6.新体制―10
戦慄が走った。零落希紀の髪が怪しくなびいていた。
「逃げるが勝ちだ」
亜義斗が静かに呟いた。それに対して、全員が頷いた。
零落希紀が一歩進む。全員が一歩後退した。
危険な存在だという事は見れば分かった。まず、玄関扉をああも容易く吹き飛ばす人間に安全な人間がいるはずがない。
恭介はとにかく、琴を逃がさねばならないと思った。琴は、恭介を殺させはしない、と睨んでいた。亜義斗と菜奈は、二人を逃がす事を頭にしていた。全員が目標を瞬時に見定めた。
そして、動き。恭介と亜義斗が、二人とも打ち合わせをしたわけではないというのに、零落希紀に突っ込み始めた。そして、
「きょーちゃん!」
琴が焦るが、菜奈が琴の手を引き、そして、リビングの庭へと繋がる大窓へと飛び込んだ。菜奈が窓を開き、そこから二人は庭へと出た。
「菜奈ちゃん! ダメだって!」
琴が戻ろうとするが、
「ダメなのは私達。おに……亜義斗なら時間が稼げる可能性がある。郁坂恭介は亜義斗が守る」
「ッ」
菜奈が阻止する。言われて、琴は仕方なく、菜奈に引かれるがまま着いていく事にした。本当は、当然、戻って恭介と一緒に逃げたかったが、ここは耐えなければならない。
「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
恭介がまず、一歩先に踏み出した。雷撃を放つ。一瞬の閃光が零落希紀へと突き刺さった――様に見えたが、弾かれる。直線的に進んでいた雷撃が、零落希紀にぶつかって斜め上に飛び、リビングの天井を焦がした。破壊した。
そこで、恭介は足を早急に止めた。その横を抜けて、亜義斗が飛び出した。亜義斗が飛び出すと同時、亜義斗の拳に、何かが纏われた。それは、キーナが保持している様な、バリアと良く似ていたが、それと同じかは見ての判断は出来なかった。
亜義斗の拳が、動きを見せない零落希紀の顔面に突き刺さった。だが、それは、零落希紀に触れていない。
「ぐっ、」
亜義斗が眉を顰める。亜義斗のバリアでコーティングした拳は、零落希紀に触れる直前で、どうしてか、止まっていた。見れば、亜義斗が拳を寸前でわざと止めたわけではないと分かる。恐らくは零落希紀の超能力なのだろう。
亜義斗は即座に下がって恭介と並んだ。
「郁坂恭介! ここは下がって菜奈達を追いかけてくれ」
「何言ってんだ。こいつに一人で相対するなんて無理だ。隙を見て逃げるぞ」
恭介が反論するが、亜義斗は首を横に振る。
「ダメだ。ここは俺がなんとかする。せめて時間を稼ぐ。お前は離脱して菜奈達をNPCまで逃がしてくれ」
言われて、考える時間はなかった。ただ、一瞬で、判断したら素直に従うのが良い、と恭介は判断し、頷いた。
「分かった」
恭介は即座に踵を返した。琴達が出て行った庭の方へと駆けた。だが、
「あぁ、君も逃がさないよ。ついでだけど」
零落希紀がそう言って右手を振るうと、リビングと窓が空いていた部分に、氷の壁が一瞬で出現した。が、恭介は止まらない。
「おぉおおおおおおおおおおお!!」
恭介がその氷に突っ込む様に、蹴りを放った。当然、ただの蹴り程度のそれでは壊せそうにない分厚い氷の壁だったが、恭介にはそれを打ち破るだけの能力があった。
威力強化。神威龍介から奪い取ったその超能力である。
恭介の蹴りが突き刺さり、そして、氷の分厚い壁に亀裂が網目状に入ったかと思うと、一瞬にして砕け散った。そして、道が開け、
「待ってるからな!」
亜義斗にその言葉を置いて、すぐに庭から外へと飛び出した。
零落希紀はその様子を視線で追いはしたが、姿が見えなくなるとすぐに視線を戻して、まぁいいや、と吐き出した。
そうだ。恭介をついで、と言った通り、今回、彼女の目的は目の前の神威亜義斗と、逃げてしまった菜奈にある。零落希紀の視線は亜義斗に突き刺さる。嘲笑するような、余裕を感じさせる視線。表情。
