5.臨戦態勢―2
ふん、と鼻を鳴らして足元でもがく龍介を見下ろすと、光郷のその視界の隅に何かが落ちてきた。龍介の左腕の一部だった。氷と化した左肩から移動で引きちぎられ、宙を舞って落ちたのだろう。
が、光郷の視線はそちらには移らず、路地の入口、琴が立っている方へと向いた。
「言ったよね。首肯以外は手足をもぐって」
琴の前に立つ、小さな影。聞こえてきた声に反応した龍介が見たその影は、龍介に対して畏怖の対象でしかない。
零落希華。液体窒素だ。
その表情は背後からの差し込む光であまり良く見えはしなかったが、良くない事は龍介にもすぐに分かった。
「やれやれ、液体窒素は怖いですねぇ」
そんな事を呟きながら、龍介の側から光郷は離れた。光郷が離れると、零落が前進する。
そして、一瞬。本当に一瞬だった。瞬きする間もなく、地面でもがき苦しんで転がっていた龍介の残った手足が凍りつき、そして、砕けていた。
最早悲鳴は聞こえなかった。一瞬の出来事過ぎて、本人も悲鳴を上げる余裕もなかったのだろう。見れば。龍介のその身体を除いて、路地裏も一帯が凍りついていた。ビルの壁も暗闇の中、白く染まっていた。
そんな光景を見て、
「危ない危ない。あはは。希華ちゃん。もう少し手加減しないとビル二つ巻き込んでたよ?」
と笑いながら琴が零落の肩を叩いて、横を抜けてひょいひょいと龍介の方へと向って行った。
「……後数歩前に出てたら俺までやられてたんじゃないですかね」
光郷も目の前に広がる光景を見て、冷や汗を垂らしながらそう呟いて、龍介の方へと向かった。
琴、光郷と龍介を見下ろす位置に付き、最後に零落がそこに来た。
三人は龍介のその酷い有様を見た後、それぞれで顔を合わせた。
「瞬間移動、できると思いますか?」
光郷が二人に問う。
「冗談きついね。流石にこんだけの状況になってたら出来ないでしょ」
琴が笑った。零落も頷いた。
それを確認した零落はすぐに携帯電話を取り出し、回収班へと緊急だ、と手配を回した。
もし、何かあって逃げ出せる様な状況になったらまずいだろう、ということで三人は回収班が到着し、達磨の状態の龍介を回収するまで、その場にいた。回収班は十数分で到着し、龍介のその身体を回収し、NPC日本本部へと持って帰った。流石の回収班も、龍介の悲惨な有様には、目を見開いていた。
回収班が現場の掃除も考えていたが、零落の影響で辺りは氷漬けになっていてどうしようもないため、回収班は回収だけ済ませるとすぐにその場を離れていった。
残った所で、零落が二人に訊いた。
「ところで、何があったの?」
そうだ。零落は幹部格が何かを見つけたから、と呼び戻されたのだ。任務終わりで丁度良いタイミングではあったが、何かあったと言われれば気にもなる。
その問いには現場に行った光郷が応えた。
「メイデンとか言う新組織の調査に雷神が向かった。だがそこで、雷神は負傷して、更に何かを見つけて戻ってきた。そこで負傷した雷神に変わって俺達が調査に向かったのだが……。そこで、ある者を見つけた」
「ある者ってどういうこと? 何?」
首を傾げる零落に、光郷は、
「それは帰ってから『資料』と共に説明しよう。時間が遅い、明日でもいいが……どうする?」
「今すぐ帰って話を聞こうかな」
零落は首を横に振って、さらっとそう言った。
18
NPC日本本部、朝四時。
まだ空は暗い。が、NPCは昼間かと思う程に明るかった。そして、今までにない程に忙しかった。
そして、恭介も、奏に叩き起こされ、NPCへと来ていた。眠そうにしながら、恭介はNPC日本本部の一角にある休憩室でコーヒー片手に待機していた。隣りには琴がいる。
テーブルに眠そうに突っ伏していた恭介が呟く。いや、問う。
「琴ー」
「なぁに? きょーちゃん?」
