7.幹部格―9
ウェルが、弾け飛んだのはその直後だった。ウェルが大きく後方に吹き飛び、回転しながら十数メートルも後退した。
見れば、仁藤の周りを渦巻いていた風が、その勢力を増していた。その大きさは、ウェルの体の周りを渦巻いていたその風の倍以上はありそうだった。雨が弾かれ、二人の間は雨など存在しない。全てが彼女らを避けて地面に落ちているようだった。
「ぐっ、う……。くそっ!」
ウェルが前進する。一直線に仁藤へと向かう。その前進の間に、ウェルの体の周りから、風の刃が仁藤に向かって無数に飛んだが、それらは全て仁藤の周りを守る風に弾かれて消滅した。
ウェルが仁藤に衝突する。その際、仁藤が自身の周りの風を、ウェルと同等のそれにまで敢えて落とした。そして、相殺。ウェルと仁藤が、生身で衝突する。
ウェルは即座に攻撃を仕掛けた。拳を振るった。空中での戦闘には自信があった。だが、仁藤はまだ上を行く。
ここまで来て、大凡三分程が経過した。そこで仁藤は気付いた。ウェルは、風神として、自分よりも確実に劣っている、と。
ウェルの拳は空を切った。その隙に、仁藤の膝蹴りがウェルの懐、鳩尾に叩き込まれた。
ぐぅ、とウェルの口から嫌な音が漏れる。足場のない空中戦。ウェルは今の一撃で後方に再度吹き飛ばされそうになったが仁藤がそれを許さない。圧倒的な力の差を見せつけようとしていた。
吹き飛びそうになったウェルの胸倉を仁藤は掴み、引き寄せ、強烈な頭突きをウェルの額に叩き込んだ。再度、ウェルの表情が歪んだ。だが、まだ吹き飛べない。胸倉は掴まれたままである。
再度引き寄せられたウェルの顔面、鼻面の頂点に、まさに、鼻梁を叩き折る様に、仁藤の拳が正面から叩きつけられた。
「っぶ、」
ウェルの鼻が文字通り叩き折られた。鼻血が吹き出し、鼻梁が変に曲がって顔が歪む。そして、今度こそウェルは吹き飛んだ。が、それは後方にではなく、斜め下へとだった。
風力が、落ちていた。超能力をコントロールできるだけの集中が今の連撃で切れてしまっていた。
が、ウェルの体は再度、仁藤と同じ高度まで浮き上がる。だがそれは、ウェルの超能力による力ではなく、仁藤の発生させた風力によって、だった。
浮き上がったウェルはすぐに態勢を立て直そうとするが、自身の力ではないがためか、うまく態勢を保てず、その場でふらふらとひっくり返ったりしていた。
それで、しまい。
「私から見れば、それは風神なんて呼べないわ」
そう仁藤が宣告。仁藤がその言葉の直後、仁藤が右腕を前へと出して、そして、握りつぶすような動作。その動作に反応する様に、ウェルの体を包んでいた風が、暴風と化した。
その鎌鼬と呼べるそれが、ウェルの体を次々と切り裂いて行く。風の回る速度は恐ろしく早く、数百とウェルの体を刻んだ風は、一瞬でその数をこなして見せた。
血の雨が飛び散ったが、地上に到達するまでにはかなり散ってしまっていたため、地上の人間はそれが、恐ろしい程の量だったとは気付けまい。
仁藤の数メートル先で、肉塊と化したウェルが仁藤の操作する風の渦の中に浮いていた。流石に死体を落とす事は出来ない。
勝敗は決した。僅か五分足らずで幹部格同士の戦いが終わった。
ジェネシス幹部格の数は多い。その分様々な超能力者が存在する。だが、今回のように、力の差がどちらとは言い切れないが、歴然としている場合もあるのだと分かった。
さて、と。と、仁藤はウェルの死体を浮かせたまま、ポケットから携帯電話を取り出す。
(桜木は……まだ戦ってるかもしれない。後で連絡を取ってみましょう。……光郷は、終わってるはずよね)
携帯電話を操作して、光郷へと連絡を取る。
数回のコールの後、電話は応答した。
『なんだ。仁藤』
