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復讐火葬  作者: SATOSHI
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三十六章『私の弟子になりなさい』 その1

 誰にも本当のことを話したことはないが、周囲の人間は知っていただろう。

 私がトライ・イージェスを退職したのは、あれ以上あの人を……中島雄二の姿を見ていたくなかったからだ。

 退職して清々した、というのが偽らざる本音だった。

 あの人が悪い訳ではない。悪いのは全て、私だ。


 鬼頭高正や剛崎健には退職を反対されたが、もはや耳を貸すことすらもできなかった。

 誇張抜きで、あのままでは気が狂いそうだったのだ。

 反対者を全て斬り伏せてでも退職しようと思っていたほどに。


 仕事自体はすっかり気に入っていたので、退職後は変異生物駆除を専門とした自営業を立ち上げることに決めていた。

 個人事業が決して易しいものでない、ただ斬ればいいというものではないことは分かっていたが、再び他の組織に入るのは嫌だった。


 前職での伝手もあり、最初から業績は上々だった。

 同時に、この仕事は天職であることを改めて実感する。

 やはり、独りで生計を立て、斬り続ける人生の方が性に合っている。


 そうだ、もう誰のことも愛さない。

 生涯孤独で構わない。

 この剣だけがあればいい。


 そう思っていたのに。

 私はまたも、変わってしまうのだった。




「中島さんの所のご夫婦に、お子さんが産まれたそうですよ」


 聞きたくもない情報が舞い込んできたのは、個人事業を立ち上げて一年が経ちかけた時だった。

 かつてトライ・イージェスの顧客でもあったとある男が、仕事の間の世間話に、そんなことを口にした。


「そ、そうなんですか」

「あれ、瀬戸さん、まだご存知なかったんですか?」


 山中というこの男はやたらに社交的で、決して悪い人間ではなかったが、他者の心の機微に若干疎いのが玉に瑕だった。


「それじゃあその内に、先方が落ち着いたら瀬戸さんも会いに行きましょうよ」

「え……」


 行きたくなかった。

 あの人達とはもう、関わり合いになりたくなかったから。


 だが、そんなことを直接言葉にできるはずもない。

 私が返答に窮しているのをいいことに、結局男は勝手に話をまとめてしまい、あれよあれよという間に行くことになってしまった。


 それまでの日々は、死刑執行を待つ囚人にも似た心持ちだった。

 仕事にまで影響を及ぼさないようにするのが精一杯だった。

 全く、余計な真似を……


 いや、本当に行きたくないのなら、強い態度で訴えるなり、意図的に多忙を作り出すなどして断れば良かったのだ。

 理由は幾らでもでっち上げられる。

 そうしなかったのは、私自身、心の奥底ではもう一度会いたいという気持ちが残っていたからだろう。

 単に、体のいい責任転嫁をしているに過ぎない。




 そうこうしている内に、無情にも約束の日はやってきた。

 よく晴れてはいたが、まだ寒さの抜け切らない、とある春の一日だったことをよく覚えている。


「瀬戸先輩、仕事の調子はどうですか?」


 私と山中氏に加え、前職での後輩・剛崎健も同行することになった。

 明るく振る舞っているのが見え見えの態度から察するに、気まずくならないよう、私達の緩衝材となる役割を、誰にも頼まれていないのに買って出たのだろう。

 しかし、彼の存在のおかげで、若干ながら平静を保つ効用を得られることができたのも事実だった。


「……悪くはない」

「瀬戸さんには引き続き、助けて頂いてますよ。これからもどんどん、お仕事をお願いしますからね」

「……よろしくお願いします」


 山中氏のおかげで、事業が上手く行っているのもまた事実だった。

 彼がそのよく動く口で次から次へとコミュニケートを行い、動く広告塔の役割を果たしてくれていた。


