5.臨戦態勢―1
神威龍介は複数の超能力を所持している。それは、複製や強奪の様な力を持っているからではなく、ジェネシスの開発している人工超能力のためにある。そして、龍介はその『適正』が高く、他の者よりも多くの人工超能力を自身に秘める事に成功していて、複合能力者の様な状態になっていた。だが、違う。龍介は『兄とも妹とも違う』。
龍介の様な、天然超能力と、人工超能力を併せ持つ人間を、ジェネシスでは『進化超能力者』と呼んでいる。龍介は、ジェネシスのそれで言うなら、進化超能力者なのだ。
瞬間移動での遁走。龍介の行動はそれだった。
零落が言った通り、強い人間程、相手の力量を見図る能力が高い。相手が零落なんていう、雷神とも、獄炎とも、風神とも、千里眼とも、閃光とも、比べ物にならない本物の化物を相手にしてしまっているが故、極端に弱く見えるが、龍介は強い。実力者だ。
つまり、龍介は分かっている。零落には、絶対に勝てないと。龍介が知る限りの、身内の中での最強、神威業火でさえ、勝てるのか、と疑っていた。それ程だったのだ。
故に、彼の勝利は遁走という選択肢の他になかった。
一瞬で大量の空気が何処かに吸い込まれる様な音と共に、龍介のその姿は零落の前から消えた。
零落の表情が曇る。流石の零落でも、一瞬でその位置を移動してしまう瞬間移動系の超能力には、攻撃が届かなかった。普段は迷いなく敵を殺すため、こんなミスの様な事態には陥る事はないが、相手を生け捕りにする、となると、零落のその能力は最強とは言えても、最適とは言えなかった。
「はぁ。生け捕り程手間の掛かる事はないね」
やれやれ、と呟いて零落は視線を窓の外の一階のフロアへと落とした。一階で踊っている連中は、楽しそうにしている。二階で起きた事等気にもならないのだろう。連中を一瞥して、その中にこのVIPルームに入ってこれるような人間がいない事を確認すると、零落は上着のポケットから携帯電話を取り出して、NPCへと連絡を入れた。回収班に現状を説明して、VIPルームの掃除を依頼したのだろう。
それが終わると、零落はその、どことなく冷たい携帯電話を戻し、その部屋を後にした。凍りついた扉は蹴破って粉砕し、開けた。いや、空けた。
「っ、ぐ、あ、あぁああああああああああああああああああああああああああ!?」
瞬間移動でクラブの外へと移動して、更に移動して、人影の少ないビルとビルの間の路地裏に姿を隠した神威龍介は『気付いた』その瞬間、悲鳴を上げた。その大音声に路地裏を這っていたネズミの大群が散った。外を歩いていた数人も悲鳴には気付いたようで、辺りを見回したり、路地裏を覗き込んでいる者もいた。
が、誰も触れようとはしなかった。そんな世の中だ。特別不思議ではない。
「がっ、……嘘だろ!?」
龍介は背中を湿っぽいビルの壁に預けた。
視線は左肩に落ちていた。左肩から左肘に掛けて、そこが――凍りついていた。
まさか、と疑った。疑う他なかった。
瞬間移動とは、その言葉の通り、その瞬間に移動してしまう能力だ。
零落に能力を発動させる余裕はなかったはずだ。だが、事実、実際に、こうやって、龍介の左肩から先は、今すぐにでも切り落とさなければならない状態にまで陥ってしまっている。
「っあ、くっそ……化物がぁ!!」
吐き捨て、よろよろと右手でズボンのポケットを探り、携帯電話を取り出して、電話を掛けた。
掛けた先は――神威業火。
『どうした。龍介』
低い声がすぐに応答した。
「親父! やばい。やべぇのがNPCにいる」
『……何があった?』
龍介の声色から、その危機的状況を察したのだろう。電話の向こうの業火の声色が暗くなった。きっと電話の向こうで、眉を顰めてただでさえ険しい顔を更に険しくしているだろう。
「確か、液体窒素……、そうだ! 液体窒素とか言ってた! あいつはやばい! 女のガキなんだが、バケモンだ!! 左腕を、やられた。やられちまった!!」
『負傷したのか!?』
業火がまず反応したのがそこだった。負傷した。怪我を負った。それが、業火にとって、一番大事な事だった。
「あぁ、やられた。もう左腕はつかえねぇ! 落とさないといけない!」
