鳥狂いの紳士と乙女
「サンディア様に贈り物ですわ」
ふぅとヒイナはため息をつく。
貴族からは毎日のように贈り物が届くが、サンディア自体はとんと興味が無いようだ。
それでもお礼状をしたためるために、贈り物を開け中身を確認するのが日課になりつつある。
珍しくサンディアが一つの贈り物に目を止めた。
鮮やかなピンクの包装紙のせいだろう。
「随分軽いのね」
両手で抱えねばならぬほど大きな箱だと言うのに、力をいれずに持ち上げることができる。
添えられたカードには首の長い鳥の影絵が描かれており署名などは無かった。
「ヒイナ。これはどちらからでしょう」
カードを一瞥したヒイナは小さく笑った。
「その絵はバード卿ですね。本名はロン・ミンスク様。皆さまバード卿と呼んでいます。ロード様とは幼少から仲がよろしいと聞いていますよ」
「……なぜバード卿と?」
「鳥が大好きな方なのですよ」
「……鳥?」
「ええ、鳥です。鳩レースの第一人者ですし、鳥類の本もたくさんお書きになっていますわ。マルスの化身である太陽を咥えたカラスをバード・ロウと呼んでいたそうでそこからついたなんて言う方もいますわね」
澱みのないヒイナの答えに、最近サンディア付きになったメイが大げさに首を振る。ヒイナより5歳若いメ
イはくりくりした瞳とぽってり厚い唇が特徴の娘だ。
言動をヒイナに窘められることもしばしばだが、メイの飾り立てない率直な意見はサンディアには貴重でもあった。
「大好きじゃすみませんよぅ。影では鳥狂いの紳士とも呼ばれていますもの」
「メイっ」
ヒイナの小さな叱責にメイはぷぅと頬を膨らませた。
「メイ。どういうことかしら。教えてちょうだい」
サンディアが自分の方についたことに少しばかりバツの悪い顔したメイは、ごほんとわざとらしく咳をし
た。
「ヒイナ先輩の言ったことも正しいのですよぅ。レース会場の特等席はバード卿のものですし、彼の鳥類図鑑なんてエスタニアのクロスウィード私立図書館だって持っています。だけど元から鳥が好きだったわけじゃないのです。バード卿はあるときから狂ったように鳥にのめりこんじゃったんです。屋敷中に鳥を放し飼いにしてみたり、鳥の死体を買いあさったり、鳥の羽で飾ったマントで舞踏会に出てみたりと奇行が目立つようになって……それまではアリオス一モテてたと言う話ですよ。」
ヒイナは小さくため息をついて話を引き継いだ。
「ミンスク家と言えば、もともとローランド家やキース家にならぶ大貴族でした」
ローランドやキースがアリオスを代表する貴族であることは嫁いで日の浅いサンディアでも知っている。
「ですが、ロン・ミンスク様が当主になられてからは、すべてを鳥に捧げ財産も領地も失ったそうです。その損害を被った方も多くて、口さがない人たちの中には鳥狂いと呼ぶがたもいます」
「……そうなの」
そんな御仁がサンディアに何を贈ってくたのだろう。
箱を開けてみると赤い大きな羽根が一枚はいっていた。
細いがすっと長く美しいものだ。
日時の記してあるカードも入っている。
「レースの招待券じゃないですか?」
「「招待券?」」
メイの問いにサンディアとヒイナは首をかしげだ。
およそ招待券には見えない代物だ。
「バード卿主催の鳩レースは招待券が必要なのですよ。招待券には毎回バード卿お気に入りの羽根がついているっていうので注目していたのです。」
バード卿は貴族からは嫌厭されているが民衆には人気なのだ。
バード卿主催のレースに招待されるのは一種のステータスとなっている。
カンタスの街ではレースの日時が発表されるたびに、号外が出て誰が招待されたのか話題に上る。
「私、行ってみたいわ」
ぽつりとこぼしたサンディアの言葉に、侍女二人は顔を見合わせた。
数少ないサンディアのわがままだ。
叶えてあげたいが、サンディアを城の外に出したがらないロードからはきっとお許しがでない。
どうにかならないかと思案していたメイだったが、カードを見てあることに気が付いた。
「先輩。この日付ならロード様はいませんよ」
ロードには、毎年必ず城を開ける日がある。
それがレースの日付だ。
「…確かに。この日ならばサンディア様の願いを叶えてあげられるかもしれません」
案内された場所には男が立っていた。
すぐにそれがロン・ミンスクだと分かったのは、贈られた羽と同じく赤い羽根で飾ったマントを着ていたからだ。
首元は羽根で幾重にも覆われていた。
サンディアが声をかけるのを暫しためらっていたら、男はゆるりと微笑んだ。
そうすると彼の目じりに三本深い皺が入った。
ロードと幼少からの仲だというから、同じ年頃なのかと思っていたがロン・ミンスクはロードより十も年齢が多いように感じられた。
「ようこそ。ヒューロムの乙女」
「お招きありがとうございます」
慇懃に腰を折られ、サンディアも続く。
レース会場となっている石舞台からは少し距離があり、レース前の熱気が伝わってくるがどこか遠い世界のことのようだ。
「こんなに遠くに来たには初めてです」
ここからでは城は見えない。
サンディアがアリオスだと思っていたカンタスの街も見えない。
サンディアにとってアリオスは、ヒューロムより活気があり栄えて、人も建物も息苦しくなるほど密集している場所だった。
ただ続く平原をここもアリオスなのかと不思議な思いに駆られ息を吐く。
「ロードは連れていってはくれないかい」
「カンタスを出たのは一度だけです」
城下へ出たのも数えるほどだ。
今回のレース見学とてヒイナを巻き込んで何とか連れ出してもらったのだ。
