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銀獅子と乙女  作者: 悠月
10/16

手紙と乙女

ロードが国境の小競り合いの平定に出発して半月ほどが経つ。

帰ってくるのに三月はかかると言っていたので、その間にサンディアはエイナの舞を習得しようと日々稽古に勤しんでいるところだ。

舞の師の顔から険しさが薄れ、氷のように冷えた声での指摘が少なくなってきた。

稽古中の浮き立つような気に反して、それ以外の時間は心にぽかりと穴が開いたような心地がするのはなぜだろう。

特にロードをほめ称える貴族の訪問は殊更億劫で、エスタニアからわざわざ取り寄せた菓子だと胸を張って持ってこられた貢物たちにも心は浮き立たない。

最近サンディア付きの侍女になったメイがあまりにも目を輝かせるものだから、お茶の時間に皆で食べようと提案すれば、甘いものとおしゃれには目がないと豪語するメイは「サンディア様大好きです」と跳ね回った。

この侍女らしくない率直な娘をサンディアが気に入っているのだが、ヒイナからはことあるごとに指摘が入る。

二人の掛け合いが面白いことが小さな楽しみだ。

それとてなんともいえぬ心地を満たすには到底足りない。


ほぅと息をつこうとした刹那、ヒイナが微笑みながら近づいてきた。

後に何か隠しているらしい。

浮かぶのは上品に見える侍女の笑みではなく、年相応の娘のものだ。

何か良いことでもあったのだろうか。


「どうしました」


「サンディア様にお手紙が届いていますよ」


「手紙? どちらからでしょう」


ヒューロムからだろうか。

そんな心情が顔に出ていたのだろう。

ヒイナは慌てて貴石で飾られた箱を差し出した。

サンディアがそっとふたを開ければ、金の封蝋のついた真っ白の手紙が入っていた。

封蝋にはカラスの矢羽が三本交差したデザインが刻まれている。

ロードの紋章だ。


「ロード様からです」


「陛下が手紙……珍しい」


珍しいというよりも初めてだ。

サンディアがまだヒューロムにいる時でさえ、ロードは手紙など送ってきたことは無い。

サンディアはしばしためらって封蝋を割る。

お茶の用意を始めている後輩侍女のメイを手伝うために背を向けようとしたヒイナに戸惑いの気配が届いた。

サンディアを窺えば眉を僅かに顰めている。

何かサンディアの心を煩わせることが書いてあったのだろうか。

城へ届いてくる戦況はどれもアリオスに有利なはずだ。

誰かが怪我をしたというような知らせも届いてはいない。


「なんと書いてあったのですか」


ユンナの問いにサンディアは困ったように小さく微笑んだ。


「……どう返事をしたらよいのかしら」


「はい?」


「失礼を」と断りを入れて手紙を覗き込んだヒイナは目を丸くした。

「まぁ」と小さく呟いたきり言葉が続かない。

手紙にはただ大きく「サンディア」とだけ書いてある。

戦王とも呼ばれるロードの書く文字が、そのイメージとは裏腹に優美だと知っているヒイナには「サンディア」の文字がいつになく乱れていると感じることは出来るのだが、そこからかの人の心情を推し量ることは出来なかった。