 軽い吐き気を覚えるほど、道中は緊張していた。

 脈拍は乱れ、暑くもないのに嫌な汗が滲み出てくる。

 何を話せばいいのか、というより、どうすれば取り繕えるのか。そればかりを考えていた。

 気まずくて仕方がなかった。

 なにしろ、逃げるようにトライ・イージェスを退職してしまったのだから。

 剛崎君もそれを知ってか、積極的に話しかけてはくるのだが、私の中で切れそうな程に張り詰めた糸が緩まることはなかった。

 そのままの状態で、目的地に到着してしまう。


「へえ、ここが新居か。いい所だなあ」


 剛崎君が、さぞ羨ましそうに独り言を言った。

 中島夫妻が、結婚・出産を機に、一軒家を購入したことは事前に聞いている。


 なるほど、確かに彼がそう言うのも無理はない。

 閑静な住宅街に建つ、庭付きの広くて真新しい家屋。

 強く優しい両親。

 有り余る祝福を受けながらこんな場所へ産まれてきた子どもは、きっと幸せだろう。

 私とは正反対だ。


 いや、そんな分析をしている場合ではない。

 私の心臓と脳は、緊張でどうしようもなく歪に強張っていた。

 場の空気が悪くなったらどうしよう。嫌な想像ばかりが先走る。

 その時は平身低頭するしかないと観念していたが、走って逃げ出したいという気持ちも湧き出てくる。


「……先輩、大丈夫ですか?」


 私の心情を慮ってか、剛崎君が横からそっと耳打ちしてくる。


「心配は無用だ」


 わずかに残っていた意地で答える。

 山中氏は、さっさとインターホンを押していた。

 二言三言やり取りを交わし、少し待っていると、ドアから私服姿のあの人が姿を現した。


 一瞬の内に、様々な記憶と感情が浮かび、胸がいっぱいになってしまう。


「やあ皆さん、いらっしゃい」

「こんにちは、中島さん」

「天使の拝顔に参りました」

「怖い顔で泣かしたりするなよ、剛崎君」

「大丈夫ですよ、この前も電車で向かいに座った赤ちゃんを笑わせましたから」


 親しげにやり取りを交わす三人を、私は実際の立ち位置以上に遠い目で見ていた。

 いや、正確には、ただ一人だけを見ていた。

 懐かしい……姿形も声も、何一つ変わっていない……


「お久しぶり、瀬戸さん。よく来てくれたね」


 視線に気付いた雄二さんが、柔らかな笑みを向けてきた。

 いい歳をした女が、初心な少女のようにドキリとしてしまう。


「あ…………ご無沙汰しております」


 そう返すのが精一杯だった。

 心臓の高鳴りが収まらぬまま、早々に新居へと通される。

 中は家主そのものを表すかのように、爽やかで落ち着く香りを含んだ空気で満ちていた。

 いつまでも留まっていたいと、馬鹿なことを考えてしまう。


 広いリビングに設置された、見るからに柔らかそうなソファー。

 そこに腰掛けていた女性を見ても、もはや恨みの感情は浮かばなかった。

 あるのはただ、一方的な敗北感のみ。

 ただ一つ、どうしようもない部分――奥底の本能が憎悪を抱いてしまったらどうしようかと危惧していたが、意外なほど静かで、安堵する。


「あら、剛崎君に山中さん。よく来てくれたわね」

「お久しぶりです」

「相変わらずお綺麗ですね」

「あら、お上手ですね」

「あの、これ、出産祝いです」

「わざわざありがとう」


 先んじて入室した男性二人が話をしている間に、私は雄二さんに出産祝いを手渡した。

 形に残らないものを選んだので、後腐れはないはずだ。


「瀬戸さんも、来てくれてありがとう」

「いえ、はや……加奈恵さんもお元気そうで、何よりです」


 彼女から声をかけられるが、直視できず、つい目を逸らしてしまう。

 まさしく太陽のように、彼女は眩しすぎた。

 話し方が敬語でなくなったのは、互いに退職して先輩後輩関係が解消し、年齢差だけが残ったからだろう。その点はありがたかった。


「その子が息子さんですね」


 待ち切れないとばかりに剛崎君が、彼女の胸に抱かれている赤ん坊について話題を差し向けた。


「そうよ。瑞樹、って名付けたの」

