10.休戦/帰還―19
セツナは車を降りる。そして、手で霧島雅に少し待て、と合図を出して、そのまま車道へと出た。そこに、車が迫ってきたが、セツナにぶつかる直前でそれは静止した。その車中にいる一般人は驚愕の表情をしているが、セツナが中央分離帯にまで来て、その車は何事もなかったかの如く通り過ぎていった。その速度が恐ろしく速かったところを見ると、恐怖していたのかもしれない。
セツナは辺りを見回し、反対車線までしっかりと見回す。その過程で自分が離れた自分の車も見てみるが、
(どこだ、郁坂恭介?)
いない。見当たらない。
そのまま来た通りにセツナは車へと戻った。フロントに立ち、突き刺さった香宮霧絵のその姿を視る。酷い様だった。足は膝から下が両方ともないし、背中は熊にでも襲われたのかと思う程にえぐられ、内蔵も一部見えている。フロントガラスを突き破った事で出来た傷もあるのだろうが、上半身は更に酷い。右腕の肘から先、ぶら下がっているのは骨とそれを繋ぐ僅かな肉だけで、左は肩からない。首に三ヶ所ナイフが突き刺さり、右のコメカミにも柄のないナイフの刃が突き刺さっていた。そして、顔を覗き込んでみれば、鼻が吹き飛び、右目もえぐり出されたかの如く消失し、鮮血を眼孔に溜め、垂れ流している状態であると分かる。
この香宮の状態を見て、セツナは察する。
(これは……、ただ殺すだけならばこうはなるまい。相当な、怨みを買ってしまったのは間違いないな……。脅し、か)
そして、セツナはそのまま香宮を引き抜き、後部座席へと投げ込んで運転席に戻り、出発した。
「結局何よ。郁坂君はいなかったの?」
「あぁ、いなかった。だが、間違いなく、」
そこで、セツナの言葉が止まった。
霧島雅がその意味深ば言葉の止め方に首を傾げると、セツナは嘆息した後、僅かに震える声で言った。
「今、恐らく、何らか……多分、増田典明だか、近藤林檎だかが足止めをしているのだろう。香宮霧絵を投げたタイミングで邪魔がしたはずだ。だが、郁坂恭介は間違いなく、二人ないし一人を殺した後、追ってくる。追ってきて、私達を殺すだろう」
この瞬間で、セツナは諦めた。先の事、零落姉妹の事は、諦めた。この場で、郁坂恭介の相手をし、恐らく、殺される。覚悟もした。
だが、霧島雅の事は諦めない。はなからそのつもりだった。最悪、霧島雅が自身の力をも超えた存在になり、自身を殺そうとも、霧島雅が最終的な目的を果たしてくれれば、それで良いと考えていたくらいだ。
それに、既に全てを察した仲間に、自分に何かがあった場合、頼むと伝えてある。全ての説明もしてある。十分だ。
「ミヤビ、車の運転はできたな」
「出来るけど」
セツナの言葉に、霧島雅は嫌な予感を感じ取った。そして、その予感は見事に、そして迅速に当たる。次の瞬間、セツナが扉を開け、車から飛び出した。
「いぃ!?」
嫌な予感を感じ取っていたおかげか、霧島雅の対処は速かった。シートベルトを投げ捨てるように外し、すぐに運転席へと移動して、ハンドルを取った。
(あぶない、あぶなかった!! くっそ……セツナめ……。でも、助かった)
霧島雅は事故する事なく運転に移れた事を安堵しつつ、そして、全てを察した。セツナが恭介を、命を賭して足止めしようとしている事も。そして、自分には逃げて成長しろ、と願っている事も。
そんな最中、携帯電話が鳴った。運転しながらだが、構わず肩手で着信に応答すると、
「はい? ……あぁ、知ってるんだっけ」
背後から首を鷲掴みにされ、香宮霧絵は動きを止めざるを得なかった。一瞬だ。足が地につかなくなる程に持ち上げられ、気づけば次の瞬間。首下へと抵抗しようと持ってきていた両手の感覚が吹き飛び、代わりに激痛が襲ってきた。
「――ッ!?」
声は出なかった。いや、出せなかった。
「悲鳴も上げさせないさ。俺はロスで超能力をくだらねぇものから大いに使えるもんまで増やしてきたんだ。こんな使い方もあるってな」