息災かとも、どうしているかとも尋ねてこない。

もしや二枚目があるのではないかと、封筒を確かめてみたが一枚きりだ。

ヒイナは眉間を抑えて小さく唸った。

アリオスの王という立場から見れば、ロードは間違いなく優秀な王だ。

どうしてサンディアが絡むと残念な事態に陥るのだろう。

この事態を少しでもいい方向に進める為にはどうしたらよいだろう。

少なくとも返事は書くように進言しよう。


悩むヒイナの横から手紙を覗き込んだメイが、ころころと笑い出した。


「メイっ」


先輩侍女のヒイナから叱責をうけても、メイは可愛らしい笑い声を止めることは無かった。

思う存分笑い、目じりにたまった涙を弾くとふぅと一息ついた。


「あたし、ロード様はとーっても怖い方だと思っていましたが案外可愛らしいですねぇ」


「メイ言葉を慎みなさい」


軽い物言いの後輩にさらにヒイナの頭は痛くなる。

どんなに鋭い声をあげても、メイには何の効き目もないことを知りつつ今日も声を張り上げている。

指導する立場は向いていないのではないだろうか。

そんなことを思っているヒイナをしり目にメイは笑みを深くした。


「だって。『愛してる』も、『逢いたい』も、『心配だ』も、ぜーんぶ、たった一言に込めちゃうんだもの」


「えっ」


「『おはよう』『おやすみ』『浮気するな』も含まれているかもしれませんねぇ」


「まぁ」


サンディアの脳裏には様々なロードの声が浮かぶ。

確かに「サンディア」と呼ぶその声音で多少なりと彼の気持ちを汲むことが出来る。

さすがに浮気するなが含まれる声は思いつかなかったけれど。


「返事など何でもよいのではありませんかねぇ」


「そうかしら」


「そうですよう。ロード様はサンディア様からもらうものは、なんだって嬉しいのですから。白紙の手紙だって小躍りして喜びますとも。ねぇ。ヒイナ先輩」


メイはお毒見と称して焼き菓子を口に放り込んだ。

美味しいと飛び跳ねてもう一つつまみあげる。


「メイ。いい加減になさい。申し訳ありません。サンディア様」


「……小躍り」


「サンディア様。想像しないでください」


「陛下の小躍りなんて想像できないわ」


そうぽつりと言ったサンディアの前で侍女二人は妙な顔をした。


「あたし、見たこと」


「メイ」


先輩が発するひんやりとした空気を感じ取って、さすがにメイも口を閉じた。

サンディアに見えていないところで、ロードはなかなかに残念な部分を晒しているのだ。

ヒイナとて知っているが、有能な侍女と自負している彼女は、主が気に病むような夫の姿を口にしたりしない。


「ヒイナ。お返事を書きます。用意してくれるかしら」


「もちろんですとも。」


サンディアが返事を書いてくれることにホッとしたヒイナは、言われた通りに筆記具を用意する。


「えぇ。お茶を飲んでからでもよいのではないですかぁ?」


不満げに頬を膨らますメイにサンディアから思わず笑みが漏れた。


「お菓子は皆でいただきなさい」


「いいんですか!」


「サンディア様。メイをあまり甘やかさないでください」


「ヒイナもちゃんといただいてね」


「……はい」


「さぁさ、先輩行きますよ。サンディア様は、おひとりでじっくりお返事を考えたいんです」


「わっ分かっているわよ」


メイは菓子の箱を持っていない方の手でぐいぐいとヒイナの背を押す。

一度部屋から出かかったメイがサンディアのところに小走りで戻ってきた。


「サンディア様。お返事にいい案があります」


「聞かせて」


「ヒイナ先輩には内緒ですよ」


メイはお茶の時間のために用意していたナプキンを持ってくると、口元にそっと寄せた。

年頃の少女たちの御用達の店の新色だという明るいピンクの紅が、唇の形そのままに写しとられる。


「こんな風に手紙の最期にでもチュッとしてあげれば、ロード様は大喜びです」


「なっ……そんな。私は」


「城下では流行っているのですよぅ」


だって。恥ずかしい。

想いあって一緒になったわけじゃないのに、まるで恋人のような行いなど到底できない。

サンディアの気持ちを察したようにメイはサンディアの唇を指さした。


「だって、サンディア様の紅は特別なんでしょう?」


サクレの紅はヒューロムの色だ。

エイナが纏ったマントの色。

勝利をもたらす女神の色。

小娘たちが使う量産品の化粧とは違うのだ。


「ねぇ、サンディア様。いつか私が一人前の侍女になったら、サクレの紅を分けてくださいな。特別な日に使うから」


「特別な日?」


「私もいつか愛しい人を戦場に送り出します。勇気を一片くださいな」


サクレの色を美しいと特別な色だと言ってくれるものがいる。

故郷から離れたこの地で。

じんわりとした熱がサンディアの内に広がる。


「ええ。いいわ」


「約束ですよ」


メイはクスクス笑って部屋から出て行った。

廊下から聞こえていたヒイナとメイの掛け合いの声が次第に遠くなる。


真っ白な便箋を前にサンディアはしばし迷う。

なんと書けばよいだろう。

伝えたいことも聞きたいこともたくさんありすぎる。

ロードもそうだったのだろうか。

しばし考えて、サンディアはペンを執った。

彼が帰ってくるころにはアリオスに夏が来ているかもしれない。

短く美しい時期だと聞く。

アリオスの夏がみたい。

自分の中に生じた変化を伝えたい。

しばらくペンをはしらせ、最後にそっと唇を寄せた。




その後のロードの活躍は目を見張るものがあり、遠征は三月の予定が一月となり、

サンディアに舞の師から及第点が出るより先にロードは帰還した。



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