「素敵な名前だなあ。可愛いなあ。ほーら剛崎のお兄さんでしゅよ~」


 剛崎君はすっかり骨抜きにされてしまったようだ。

 強面な顔を精一杯愛嬌たっぷりに仕立て上げ、赤子をあやそうとしている。


 私がそれに続こうとは、どうしても思えなかった。

 最低限の世間話だけを済ませたら、適当に言い訳して早く帰ろう。

 やはり、この和やかな空気は辛い。切なくなってしまう。


「ほらほら、瀬戸先輩もこっちに来てみて下さいよ」

「え?」


 突然に話を振られ、思わず変な声を出してしまった。

 笑みを伴って、全員の視線が私に注がれる。

 そんなことを言われ、こんなにも見られてしまっては、行かない訳にはいかなくなるではないか。

 仕方がないので、見てみることにする。

 彼女の腕の中へ視線を移す。


 ――と、赤子と目が合う。


「いやー、本当に可愛いですよね、瑞樹君」


 私は思わず、言葉を失ってしまった。

 生後数ヶ月の姿でも、すぐに分かった。

 父親似だ。

 目力の強さ、緩やかなカーブを描く上唇、耳の形――

 遺伝子は残酷なまでに、私へ現実というものを突きつけてきた。


 なのだが、不思議なことに、ネガティブな感情が一切湧いてこなかった。

 それどころか、暗く淀んでいた精神が浄化さえされていくようだ。

 目を逸らしたいが、できない。

 宝石のような黒目に吸い込まれてしまいそうだ。


「えう、あー、きゃっきゃっ」


 言葉にならない声で、赤子は小さく手を振り、私に笑いかけてきた。

 胸が締め付けられる。

 ただし、やはり苦しくはなく、温かみを伴うものだ。


「え? え? ど、どうすれば……」


 思考が、精神が優しく掻き乱される。

 この子は何故私に、こんなにも屈託のない顔を向けてくる。

 怖くないのだろうか。嫌ではないのだろうか。


「瑞樹ちゃん、お姉ちゃんのことが大好きなのかなー?」


 彼女がそんなことを言う。


「えあー」


 まだ言葉を理解できているはずはないのだが、赤子はますます笑った。


「よかったら、握手してあげてくれないかしら。何でかこの子、指を握るのが好きなのよ」

「え、ええ」


 言われるがまま手を出してみると、小さな五本の指が、私の人差し指をそっと包み込んできた。


「あ……」


 天使の温もり。

 真っ先に浮かんだ印象だった。

 同時に、言語化できなかった思いの一部が、直接心で理解できたような気がした。

 ああ、そうか。これは……


「おお、先輩が笑ってる」


 指摘されて、はっとする。

 私は知らず知らず、そんな顔をしていたのか。


「失敬な。私だって笑うことはある」


 そんな言葉を返してはみたものの、実際、まだ戸惑っていた。

 最後に笑ったのはいつだったか、もう思い出せない。

 赤子の方はというと、笑ったまま、中々私の指を離してくれなかった。

 別に嫌ではなかったが、何とも気恥ずかしい気分になってしまう。


「瑞樹ちゃん、やっぱりお姉ちゃんのことが気に入ったみたいねー」


 加えて、彼女がそう言うものだから、尚更だ。

 結局、剛崎君や山中氏よりも、私が最も長い時間、赤子の相手をすることになってしまった。


「いいなあ瀬戸先輩。瑞樹君とあんなに遊べて」


 帰りの車中、剛崎君はしきりに羨望の眼差しを向けてきていた。

 あの子が自発的にそうしてきたのであって、私に言われてもしょうがない。


「……なあ剛崎君。変な質問をしてもいいか」

「何です、藪から棒に」

「赤ん坊というのは、皆あのように人へ幸福を与えてくれる存在なのか?」


 自分にはよく分からなかった。

 これまでの人生、こうして赤子と触れ合う機会などなかったから。

 それに、かつて赤子だった自分があの子のように他者を喜ばせていたとは、どうしても考えられない。


「まあ、それだけじゃあないとは思いますし、育児の苦労もあると思いますけど。赤ちゃんから受け取る幸せの方が多いんじゃないですか? 俺も独身だからあまり知ったようなことは言えませんが」

