 超自然的な力が満ち、そこに留まることで心身に様々な影響をもたらすパワースポットというものが世界の各所に存在し、この北の丸公園もその一つであった。


 通う大学からも近いため、向かうのに不便はない。

 最近になって、瑞樹は頻繁にここを訪れるようになっていた。

 人が中年になって煮物のヘルシーさ、深い味わいを知るように、瑞樹も改めてパワースポットのありがたみ、偉大な力、健康への好影響を心と体で思い知ったのである。


 栞と一緒に来ることもあるが、この日は用事があるそうで、一人での散策である。

 代わりに先日、彼女から借りた本をバッグに入れていた。


 この日は貴重な晴天だった。

 湿度の高さのせいもあり、太陽の下にいると汗ばむくらいの陽気だが、日陰はまだ涼しく、吹き抜ける風が心地良い。

 瑞樹は適当に歩きながら、座れそうな場所を探す。


 が、中々見つからない。人口密度が高いのだ。

 無料で利用できる回復・リラクゼーションポイント、しかも国内でも上位に入る強い力場、おまけに山手線の結界の内ともなれば、こうなるのも必然である。

 しかしこの場所の恵みは、混雑程度で枯渇するほどスケールが小さくはなかった。

 訪れる全てのものへ、平等に癒しの力をもたらすのであった。

 それに加え、訪れる人々の間では、この場所では騒がず静かに過ごす、譲り合うなどといった暗黙の了解があり、驚くほど高いモラルが維持されていた。

 場所柄、騒ぎを起こせば即警察が駆け付けてくる、感情を昂らせると回復が遅くなるという側面が存在するから、という理由もあるのだが。


 規則正しささえ感じる通行人の流れに乗り続けているだけでも、瑞樹は心身が瑞々しくなっていくのを感じていた。

 全身の細胞が喜んでいる。

 心が、草木や風、太陽と調和している。

 自ずと顔が緩み、笑みがこぼれる。

 場所によっては不気味に取られる行為だが、周りの人々も大なり小なり似たようなものなので、異物と映ることはない。


 ベンチの空きは見つからなかったが、周りに誰もいない大木を前方に見つけた。

 休息場所として手頃だ。瑞樹は歩道から外れて芝生に足を踏み入れ、木の下に座り込んだ。

 生命力に満ちた立派な樹だった。

 力強く張り出した枝、ふっくらと優しい葉は一葉一葉、隅々まで大地の力を行き渡らせており、足元に涼しげな影を作り出している。

 芝生は高級なラグマットのようにふかふかしており、微かに緑の匂いがした。


 逞しい幹に背を預けた瑞樹は、バッグから行きがけに購入したサイダーのペットボトルと、栞から借りた本を取り出す。

 清涼感のある音を迸らせてキャップを開け、炭酸の効いた砂糖水を口に含んだ。鼻がツンとなるのに耐え、喉を焼きながら食道、胃へと流れ込んでいく感覚を味わうのが好きだった。


 ペットボトルを脇に置き、本を開く。

 内容は近未来、地球滅亡後に火星へ移住した生き残りの人類が、EFを用いて第二の地球を作り上げようとするものだ。

 栞のチョイスらしく、争う描写は皆無に等しく、性善説的な価値観の下、生命と文明の再生を美しく描いている。


 EFという特殊能力を得ながらも未だ開発を進められていないためか、現在の創作物は宇宙を舞台とした作品が流行していた。

 そのロマンは瑞樹にもよく分かった。

 地球外に生命体はいるのか。

 自分が生きている間に、人類は宇宙へ進出することができるのか。

 そんなことを考えることもある。


 だが今は、サイダーを楽しみ、自然に身を浸し、軽い気持ちで活字を取り込むことの方が大切だったので、すぐに考えるのをやめた。

 栞とは本の好みがある程度似ているので、世辞を抜きにしても面白いと感じる。ページをめくる手が止められない。

 