勝算は全くなかった。
亜義斗の頬を冷や汗が伝う。
「零落希紀とか言ったな」
話をしようとする。
「そうだけど、何?」
力持つ、零落希紀は余裕での受け答え、亜義斗を逃がす気はないのだろう。話くらいはするつもりでいるのだろう。
亜義斗は牽制しつつ、言葉を吐く。
「一つだけ訊きたい」
亜義斗のその言葉に、いいよ、と明るい返事。
亜義斗はただ、これだけが確認したかった。
「……俺をこの場で殺した後、菜奈をどうするんだ。俺は死んでも菜奈がNPCに逃げ込むまで、時間を稼ぐぞ」
「殺すに決まってるじゃん。何言ってるの?」
あっけらかんとした、畏怖の返事。言葉そのまま、本当に何を言っているのか、という表情で零落希紀は亜義斗を眺めた。眺めていた。
零落希紀は、今から、亜義斗を殺し、NPCに逃げ込んだ菜奈を追っ手NPC日本本部へと進入し、数多の邪魔を全て排除して、それでもって菜奈を殺す、と悠々と言っているのだ。
これが、格の差である、亜義斗と菜奈が龍介を助けにいった際でさえ、亜義斗は死を覚悟した上でNPC日本本部へと乗り込んだというのに、この女は、それを大した事だとは思っていないのだ。
それに、と零落希紀は髪をかき揚げ、言う。
「私の姉達がNPC日本本部にはいるからね。たまには顔出してやらないとね」
ふふっ、と不気味に笑った。彼女は本当に、本当に、NPCのメンバーに大して何の驚異も覚えていないらしい。だが、思う事はある様だ。
零落姉妹。姉の希美、次女の希華、そして、三女の希紀。繋がりは、あった。
「まぁ、零落なんて意味深な苗字をしてるけど、私が一番零落って言えるね。零落した零落。あはは、笑えるでしょ?」
おかしそうにそう言う希紀だが、当然亜義斗は笑えない。
「笑えないな!」
そう言って、亜義斗から仕掛けた。亜義斗は分かっていた。これ以上の時間稼ぎは、許されない、と。零落希紀も分かっているようで、零落も不敵な笑みで亜義斗を迎えた。
「海塚さん!」
NPC日本本部へと飛び込んだ恭介と、合流した菜奈と琴。エントランスでそう叫ぶと、エレナと何かを話していた海塚が振り返り、目を見開いた。当然だ。そこに敵である神威菜奈がいるのだから。
が、その姿を見て事情を察したのだろう、一旦菜奈の事は無視して、海塚は恭介を見て問うた。
「どうした?」
焦っている様子は伝わっている。
「零落希紀とか言うジェネシスのバケモンの襲撃を受けてる! 今、神威亜義斗が足止めをしてるんですけど、いつまで持つもんか……」
どうして神威兄妹が身内にいるのか、それを説明している余裕はなかった。だが、海塚はそこを察した上で――入口に視線をやった。
「現在進行形とはな」
言って、海塚は合図をしてエレナを奥へと避難させた。
海塚の視線に気づいて、恭介達も即座に振り返った。そこには、血塗れのおぞましい姿で不気味に笑んで立つ、零落希紀のその姿があった。
早い、早すぎる。そうは思ったが、まだ、恭介達は相手の力量を測りきれてはいない。もしかすると、これでも、遅い登場だったのかもしれない。
「やぁこんにちは。NPC日本本部の方。菜奈ちゃん殺すついでに挨拶にきたよ」
笑顔でそんな台詞をさらりと吐き出す零落希紀。海塚もすぐに、彼女が恐ろしいばかりの力を持つ人間だと察した。
「訊きたいんだが、その苗字。珍しい苗字だよな。やはり、零落希華と同じ……、」
言いかけたところで、零落希紀は盛大に頷いた。
「うん。そうだよー。私は零落姉妹の一番下。三女の零落希紀」
零落希紀のその言葉になるほど、と何か意味深に海塚が頷いた。が、すぐに考えるのは、やめて、海塚は零落希紀を睨む。
「さて、襲撃してくるのは一向に構わないが、今ここは私の領地内だ。荒らすならそれなりの対応をさせてもらうつもりだが」




