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銀獅子と乙女  作者: 悠月
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乙女と獅子と毒の花

「そこをどきなさい。レイドス・リブングル」


 レイドス・リブングルが門番のように立ちはだかり、すくみ上りそうな視線をサンディアに向けている。青ざめたヒイナが後ろからサンディアを引き留めるほどの迫力だ。彼が守っているのはロードの寝室へと続く扉だった。


「妃殿下と言えどお通しするわけにはいきません」


「陛下は、この城のどこに入ってもよいと仰ってださいました」


 横をすり抜けようとしたサンディアの腕はがちりと掴まれた。鍛え上げた武人の腕にかかればサンディアの細い腕など簡単に折れてしまうだろう。サンディアは眉を顰め腕を引く。戒めはすぐに外れたがレイドスの視線はなお鋭くサンディアを射る。


「許可はしない」


「あなたに許可を求めた覚えはありません」


 しばしにらみ合っていると内側から扉が開いた。扉から出てきたちんまりとした白衣の男はふとサンディアに視線を止めると呟いた。


「入れておやり」


「しかし」


 続くレイドスの言葉を遮って侍医は道を譲り、サンディアを中へといざなった。


「サンディア殿も王家の娘だ。分かるだろうさ」


 そんな声と共にサンディアの背後で扉が閉められた。

 大きな寝台に影が蹲っている。僅かに震え荒い息を吐く音がする。シーツの向こうに艶のない銀髪がのぞいている。


「……陛下?」


 一瞬、シーツの震えが止まった。


「サンディアか。……よく入れたな」


「手強い門番でした」


「そうか」


 ふっと笑った気配がした。サンディアは寝台の傍らに跪き、そっとシーツを捲った。シーツの中には不遜な銀獅子とは思え名ほど力ない男の姿があった。血の気を失った頬に紫に変わった唇、体は震えているというのに額には汗が浮いている。この症状に覚えがあったサンディアの額に皺が寄る。


「毒を……」


「盛られたわけではない。毒慣らしだ」


 毒への耐性をつけるために自ら毒を摂取することを行っていることをロードは手短に伝えた。今度の毒は殊更ロードと相性が良くないようだ。


「心配するな。大したことは無い。いつものことだ」


「……毎日ですか」


「さすがに、それでは体がもたん」


「そうですか」


 見渡した部屋にはあきれるほど何もない。大きな寝台と灯りと水が置けるだけの小さな台一つあるだけだ。手の込んだ装飾の施されたサンディアの部屋とは全く違う。

 サンディアはロードの額に手を当てた。熱い。汗のせいで寝衣もすっかり湿っている。ひやりとした掌に一度、うっとりと目を閉じたロードだったが、もう一度「行け」と言った。「嫌です」と「行け」の攻防を二度三度繰り返したがロードはサンディアが側にいることを頑として受け付けない。なんと強情なのだろう。手が離れた瞬間、心細い子供のような顔をしたくせに。

 頭までシーツにくるまれてしまったロードに成すすべのないサンディアはため息ひとつ飲み込んだ。


「私は信用に足りませんか」


 その言葉にロードが飛び起きた。よろめく体を両腕で支え、サンディアを強い視線が射抜く。


「誰がそのようなことを言った」


 銀糸が膨れ、熱に沸いた碧玉の瞳がギラギラ光る。銀獅子とはよく言ったものだ。サンディアは場違いな感想を抱くとともに、めくれ上がったシーツを奪い取る。


「さぁ、脱いでください」


「はぁっ? 私は出て行けと……」


「汗が冷えますよ。さっさと着替えて、シーツも交換します。水も飲んでください」


 部屋から出てきたのが侍医だと知った時、ヒイナに言付けし寝具も着替えも余るほど持ってきてもらったのだ。押問答していたせいで多少温くなったが湯もだっぷりある。体を拭けば多少さっぱりするだろう。

 サンディアが寝衣に手をかけたところで、慌ててロードが自分で脱ぐと言い張った。晒されたロードの腕にも背中にも無数の傷がある。一つずつの来歴を知るほど長く共にはいない。だが一つだけサンディアの知っている傷がある。ほとんど消えかかっている傷。思わず撫でた。僅かな引きつれとなったそれに痛みは無いだろうが、ロードの体はひくりと揺れる。