「ジェネシス幹部の風神、ウェルとやらを倒したわ。今死体が手元にある」
『……そうか。こっちも、一人、倒したところだ。レコン……とか言ったか、氷の超能力者だった』
光郷もまた、外にいた。雨の中、彼はビルを建設途中の鉄筋が組まれた、広大な敷地の工事現場にいた。鉄筋が組まれただけで、天井がないそこ。鉄筋の一つに、二つの影。光郷と、その足に踏まれているレコンと呼ばれた死体。雨に打たれ、裂かれてしまった腹部から鮮血があふれ出して鉄骨に垂れていた。
「あらそう。まぁ、あなたならとっくに戦闘を終わらせてると思って貴方に連絡を入れたんですけどね」
『ふん。当然だ』
光郷がそう言った瞬間だった。
仁藤の視線の先に、光の帯が、見えた。一瞬だ。一瞬だった。光の帯ははるか遠く、地平線の先から仁藤よりも数メートル低い位置で直線に飛んできて、直角に上へと曲がり、仁藤と同じ高さで止まった。
雨の中、一瞬にして目の前に登場した人影があった。
光の帯を見てしまったため、仁藤は一瞬、光郷が来た、と思ってしまった。だが、その次の瞬間、仁藤が、光郷がこの場所を知る理由はない、そもそも、電話中に突然目の前に現れる理由がない、と気付いたその瞬間には、光の尾は、ウェルの体と、仁藤の体を貫くように、その場を通り過ぎていた。
「ッ、」
言葉と鮮血が、口から吹き出しそうになったその時だった。既に、仁藤の体は、上半身、下半身と分けるように、真っ二つに切り裂かれていた。
宙を、ウェルの、そして、仁藤の上半身と下半身が別々に舞った。今度こそ、鮮血は地上を埋め尽くす傘の絨毯の上に降り注いだ。
その次の瞬間には、光の尾は空気中での屈折を繰り返し、
『おい! 風神!? 応答しろ!』
空中で、二つの死体を、あっという間に粉々になるまで、切り裂いた。
そのまま光の尾は、後片付けもせずに西の方へと一直線に飛んで行き、一秒後には、現場に残っていた光の帯もすべて消滅して消えた。
残ったのは、地上から聞こえる不思議そうな声や、悲鳴だけだった。
敵にも、閃光がいた。仁藤は殺される直前、そう気付いたが、それを誰かに伝えるなんて事は、出来なかった。
仁藤茜、死亡。
「くっそ……、何があった……風神!!」
突如として通話が中断された事で、光郷は仁藤の身を案じた、が、彼女の居場所は知らない。すぐに携帯電話を操作して、NPC日本本部執行部にて、裏手の担当をしている人間に連絡を取った。
『はい』
「風神の居場所を頼む」
光郷がそう伝えると、はい、という返事の後、キーボードを打つ音がしばらく続いた。数秒後、
『先程まで、自衛隊のレーダーにそれらしき影が映っていたのですが、今はどうしてか、消滅しています。それに、携帯電話のGPSも、辿れません』
報告に、嫌な予感を光郷は覚えた。
「最後に確認した位置は」
『新宿上空です』
「詳細を。現場を見てくる」
場所の詳細を知った光郷は、その場にレコンの死体を残し、それは回収班に任せ、超能力を使って一瞬で現場へと移動した。
現場近くのビルに身をおろし、光の帯を消し去った光郷は辺りや地上の様子を見下ろすが、死体を見つける事はできなかった。だが、地上が何か騒がしいのは、理解出来た。
光郷は、この時点で察していた。第三者の介入があり、仁藤が殺されてしっまったという事実を。
地上には、血肉が言葉そのままの状態で、降り注いでいた。それは、見て分かった。それが、仁藤のそれとは思いたくもなかったが、彼の冷静な推測はそのような結論を導いてしまっていた。
ビルの屋上の端から地上を見下ろしながら、光郷は考える。
(空中戦で仁藤に打ち勝つ人間がいるというのか……)
光郷もまさか、『自身と同じ』超能力を持つ人間がいるとは、思えなかった。