詠唱中断。まるでファンタジーモノの創作物にでも出てきそうな名前だが、確かに超能力である。単純な説明をすれば、これは、相手の口から、鼻から出る音という音を完全に封じる事の出来る超能力。が、これは触れていないと効果は出ないし、呼吸を封じるわけではないため、使う機会は圧倒的に少ない。場合によっては一生使わないかもしれないな、と恭介は思っていたくらいだった。
香宮はこの時点でパニックに陥ってしまったため、何が自分の身に起きているのか、同時進行で進むそれの一つも理解出来ていなかった。頭の中はとりあえず、首を掴む腕から脱出しなければ、という事で一杯だった。
両手が使えない事は理解していた。だが、動かそうとはしていた。そして、次に気付いた時には、足の感覚も吹き飛び、痛みが代わった。
「――!?」
叫び声ですら超能力でかき消され、香宮はただ、静かにもがく事しか出来なかった。そして、投げられた。
手足を失った香宮は抵抗が全くできず、うつ伏せに、そのまま凸凹とした足場の悪すぎる森林地帯の地面に落ちた。
「ッあ! はぁ、はぁ、はぁ……。あぁあああああああ!? うわ、うあ、ああ、いぃいいいい、はぁ、はぁ……、ふっ……、え。あ」
反射的な動きだった。うつぶせに落ちたが、身体の残ったパーツをフル稼働して、反射的に仰向けになった。考えは巡っていなかったが、きっと、後ろから自身を掴んでいたその存在を確認しようとしたのだろう。
だが、いなかった。全身に走る激痛に耐え、なんとか仰向けになり、その際に見えた右手の赤と白の以上な光景をも後回しにして敵の位置を確認しようとしたのに、遅かった。
そして、一回、瞬きをしたその瞬間だった。
次の瞬間には、頭をかき回すような激痛。そして、視界が進行形で奪われる恐怖が襲っていた。何が起こっているのか、香宮は理解出来なかった。あまりの激痛に出来るはずがなかった。ただ、身体に残った短すぎるパーツで暴れる事しか出来なかった。
恭介が、彼女の頭に足を置き、そして、右手の人差し指を右目に突っ込んでぐしゃぐしゃとかき回していた。
恭介は完全に無表情だった。そうだ。今すべきは、敵の殲滅であり、復讐。さっさと一人ずつ殺した方が速いだろうが、これは、復讐である。そして、恭介は分かっている。琴をあの状態にした張本人はこの香宮霧絵である、と。
「お前だけは許さない。絶対。痛いか? 痛いだろうな。そりゃそうだ。これはお前等が同じ人間に対してやってきた事だ。俺達だってそうだが、お前等だって、覚悟してるんだろ。やった事は、やられる可能性だってあるって事を」
恭介はそこまで言い終えた段階で指を引き抜いた。指先に残る生々しい感触はズボンで拭って知らない振りをした。足元の香宮は暴れているつもりなのだろうが、いかんせん体の部品が足りない。足を全てもがれて本体だけで動く虫、まさにそのままの状態だった。
恭介は彼女の頭においた足を降ろし、そして、その横に周り、彼女の腹を蹴ってうつ伏せに寝かした。そして、そのまま、彼女の背中を嬲るように、蹴った。
すると、何故なのか、彼女の背中はえぐれるように身ごと剥がれ、吹き飛んだ。
地獄絵図だった。香宮は腹の中を思いっきり踏み潰される異次元の感覚に叫び声も上げる事ができず、ただ飛ばせない意思に耐えている。
あれだけ超能力を失う事を恐れていた香宮霧絵が、この時点で、既に、早く殺してくれ、と願うようになっていた。
だが、まだ、死ねない。とっくに死んでもおかしくない程の状態になっていた。だが、まだ。どうしてなのか、意識はハッキリしていて、全身をかき回すような激痛を確かに感じさせられている。挙句、悲鳴も上げる事が出来ない。
当初の予定では、ここまでやるつもりはなかった。恭介も――今の現状に比べて――少しいためつける程度で済まし、先に進むつもりだった。だが、いざ目の前にしてみると、抑える事が出来なかった。
「不思議だろ。なんで死ねないのか。俺が生かしてやってるからだ。だが、時間もねぇしよ。そう何分も遊ばねぇから覚悟しろ」