何か式典があっても、ロードはサンディアに出席を求めることは無い。
ふと思うのだ。
ロードはこんな女を嫁に貰うのではなかったと後悔しているのではないかと。
だからロードはサンディアをどこへも出しはしないのだと。
サンディアの憂いを含む横顔を眺め、ロンは小さく唸った。
「ふぅむ。あれも大切なものを失ったからな」
「……どういうことです?」
「あんたの前にロードに許嫁がいたのは知っているか?」
「……いたでしょうね」
詳しい話はサンディアの耳には入ってこない。
けれど一国の王ともなれば、そういう話は当然あったであろう。
サンディアが嫁ぐまで側室の一人もいなかったロードが珍しいほどだ。
「リール―という娘だ。美しく聡明な娘だった。ロードにとってみれば妹のようなものだったが、彼女以上に王妃にふさわしいものはいないとまで言われていたよ。だが悪意の真っ只中に立っていられるほど強くはなかった」
ロン・ミンスクは口の端だけで笑った。
遠い昔を見つめるような瞳は暗く、今度は目じりに皺は入らなかった。
リールーは同じく王妃候補として育った貴族の娘たちの、彼女たちの支持者たちの妬み怨嗟そんなものを一身に浴びていた。
ロン・ミンスクにとってみればそれは当然のことだった。
上に立つということは、そういうものだと理解していた。
リールーもロンと同じ考えだと信じて疑わなかった。
ミンスク家の娘でありロンの妹なのだから。
彼女はなにもかもうまくやった。
当然あるべきミンスク家の娘を演じきっていた。
見本となるような完璧な笑顔の奥で、リールーが悲鳴を上げているなど思いもしなかったのだ。
「リールーは一度だけ翼を強請った」
「……翼ですか」
「遠くへいくための翼が欲しいと。なんと子供のような戯言だと私はとりあわなかった」
ここから逃げる術が欲しい。
そんな切実な願いに気が付かなかった。
「遠く、遠くへ行ってしまったよ」
よく覚えている。
五年前の丁度この日だ。
アリオスには珍しく雲一つない真っ青な空の日だった。
赤いドレスを身にまとったリールーは塔より身を投げた。
そこはミンスク家の屋敷でさえなかった。
カンタスの裏街の誰も寄り付かない寂れた塔だ。
後にエイナの塔と呼ばれていることを知った。
何度もその塔に立ってみたが、リールーがその場所を選んだ理由は分からなかった。
ロンの脳裏に浮かぶのは妹の最期の姿ではなく、知らせを聞いた時のロードの顔だ。
表情が抜け落ちた顔。
怒りに駆られたロードの顔より、よほど恐ろしかった。
「だから鳥を?」
サンディアからの問いに現実に引き戻されたロンは、しばし首元の羽根をいじり、ふっと笑った。
「……さぁ、どうかな。」
なんでもよかったのだ。
鳥である必要はなかったと思う。
皆の望むミンスクにどれほどの価値があるのか知りたかったのだ。
奇行を演じれば人は離れていく。
それを高尚な趣味だと褒めていた連中も金がなくなればあっという間に去って行く。
家名などまやかしだ。
そんなもののためにリールーは死んだのか。
そう思うとやりきれなくなった。
偽りの奇行はいつしかロンの生活のすべてになった。
おかしなもので、鳥にのめりこむほど、失ったものの代わりに他のものを得たけれど。
いまやロンを友と呼ぶのは、かつては交流のなかった民たちだ。
農夫、加治屋、行商人。
「私を招待してくださったのはなぜです。きっと陛下には内緒だったのでしょう」
「ロードはうるさいからな。」
これは嘘だ。
ロードはロンを前にすると押し黙る。
リールーの名さえ出てこない。
それに耐え切れなくなって、ここ数年はロンが彼を避けている。
「招待したのは…」
リールーを逃してはやれなかったのだ。
だからロンはサンディアに羽を贈った。
ロードが嫁に迎えたと聞いた時から、一度サンディアに逢ってみる必要があると感じていた。
彼女はリールーより更につらい立場だ。
この国の文化も知らないよそ者で、頼る親族の一人もいない。
臆病になった獅子は彼女を悪意から避けるために囲い込み、彼女は未だに友の一人も持てずにいる。
ロンは、サンディアが翼を強請るならばいつだって用意してやるつもりだ。
「おや、獅子が来たようだ。意外に早いな」
今日はリールーの命日だ。
毎年ロードはミンスク家の墓に参る。
そこから馬で駆けてきたのならば、随分と早業だ。
「獅子の背に飽きたらいつでも来るといい。翼をかしてあげよう」
「獅子の背も翼も必要ではありません」
「そうかな」
ロン・ミンスクは浮かびかけた笑みをひっこめ、サンディアのひき結ばれた赤い唇をみた。
ずっと考えていたのだ。
リールーはなぜ赤いドレスを選んだのだろうかと。
誰かは言った。
溢れる血が少しでも分からないようにとの配慮ではと。
あれは戦神の赤だ。
あの塔はエイナの名を持っていた。
リールーは戦おうとしていたのだろうか。
リールーは死ぬ気などなかったのではないだろうか。
ロンは誰もくれない問いの答えを今も探している。
浅はかにもこの娘に問おうとしたのだ。
何故。
なぜ。
ナゼ。
知りようのない答えを。
彼女を身代わりにして。
「私は自分で歩んでいきます」
「そうだな」
救えなかった妹をサンディアに重ねて、赦されようとしていたのだ。
サンディアの強い瞳から逃げるようにロンが視線を外したとき、レース開始の合図の音がした。
「倒れそうなときは肩をかしてください」
「……ああ、もちろんだとも」
歓声が聞こえる。
数多の鳥たちが西に向かって飛び立っていった。




