舞と乙女
「今日はこれまでにいたしましょう」
たんと手を叩いて師が終わりを告げる。
「サンディア様は飲み込みが早くて助かります」
にこやかな笑みの裏で悪態をついていることはよくわかる。
彼女が作り笑いの時はつんと細い眉の角度が変わるのだ。
その癖に気が付いていないだろう。
師がイラつくのも当然だ。
エイナの舞はアリオスの娘ならば誰でも舞えるものなのだ。
家独自の動きや地方ごとに変化はあるものの、幼子が親の言葉を真似るように娘たちは見様見真似で覚えていくものらしい。
英雄王と称されたマルスの妻であり戦女神のエイナが舞えば、必ず勝利がもたらされてという。
ロードの妻であるサンディアが舞うことが出来ないなど、断じてならんと稽古がつけられて今日で七日めだ。
慣れぬ音に足運び。何から何までも初めて尽くしで、大混乱だ。
サンディアがよほど不器用に見えるのだろう。
日増しに苛立ちが増しているのが分かる。
「では明日」と去っていく師に頭を下げながら、サンディアは唇を噛む。
サンディアは庭に出た。
火照った体に風が気持ちい。
さぁ、おさらいだ。
明日には何とか合格点とはいかないまでも、作り笑いを見なくてもいいように。
重心が傾いで、無様なステップ。
額の汗をぬぐって一息つくと天を仰いだ。
暮れゆく空には星が見え始めている。
吹く風も冷たくなってきた。汗を冷やせば体に障る。
今日はここまでにしようと顔を下げた時、ロードがいるのが見えた。
サンディアが気が付いたと知るとロードは頬を緩めた。
「嫌だ! 黙ってみているなんて」
頬に熱が集まる。
よりにもよってロードに不格好な舞を見られてしまうなんて。
部屋に駆け込んでしまいたいのに、どうして窓の側でにやついているのだ。
サンディアは汗だくで邪魔にならぬようにと一本に結んだ髪もばらばらと落ちてきているというのに、ロードは視察から帰ってきたばかりなのだろう鎧こそつけていないが正装に近い格好をしている。
それが更に恥ずかしさをうむ。
「あまりに美しくて、声をかけそびれた」
なんという皮肉だろう。
サンディアの頬ばかりか目じりにも熱を持つ。
慌てて髪を解き、整えてみるものの一体何の効果があるというのだろう。
「お見苦しいものをお見せして申し訳ありません」
「何を言っている。サンディアは美しい」
「何を言っている」それはサンディアこそ口にしたい言葉だったが、ロードの碧玉の瞳に見つめられてため息をついた。
そうだった。この人はつまらない嘘は言わない。
少なくともサンディアに告げる言葉はロードの真実なのだ。
世間でサンディアがどう思われていても、サンディア自身がどう思っていても汗だくで不格好な舞の練習をするサンディアを美しいと本気で思っているのだ。
「そういうことは満足できる舞になってから言ってほしいものです」
「俺が教えてやろう」
「へっ?」
ロードの腕が動く。
すいと指先がサンディアの頬を撫でていく。
サンディアの髪を一掬いし、口づけを落としたかと思うと、背に回る。
慌ててサンディアが半回転すれば、まるで傅くように体をかがめる。
碧玉の瞳でサンディアを見上げ、にんまり笑う。
「ちょっと、ふざけないで」
追いかければ半歩先に逃げられ、引けば背後を取られる。
何度も繰り返せば、一定の法則があるのが分かってくる。
「うっ、確かに舞の型」
よくよく考えれば、サンディアがさんざん教え込まれている型の通りなのだ。
動作の度にロードはサンディアを触れようとするけれど。
同じだけれど侍女たちの可愛い舞でも師のきれいだがどこか冷たい舞とも違う。
ふざけていて、腹立たしくて、心臓をドキドキさせる舞だ。
「ほら、合わせてみろ」
「合わせてみろと言われても!」
必死でついていくばかり。
ああ、でも少しわかる。
次の動きはこう。
だってロードが髪に触れようとするから、それをうまくすり抜けるには頭を反らさなきゃ。
どれほどそうしていたのだろう。
しびれを切らしたヒイナがごほんと咳をした。
これ以上、夜風に当たれば本当に体を壊してしまうと文句を言われ、有無を言わさず室内に連れ込まれた。
着替えを終えたサンディアが戻ってくるとロードはお茶を飲んでいた。
「なぜ貴方が女の子の舞ができるのですか」
「さっきまでの方がよかったな」
「さっき?」
「サンディアは余裕がない時は敬語ではないぞ」
「……申し訳ありません」
「やめてほしいのだが。まぁ、ゆっくりとでいいか。それとさっきの問いだが、エイナの舞は女の子の舞ではないぞ」
「しかし春乙女の舞と言われているのでしょう」
「まぁ、シルトの祭りで目玉として舞われるからその印象が強いんだろうな。もともとは剣の型だとも言われているし、男たちも舞うぞ。う~ん。男のは舞うと言うより宴会芸に近いな」
「そっそうなのですか」
知らないことばかりだ。
エイナのことも祭りのことも。
この国での生活も。
「好きにやればいい」
唇を噛むサンディアにロードがそう告げた。
伸びてきた指先が唇に触れ、はじめて噛んでいたことを知る。
気恥ずかしくてそっぽを向けば、ロードが小さく笑う。
「アリオスの歌に合わせることもない。ヒューロムの曲で舞ってもいいのだ」
この華やかな舞にはヒューロムの曲調には合わないだろう。
ただヒューロムの赤の衣装は映えるだろう。
エイナのマントを染めた色なのだから。
「勝利を願う舞だ。愛しい人の帰還を祈る舞だ。春を寿ぐ舞だ。何の制約が必要だ?」
勝利を願う舞だからだ。
愛しい人の帰還を願う舞だからだ。
春を寿ぐ舞だからだ。
ロードの世界をなすものに認めてもらえなければ何の意味があるというのだ。
「私は完璧な舞にしたいのです。ヒューロムのために」
「そうか」
大きな手がサンディアの髪を梳く。
荒れて傷だらけの手。
春が来れば、また戦場に行ってしまう。
―あなたのために
出かかった言葉を飲み込んで、サンディアは目を閉じた。