龍介の悲痛な叫びが路地裏にこだました。龍介は強い。強いからこそ、現状がよく理解出来ている。零落のその能力は、表面だけを凍らせるなんて甘い子供だましな能力ではない。その中まで、骨の芯まで凍らせてしまう、恐ろしい超能力なのだ。早めに肩から落とさないと、その影響が身体まで侵食し、死に至る可能性がある事は明瞭だった。
『詳細は後で良い。早く帰ってこい!』
「あぁ、すぐに帰る……」
電話の向こうで、業火が相当焦っていたのは、龍介も気づいていた。龍介は、次男でありながら、業火に他の兄弟よりも優遇されている自覚がある。業火が焦っている理由も、分かっていた。
心配させないために、ではないが、父親の心境を察して、すぐに、と言ったのかもしれない。
だが、そう甘くはない。NPCの幹部格は、流が認めた実力者で構成されている。ジェネシスにもいる幹部格にも負けるとは思えない実力者達だ。
そんな連中と、龍介は相対してしまったのだ。
零落が今回、龍介と出会ったのは偶然だった。エジプトに出張まがいの派遣をされ、任務を終えたと同時、他の幹部格から、『すぐに帰ってきてくれ』という連絡を受けて、日本にすぐに戻ってきた。そこで偶然、クラブに入って行く女を何人も連れた見覚えのある顔を見た。だから『ついでに』捕まえようとした。その程度の事だった。
だが、それでも、見つかった事には変わりはない。
零落は回収班に連絡をした、だが、それだけではなかった。
――琴ちゃんに伝えて、神威龍介を追い詰めてるって。場所は……。
「見つけた」
声が、聞こえた。突如として、敵意と共に、明らかに自分に向けられた声に龍介は反応した。即座に路地の入口を見た。外から差し込む街頭の光を背中に受ける、細いラインの女が見えた。
「NPCか……」
龍介はすぐに気付いた。このタイミングで龍介に向かって、見つけた、なんて言って笑う人間なんて、限られている。
龍介は即座に瞬間移動で逃げようと思った。最早今の彼には戦意はなかった。とにかく早く帰還して、身体をどうにかしなければならない。しっかりと目的は持っていた。絶対に負けやしない、という絶対的だったプライドは既に、零落によって打ち砕かれていた。
ふん、と登場した長谷琴の存在を無視して、龍介は瞬間移動しようとした。
龍介は判断を誤ったわけではない。この場から即座に去る、それはベストな選択だと言える。だが、自覚が足りていなかった。自身が、神威家の次男で、神威龍介という、NPCにとって重要な人物である、という事に対して。
一瞬だった。一瞬。
そこに『光が差し込んでいた』。まるで、洞窟の中に向けて、鏡を何枚も使って光を反射させた様な光景。光の影が、ビルの壁にぶつかって屈折しながら、一瞬で、一瞬でだ。神威龍介にぶつかって、通り過ぎた。
光の軌跡が残っている。それが本当に軌跡ならば、蜻蛉を連想させる軌跡だ、と見た者は思うだろうか。
龍介のいた場所を一瞬にも満たない速度で通り過ぎた光だが、そこに龍介の影はなくなっていた。
光はそのまま斜め上方に直進し、そして、通りに出る前に下へ落ち、地面に触れる直前でまた曲がった。光はまた一瞬で、路地の中に戻ってきていた。光は、龍介をさらっていた。
一瞬にも満たない時間で、一秒間で地球を七週半もするような速度で大凡一五メートルも移動させられてしまった龍介の意識は朦朧としていた。気絶せず、耐えただけでも素晴らしい。いや、身体が崩壊して死ななかったのがまず、褒められる。
光の軌跡は龍介を再度路地裏に落とした所で、止まった。
龍介は背中から落ちる。そして、そのワンテンポ後に、『左腕を肩から失い』、朦朧とする意識の中でもがいていた龍介のすぐ側に、頭上の光の軌跡の尾から、降りてきた影。閃光――光郷明路だ。
光郷明路が地面に着地してもまだ、頭上の光の軌跡は消えていなかったが、光郷が気取ったように指を慣らすと、それはガラスが割るようにして、砕けて消滅した。
これが、閃光の超能力。光の速度での移動を可能とし、更に、その移動の軌跡を物体として残せる特性を持った、零落にも、触れる事さえできるならば、勝てる可能性を持った超能力だ。