「そしたらアレですよ。瀬戸さんもそろそろ……」

「あああ、この後どうしましょうか。夕食は頂いちゃいましたけど、どこかで一杯やっていきますか? もちろん運転代行は呼びますんで」

「……いや、悪いが今日は休みたい。明日も早朝から仕事なんだ」


 山中氏の発言が理由でそう言ったのではない。

 とにかく早く独りになって、未だ熱っぽい心身を冷やし、そして考える時間が欲しかった。


 二人と別れ、誰も待つ者のいない自宅に戻ると、どっと疲れが押し寄せてくる。

 お待ちかねの孤独。

 だが、この時はいつもと空気感が異なっていた。

 落ち着くことは落ち着くのだが、体の内側にもぞもぞと、むず痒くなる幻覚が生じるのだ。


 ごくまれにだが、深夜に独りで過ごしていると、こういう症状に陥ることがある。

 薄々正体を理解してはいたが、ペットを飼おうという考えはなかった。

 元々何かの飼育が好きという訳ではなかったのもあるが、この仕事をするようになってから、純粋に動物を愛玩することができなくなってしまった。

 ましてや、別の誰かを愛するなど……


 今の私の心を乱しているのは、あの子でも、雄二さんでもなかった。


「良かったら、また会いにきてあげてくれないかしら」


 という、耳にこびりついて離れない、別れ際に言われた彼女からの言葉だった。

 困惑はしたが、やはり不快ではなかった。

 むしろ……希望の光にも近い意味合いを見出していた。


 私は、また、あの子に会ってもいいのだ。

 無邪気な笑顔を、柔らかな感触を、受け取ってもいいのだ。


 とうの昔に捨て去って諦めたはずだった女特有の性質が、まだ自身に残っていたことに驚く。




 本能は言葉に甘えることを選択した。

 その後、年に数回ではあるが、中島家に足を運ぶようになっていた。

 もっと来てくれてもいいのにとは言われたが、ここは線引きしておいた方がいいと考えていた。

 踏み込みすぎは良くない。


 瑞樹君は毎回、私の来訪を喜んでくれた。

 いつも一杯の笑顔と愛嬌を惜しみなく与えてくれた。

 いつしか彼の成長が、私の生きる喜びにさえなっていたのだ。


「あきお、おねー、たん」


 小さな口を一生懸命に動かし、始めて名前を呼んでくれた時は、思わず涙腺が破壊されそうになった。

 一パーセントも血は繋がっていないというのに。


 歳を重ねて成長するほど、瑞樹君は父親に似てきた。

 将来は父親に倣い、トライ・イージェスに入りたいと言っていたが、両親のようにEFが発現する気配は一向に見られなかった。

 しかし、愛情を受けてすくすくと何の不自由もなく育つ姿を見ていると、その方がいいような気もする。

 そしてこの時はまだ背丈も一般的な男児の平均であり、肉類も普通に食していた。


 定期的な中島家訪問は、思わぬ副次効果をもたらした。

 完全に消えることはなかったが、中島夫妻に対して一方的に抱いていた後ろ暗さが、幾分和らぐようになったのだ。

 ほんの少しずつではあるが、過去の傷も癒え始め、夫妻ともあまり気後れせず話せるようになっていた。

 その点でも、あの子に感謝してもしきれない。


 ただ一つ、別の問題が出来した。

 瑞樹君が産まれて、さほどの期間が空かずに第二子――彼の妹が誕生したのだが、こちらの方はどうしても好きになり切れなかった、というのが正直な所だ。

 兄妹で対応の差別が起こらないよう、最大限配慮はしたつもりだが、子ども特有の鋭い感性で察していたのだろう。

 人見知りする気質を差し引いて見ても、妹の方も、最後まで私に心を開き切ってくれなかったように思う。


 もっともそれも、私に原因があるのだが。

 兄が父親似だったのに対し、妹は母親の血を色濃く反映していたのだ。

 この程度のことに引っかかってしまうこと自体、完全に未練を断ち切れていないことの証左である。

 つくづく、自分の器の小ささに辟易してしまう。

 何が副次効果だ。

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