5.臨戦態勢
5.臨戦態勢
「ハァ、さいですか。NPCの幹部さんねぇ」
某所。某中型クラブ。夜中の二時にピークを迎えているそこの二階部。所謂VIPルームだ。一階部のフロアをステージを見下ろせるそこで、若い女数名を脇に抱えて煙草を蒸し、酒を飲み、不気味な笑みを浮かべる男がいた。
神威龍介。神威家の次男。神威業火に、『認められている』男である。
龍介が腰を落とすソファに寄り添う女性は全員それなりの雰囲気を出して、龍介にベタベタとくっついている。
そして、そんな龍介の前に立つ女がいた。いや、違う。正確には――女の子。見た目から推測できる年齢は大凡だが一六歳程か。もしかすると恭介達と同年齢か、とも思えた。年下にも見える。
真っ白なストレートの長髪と、桃と同じくらいの低身長が目立つ女の子。
彼女の名前は零落希華。若くからNPCに所属し、若くから超能力者を相手にしてきた、この歳にしてベテラン。一切負けた事のない、現時点で、流以外の相手との戦いでは、最強と称される、『液体窒素』と呼ばれる幹部格最強の女子。
液体窒素と呼ばれるその能力は、
「まぁまぁ、お嬢ちゃん。龍介さんは今忙しいから、」
と、龍介に寄り添っていた女の一人が零落に触れたその瞬間だった。瞬きする間よりも短い。一瞬という一瞬、触れたその瞬間に、その女が――凍りついた。
凍りついた。それは、比喩表現なんかではない。本当の、言葉そのままの意味で、凍りついた。
その様子には流石の龍介も目を細めた。龍介に寄り添っていた女連中は、何が起こったのか分からない、といった様子で間抜けな表情を浮かべて呆然と固まってしまっていた。
零落は指一本動かしていなかった。それどころか、視線を龍介から逸らしすらしていなかった。だが、女は一瞬にして、凍りついた。凍りつくまでの速さが恐ろしく早いモノだから、まるで、生きたまま人形にされてしまったかの様な状態の女は、零落が指を軽く逸らし、触れると――砕けて、散った。
ガラスが割る効果音の様な、綺麗過ぎる音だった。一瞬にして、ほんの僅かな動き、接触で、元の形が分からない程に砕け散って床に散らばったその女を見て、やっと、龍介を囲んでいた女連中は悲鳴をあげ始めた。龍介についているからとはいえ、超能力は知らないのだろう。悲鳴の中に化物等の罵りの悲鳴も混じっていた。
「……面白いガキだな」
龍介の雰囲気が変わった。龍介がソファから腰を持ち上げると、それに連動するように、龍介に寄り添っていた女達が一斉に出口へと向かった。
だが、ただの一般人である目撃者、女達にすら、零落は容赦しない。
まず、扉が凍りついた。零落の足元からそれが伸びている様子はない。零落は見向きもしなかったし、何かをそこまで伸ばした、飛ばした様子もなかったが、どうにかして、とにかく、扉を凍らせた。その扉のドアノブに手を触れてしまった女の一人の手が凍りついたドアノブに張り付き、一瞬にして凍りつき、そして、凍りついたそこから少し離れた位置が、一瞬にして凍死し始めていた。
「ぎゃあぁああああああああああああ!!」
先程まで、龍介に使っていた猫撫で声が嘘のように、醜く、酷い本能から叫ぶ悲鳴が部屋に反響していた――のだが、その女が、またしても零落が一切の無動作で氷漬けにしてしまったため、他の『まだ生きている』女達の悲鳴に切り替わった。
「うるさい」
零落は静かにそう呟いた。あまりに小さな声だったため、その呟きは女共の悲鳴にかき消され、目の前にいる大変険しい表情をしている龍介にさえ、聞こえていなかった。
龍介はこの状態で、動けない、と気づいていた。最初こそ、NPCごときが、と食ってかかっていたが、今、気付いた。目の前に立つ、ただ立つだけで次々と、余りにあっさりと人を殺して行くこの少女は、類を見ない、数千、数億に一人の逸材なのだ、と察していた。
冷や汗がダラダラとたれていた。だが、指一本でも動かせば、それすらも凍らされてしまうような気がして、龍介は全く動けなかった。呼吸をするのも難しく、パニック障害に似た症状が龍介を襲ってきていた。