「サンディア」


「申し訳ありません。痛みましたか」


「……いや」


 言い淀むロードを見上げれば、髪の間から見え隠れする耳が赤く染まっている。


「照れているのですか? 何をいまさら」


「照れてなどおらん」


「……そうですか」


 すべてを新しいものに取り換えるとロードの顔色も若干よくなったような気がしてくる。耳はまだ赤さが残っている。サンディアはロードを寝台に座らせ白湯を差し出した。


「慣れているのだな」


 ロードは難しい顔をしながらも白湯を二杯ほど飲み干した。


「染に使うサクレには毒がありますから。ヒューロムの女は皆、それなりの心得がありますよ」


「毒なのか」


「繰り返せば慣れてきます。最初の染が一番キツイものです。介抱するのは、ねえやの仕事です」


 ヒューロムでは、自分より先に染を先に行ったものは誰でも「ねえや」と呼ぶようになる。ねえやが後輩の世話を焼くのは自然なことだった。合わぬものは皮膚が爛れ、二度と染の作業は出来ない。幸いなことにサンディアにはなじんだようだ。


「辛いほど効果があるわけではないのですよ」


 グラスを受け取るときに、サンディアの手にすり寄るような仕草は無意識なのだろう。構わず腕を抜けば、ロードは拗ねたように眉を寄せる。拒絶しつつ縋るよう。その不安定さをサンディアは毒のせいと理解した。早く休息をとらせようと。


「すっきりしたほうがいいでしょう? ほら、もう休んでください」


 促されてロードは寝台に横たわった。唇に少しだけ赤みが戻ったような気がする。髪を整えるために伸ばした指先を碧玉の瞳が追う。寝具を首元まできっちりとかけた。あと二度三度と夜着をかえる必要があるだろう。もう少しタオルの替えと夜着を用意させよう。白湯と胃の腑に負担にならないものも少し必要だ。

 考えにふけるサンディアをじっとロードが見つめている。


「人がいると眠れないようなら、隣に控えております」

 

 ロードはもう出ていけとは言わない。


「それとも子守歌でも歌いましょうか」


 弱弱しいが大事ないロードをみて少しばかり気が大きくなったのだろう。気が付けばそんなことを口にしていた。冗談だと言う前にロードが「ぜひに」と乞う。


「……アリオスの歌を知りません」


「ヒューロムの歌を歌ってくれ」


「ヒューロムのですか」


 サンディアはしばし考えた。強く自身の中にある旋律。思い出せば自然と言葉が溢れてくる。


『緋に染まりし指先に君を想う

 無事に戻って来いと清水に祈る

 千年万年

 いつまでも


 赤の滲みし指先に君を想う

 どこかで健やかにあれと花に願う

 千年万年

 いつまでも


 水枯れ命の絶えたこの土地で

 地図から名さえ消えて久しくも

 千年万年

 いつまでも


 誉れと呼ばれし指先に君を想う

 我、染めし布が君の行く末照らすよう

 千年万年

 いつまでも』


 ヒューロム哀歌。染をしながら娘たちは歌ったものだ。懐かしい故郷の歌。アリオスに来てからは一度も歌ってはいない。しんみりとした曲調は子守歌には相応しくないかもしれない。だがロードが何もいわないものだからサンディアは微かな寝息が聞こえるまで歌い続けた。




☆  ☆  ☆




「サンディア!」

 

次の日には体調が戻ったのかロードは普通に執務を行っているようだ。ついでに調練までしていたのだろう。額に汗を光らせながら溌剌と笑っている。手招きされサンディアは仕方なくロードの元へ寄った。


「もう体調はよろしいので?」


「ああ、サンディアのおかげだ」


「それは、ようございました」


「それはサクレの紅だな」


 ロードはサンディアの赤い唇を指さした。


「ええ」


「サクレには毒があると言ったな」


「まぁ、そうですね。ですが紅には……」


 言葉をつづけるより先に唇同士が触れる。ついでにぺろりと舐められた。


「次はサクレの毒慣らしをしよう」 


「なっにを」


「照れているのか? 何をいまさら」


頬を真っ赤に染めたサンディアに向かってロードはにんまりと笑った。



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