 本がようやく後半に差し掛かった辺りで、瑞樹は目を休ませようと、一度本を閉じた。サイダーはすっかり温くなっていた。

 そして、背を預けている幹の逆側が無人になっていたことに気付く。読書中、何度か人が入れ替わっていたのは知っていたのだが。

 タイミングを合わせたかのようにそこへ、一人の女性がゆっくりと近付いてきた。


「こんにちは。お隣、よろしいですか?」

「ええ、もちろんです。どうぞ」


 瑞樹は笑顔で答えると、女性は「ありがとうございます」と、上品な仕草で芝生の上に座った。

 女性は、ハスキーな声をしていた。


「いいお天気ですね」

「そうですね。暑すぎるくらいですよ」

「あ、ごめんなさい。本を読んでらっしゃるのに、話しかけたら邪魔になってしまいますよね」

「いえ、そんなことありませんよ。ちょうど誰かと話したくなっていた頃ですから」


 瑞樹は嫌な顔一つせず、にこやかに応対する。

 このような場所で見知らぬ人間から声をかけられること自体は決して珍しい現象ではないし、それ以前に彼は元来人当たりがいい。

 師の秋緒とは正反対で、こういった機会を楽しむことができるのである。


 女性の年齢は二十代半ばだろうか。

 黒い髪をベリーショートにし、ヘヴィメタルバンドのロゴがプリントされたタイトな黒Tシャツを着、下はグレーのデニムを履いている。

 化粧っ気のない顔は綺麗に整っており、男性的ではなく、充分女性的な美人だ。


 だからこそ、瑞樹は尚更ギャップを感じた。

 とは言っても変ではなく、きちんと似合っていると感じるのだから不思議だ。

 素材の引き立て方を熟知しているのか、それともどう料理しても勝手に引き立つほど容姿が優れているのか。


 思わず見つめてしまっていたためか、女性と真正面から目が合ってしまう。

 にっこりと柔らかな微笑みを返された。

 瑞樹は照れて笑い、視線を横へ逸らした。

 同時に、今日は日本武道館でライブでもあるんだろうか、と考える。


「失礼ですが、何の本を読んでらっしゃるんですか」


 瑞樹が本の名前を答えると、


「ああ、私も読んだことありますよ。結末にあっと驚かされるので、是非最後まで読んでみて下さい」


 という既読者からの感想が返ってきた。

 瑞樹はすっかり女性に好感を抱いたようだ。

 一旦この場所を離れようとしたことも忘れ、その後もしばし世間話に興じるのであった。


「――ああ、そうだ。ちょっと失礼します」


 話の切れ目で女性がふと、持っていたバッグから布包みを取り出した。

 結び目を解くと、中からフィルムラップに包まれたサンドイッチが六つ出てきた。


「あの、初対面でいきなりこういうことを言うのも何ですが。もしよろしかったら、ご一緒にどうですか? 作りすぎてしまいまして」


 いつの間にか時刻は正午を回っていた。

 サイダーだけでは栄養が足りないと、胃袋が訴え出していた頃だ。

 色々とタイミングができすぎているとも思ったが、瑞樹は女性の申し出を喜んで受け入れた。


「ありがとうございます。是非」

「では、どうぞお好きなものを選んで下さい」

「いえ、僕が先に選ぶのは……」

「いいんですよ、ご遠慮なさらずに」


 女性の膝の上に広げられた、カラフルなサンドイッチを一瞥する。

 食パンを切って作ったオーソドックスなスタイルであるが、どれも美味そうだ。


「じゃあ、卵を頂けますか」

「はい、どうぞ」

「いただきます」


 女性から手渡された卵サンドを、瑞樹はひとかじりした。


「お、美味しいです」


 素直に、賞賛の言葉が口をついていた。

 バターとマヨネーズ、半熟気味になった玉子のとろみが濃厚なコクを生み出し、キュウリがそれをくどくなりすぎないよう諌める。

 調和の顕現であった。


「これくらい、誰でも作れますよ」

「そんなことないです。こんな絶妙な味付けは誰でもできるものじゃありません」

「そうですか? ありがとうございます。褒めて頂けて嬉しいです」


 はにかみながら女性は答える。気を良くしたのか、水筒も勧めてきた。

 瑞樹は礼を言ってカップを受け取る。

 中身はアイスティーであった。

 スッとする喉越しが、サンドイッチによく合う。


「次はどれにしますか?」


 結局、六つあったサンドイッチのうち三つを貰ってしまい、食事するために移動する必要はなくなった。

 また、言うまでもなく、残り二つのサンドイッチも美味であった。


「ごちそうさまです。何かお礼がしたいのですが……」


 瑞樹が女性にそう申し出ると、


「気にしないで下さい。私が勝手に勧めただけですから」


 と、笑って首を振りながら返答された。

 それでもと、瑞樹が食い下がると、女性は人差し指を薄い唇に添えながら、


「そうですね、強いてお願いするなら……また今度、私の話し相手になって頂けますか? あ、別にお付き合いして欲しいとか、そういうことではなくて」


 名刺を差し出す。

 白地に黒文字の、至って簡素なデザインだった。

『五相 ありさ』という名が中央に記され、下には携帯電話の番号、メールアドレスが添えられている。

 企業名などは記載されていなかった。個人用だろうか。

 瑞樹は名刺を渡し返そうとしたが、秋緒の仕事を手伝う時以外で名刺を持ち歩く習慣がなかったため、代わりに自分の携帯電話番号を教えた後、簡単な自己紹介を行った。


「変異生物の駆除をやってらっしゃるんですか。お若いのに凄いですね」

「手伝いの身で、実力的にもまだまだ未熟なんですが」


 やや自嘲気味に瑞樹が言うと、五相は胸の前で両手に握り拳を作って、


「それでも凄いです! 凄いったら凄いんです!」


 と、半ば強引に高評価を与えてくる。

 それでも瑞樹には、彼女の心遣いが嬉しく感じられた。


「ありがとうございます。五相さんにそうまで言ってもらえると、何だか照れますね」

「私も、さっきサンドイッチを褒めてもらった時、同じことを思ってました。ふふ、何だか、中島さんとは気が合いそうですね」


 両手を合わせ、上目遣いに見られながら言われる。

 そうされた瑞樹は思わず、心臓へ電流を流されるような衝撃を味わった。

 続いてじわりと、温かい気持ちが胸を中心に広がっていく感覚。

 とはいえ、五相に対して好感こそ抱けど、決して恋愛感情が芽生えた訳ではない。

 栞以外の女性と交際することなど考えすらしていなかった。


 その後も二人はしばし歓談を続けたが、時刻が午後一時半前になろうかという辺りで、


「すみません、そろそろ行かないといけない所がありますので」


 五相の方が先に立ち上がった。


「すっかり長話になってしまいましたね。中島さんのご予定のお邪魔になりませんでしたか?」

「いえ、暇でしたから。色々とありがとうございました、楽しかったです」

「ご迷惑でなければ良かったです。私も楽しかったですよ。それでは、ご縁があればまた。失礼します」


 一礼し、遠ざかっていく五相の背中をしばし見送った後、瑞樹も立ち上がる。

 素敵な人と知り合えて良かった――読書していただけでは味わえない清々しさ、充実感のようなものを、体いっぱいに感じていた。

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