琴は全く眠そうな素振りを見せない。深夜の出来事があったが故、彼女は寝ていないのだが、幹部格として、そういう事には慣れているのだろう。コーヒー片手に恭介に微笑んだ。
「一体今から何があるんだ? くそ眠いんだが」
「まぁ、この時間だもんねぇ」
「そーそー。眠い」
頑張って、と恭介を励ました琴は、コーヒーを一口のみ、カップをテーブルに置いてから、説明した。声色が、変わった気がした。
「幹部格の明路君が、ジェネシスの『新兵器』と思われる人間を捕まえたの」
「新兵器? つーか明路君って」
「あぁ、言ってなかったっけ? 光郷明路。閃光って呼ばれる幹部だよ。新兵器っていうのは……、」
と、琴は雷神、桜木がメイデンの施設に行った任務から詳しく説明した。それを訊いた恭介は、そんな事があったのか、と寝ぼけ頭で必死に考えた。記憶した。
そして、ある意味の本題を、琴は続けていう。
「それとね、つい一時間二時間前の事なんだけど、神威龍介を、捕まえた」
「何……!?」
流石の恭介も、それを訊いて目を覚ました。身体を起こし、コーヒーを一度飲んで、カップを置いて言った。
「じゃああれだ。俺が起こされたのはやっぱり、俺の超能力で……」
琴は首肯する。
「そう。その『新兵器』と、神威龍介から、超能力を強奪してもらいたいんだ」
なるほどな、と恭介はうつむく。顎に手を置いて、何かを考えていた。
これから先どうなるのか、と思った。龍介と言えば神威家の次男、つまり、ジェネシスの幹部以上の人間である。彼から超能力を奪う。それはかなりの大事である。これが終わりのある物語なら、終盤に位置するような事情である。
だが、そう簡単に行くとは思わなかった。
「あ、でも心配しないでね。二人共、絶対に抵抗できないから」
琴が言った。事情を知らない恭介は首を傾げた。
恭介が琴に導かれて向かったとある部屋。NPC日本支部にこんな部屋があるとは、と思うような薄暗い部屋だった。その部屋の中心に、椅子と、そこに『置かれている』、身体。
部屋の中にはそれ以外と、流、そして、恭介にはみしらない、光郷がいた。恭介と一緒に部屋に入ってきた琴が光郷を恭介に紹介する。
「光郷だ。よろしく。恭介君」
「あ、ども。恭介です。よろしくお願いします」
適当な挨拶を交わして、恭介は思う。幹部格の人間は、雰囲気からして、人間離れしている、と。一緒にいる琴もまた、幹部格であるが、戦闘用の人間ではない。それに、学校から一緒にいすぎた。だが、戦闘用の人間として人を沢山殺してきた幹部の人間は、まず雰囲気が違った。圧倒的に、言葉を悪くして言えば、化物、そう思えた。
挨拶が交わされた所で流が話を始める。
「こいつは、ジェネシスの新兵器と思われる人間だ」
流の言った人間、という言葉に恐ろしい程の違和感を覚えた。
恭介は椅子に置かれている者、モノに視線を移す。
人間、と言えば人間だろう。少し癖のある肩の先まで伸びた黒髪が特徴的な、筋肉質な男。霊長類のそれだろう。
だが、違和感。
まず、両手首から先がない。そして、そこは、もとはしっかりと手があったのだと言わんばかりに、焼かれて、無理矢理閉ざされていた。そして、両膝の先が、存在しない。こちらも、手首同様、焼かれて、皮膚を無理矢理くっつけられている様だった。
意識はないらしい。死んでいるのかもしれない。目を伏せて、うなだれていた。こんな状態だからか、拘束はされていなかった。
「…………、」
何も言わずに恭介はただ頷き、そして、男の目の前に立った。迷わず手を延ばし、男の肩に手を置いて、そして、五秒。
その様子をこの場にいた人間は固唾を飲んで見守った。
が、五秒の後、恭介は首を横に振った。
「ダメだ。これ、人口超能力だ。能力の種類は……、炎系だな」