零落のうるさい、という呟きと同時だった。出入り口付近でぎゃあぎゃあと騒いでいた女連中の残り全員が、一瞬にして凍りついた。当然、零落はまだ、龍介の正面に立ち、龍介を睨んでいるまま、指一本すら動かしていなかった。
これが、現時点でNPC最強と言われる最高戦力の正体。零落希華、一七歳である。
零落は、龍介以外の全員が凍りついて、やっと動き出した。ソファの前にある高級そうなテーブルに広がっていた酒瓶を手に取り、それを、容赦なく、凍りついて固まっていた女連中に向かって、投げつけた。酒瓶は氷の人形となった女連中にぶつかり、女連中を、粉々に粉砕いた。耳障りの良い音が数秒間連続して響いていた。
が、龍介は零落から目を逸らせなかった。耳でその音を聞いて、何が起こっているのか確認する事しか出来なかった。酸素が、薄くなってきているような感覚に陥っていた。
零落の冷たい視線が龍介に戻される。
「……確認するね。君、神威龍介だよね」
「…………、」
答えは、返せなかった。口を開く、という求められた動作でさえ、抵抗に見られてしまう様な気がして、口を開く事が出来なかった。
そんな龍介に眉を顰めて怪訝な視線を突き刺す零落。
零落は一瞬、足元のテーブルに視線を落とした。そしてすぐに龍介に視線を戻した。
「答えないなら。それでいいよ。勝手に神威龍介ってことにしとくから。違っても、殺すだけだし」
まだ、一階部ではわいわいと一般人がダンスをしていた。DJが音を流し、バーカウンター前でカップルがいちゃつき、怪しげな男が怪しげな何かを怪しげな男に渡していたり、若い男がそこらの女に声をかけまくっている。そんな在り来たりな光景の上で、恐ろしい事情が起きていた。一階部の大音量で流される音のせいで、二階部のVIPルームで起きている事は、一階部にいる人間には気づかれていない。
こんなに、悲惨な状態だというのに。
「一回しか言わないから、良く聞いてね。君が神威龍介だと断定して、私は貴方をNPCに連行する。大人しくついてきてね。もし、抵抗する素振りでも見せれば、四肢を砕く。君、まさか私に勝てるなんて思ってる馬鹿じゃないよね? 力ある人間程、相手を見れる。君はまがいなりにも神威家の人間だしね。そうだと信じているよ。話が分かって、言う事を聴くなら首を縦に振って。話が分からなかった、抵抗する、というなら首を横に振るか、首を縦に振る以外の動作で答えて。簡単に言えば、選択肢は二つ。首を縦に振って五体満足のままNPCに連行されるか、それ以外の動きを見せて、手足を付け根から失って達磨になってNPCに連行されるか。猶予は三秒上げる。選んで。ハイ、スタート」
零落が、ここに来て初めて笑った。余裕の笑みであり、そして、楽観の笑みである。通常、相手が超能力者で何であれ、油断は命取りというように余裕も楽観も許される状況等ないのだが、零落に限り別である。
彼女の超能力の熟練度、慣れは少しばかり特殊だった。まだ、その特殊が本当に特殊なのか、それとも、熟練させた先の状態なのかわからないが、とにかく、NPC内でも数少ない、『自動発現』の備わった状態にまで、熟練している。
自動発現とは、言葉から連想できる通り、何かしらの条件を満たす事で、超能力者の意識とは関係なしに、超能力が発現する、という特異。
零落に敵意を持って触れた人間は、その液体窒素の超能力により、一瞬にして氷漬けにされてしまう。つまりは、無敵である。
神威龍介は零落に言われて、まず『あの時』、五十嵐喜助から超能力を奪った恭介の顔を思い出した。NPCに連れて行かれれば、あの男に超能力を奪われる可能性がある、とすぐに思った。だが、連行される事から逃れる方法が見つからなかった。だとしたら、答えは簡単だ。四肢を捨てる理由はない。
だが、プライドは捨てきれなかった。今まで、負けた事などない。喧嘩にせよ、殺し合いにせよ。そして、その『生まれつきの特性』により、神威家兄弟の中でも、業火から特別扱い、優遇されている龍介が、今まで自由にできてきていた龍介が、負けを認めるわけにはいかなかった。
俺は今まで勝ってきた、こいつにも当然勝てる! と、思い込む事で、龍介は、動いてしまった。




