10.休戦/帰還―14
近藤林檎の保持する人工超能力はフレギオールでのあの戦いの時よりも増えている。琴はそう確信する。
(そうだよ。報告で蜜柑ちゃんは人工超能力の許容量が高いってあったしね。血の繋がった母親がそうである可能性なんて大いにある)
そして、仕掛けられる。
近藤林檎の掌底が、琴の鼻面に迫った。
「ッ!!」
琴は反射的に上体を引いた。バックステップ直後の余韻で足を引くまでに及ばなかったからだ。そして、結果は僅かの差。限界まで上体を引いた琴のすぐ鼻の先で、近藤林檎の掌底は限界に達していた。
冷や汗が落ちる暇すらもない。
琴はそのまま近藤林檎の腕を抜ける様に上体を戻し、そして、彼女に掴みかかる。右手は彼女の右肩に、左手は彼女の左の腰に、そして、回す。
近藤林檎は今の一撃に対応仕切れなかった。琴の重力を無視したような投げ技に見事にバランスを奪われた。近藤林檎は琴の目の前で、時計回りに回転し、背中から地に落ちた。
「うっ、」
小さな悲鳴が漏れる。そんな事は気にせず、琴は攻め続ける。そのまま一歩踏み出し、近藤林檎の喉を圧し潰すように踏みつけ、そして、目の前に香宮を位置させる。
足元で近藤林檎が苦し気に呻く。ダメージとしては十分。琴はそのまま進み、背後に倒れたまま、態勢を立て直そうとする近藤林檎を置き、口から僅かに鮮血を垂らした香宮霧絵と向かい合った。
この時点で、三つ巴の態勢は整った。それを見切っている典明は三人から僅かに離れた位置で様子を伺っている。
ここまでは、十分。十分過ぎる程に完璧。琴の想定の範囲内で事は運んでいた。だが、それがまずおかしい。相手は圧倒的有利な立場にいる。ここまで完璧な状況に持ち込めるのはまず、あり得ない。
香宮の不適な笑みが琴を見上げていた。そこに見えるのはやはり、絶対的な自信。
琴は揺るがない。出来る事をするまでだ。
一瞬、この今の隙の何分の一を削って作った一瞬だけ、琴は千里眼で恭介の様子を見る。そうして見えてきた光景は、恭介が霧島雅目掛けて恐ろしい程の稲妻を落としたその光景。
視界に送られてくる映像と同時、安心した。このまま恭介が戻って来れれば勝ち目や逃走の可能性がある。轟音が鳴り、衝撃が辺りを揺らし、震えさせた。
だが、誰一人として振り返らなかった。
その次の瞬間には、琴が仕掛ける。目の前の香宮に向かって恐ろしい程の速度の膝蹴りを放つ。威力を捨ててとにかく速度を上げた膝蹴りだ。が、香宮はそれを手で防ぐ。が、そこまでも琴の予想通り。琴はそのまま膝で押し上げ、香宮を一瞬怯ませた。その隙に膝蹴りで持ち上げた足を下ろして香宮の右足の爪先を踏み、逃げ出せないように仕掛けて、そして、琴は掴みかかる。
が、しかし。伸ばした右手は香宮に振り払われた。
(対応してきた!!)
その反撃として、香宮の右手が伸びてくる。琴にとって、このタイミングで初めての想定外。相手が遊んでいるならば、まだ想定の範囲内で事が運ぶと思っていたが、勘違いだった。
琴は香宮をつかみ、捻る技で怯ませた後、即座に振り返って近藤林檎の対処をする予定だった。だが、この時点で、ずれ、遅れが生じた。
近藤林檎の攻撃が琴の背中に迫っていた。当然、反応は遅れ、対応が追い付かない。
近藤林檎の右手が琴の右肩を掴み、左手は反対側を掴んだ。そして、引っ張られた。それと同時に、香宮の足は解放され、香宮が隙の出来た琴の顔面を思いっきり、正面から、殴った。
「ッあ!」
琴の口から思わず苦し気な嗚咽が漏れる。だが、それで止むはずはない。
一撃、二撃、三撃。香宮の攻撃は二撃目だけが腹部に叩き込まれ、その他は全て顔に叩き込まれた。
近藤林檎に脇を抱えられ、琴はその場で項垂れた。
勝敗が決したその瞬間である。
時間は稼いだ方だった。後は恭介が来てくれる事を祈るしかない。
琴が顔を持ち上げて正面を見ると、目の前には返り血を浴びて鮮血の赤い斑点を表情に浮かべている香宮の不気味な笑顔。
それよりも、と琴は香宮を無視して千里眼を発動し、香宮の遥か後方に位置しているはずの恭介を見た。視て、絶望した。
(ははっ……、きょーちゃん、負けないでよ……)
視えたのは当然、恭介に近づいてきているセツナのその姿。応援は、ない。
ここで琴にとって最大の問題となるのは、自分の存在が恭介の足枷になってしまうのではという状況。
連中は琴を拘束すると言った。殺さない理由が必ずある。当然、まず思いつき、真実である答えは、恭介にとっての人質。
(ま、でも……、そうはさせないよね)
琴には覚悟がある。そもそも琴は、恭介を何よりも愛している。何よりも大事に思っている。自分の存在が恭介を殺すくらいならば、自ら死を選ぼう。
だが、それすらも、相手の手中の中。
琴は自害を決意、した、その瞬間に気付く。自分の意思で、体が動かせなくなっている事に。そしてそれが、近藤林檎の新たな人工超能力であろう事もすぐに理解した。判断力は落ちていない。その超能力についての推測もすぐに立てた。
(掴まれてからだし、触れているその間、動きを制するタイプかな。だけど、脳から発する命令信号が遮断されてるだけで、反射的に、自分の意思でない動きは出来るみたいだね。殴られた時の痛みと動きは多分そうだ。……面倒な超能力だね。きょーちゃんに触れられるとは思わないけど、伝えるべきかな)
考え、気付く。推測も十分。作戦も立てられる。そして今は冷静だ。だが、冷静になったのも、今のこの状態、どうにも出来なくなったこの現状に陥ったからこそだ。
分かっていた。この時点で、終わった、と。
死ぬ事も許されない。ただの人形。だが、確実な人質。つまり、最悪の状況。千里眼を発動させようにも、それすらも許されない状態。超能力すら制するという事は、最悪だ。この近藤林檎の超能力が恭介に決まってしまえば、その時点で恭介は殺されてしまう。
(どうすれば……ッ!!)
苦渋を噛みしめる事すらできない。
「あはは、良い様だね、琴ちゃん」
そう言って、香宮は琴の髪を掴み、無理矢理に顔を上げて覗き込む。最早本性を隠す気がないようだ。表情に張り付いた最悪の笑みが琴に不快感を与える。
琴は当然何も言い返せない。口を動かすのも意図的では不可能なのだから。
そんな最中、最悪の言葉を聞く事になる。
琴から顔を離した香宮は振り返り、典明を見て、琴を指さし、
「千里眼面倒だから、目、焼いちゃってよ」
笑った。
笑えなかった。動かせない等関係ない。単純に、恐ろしかった。
典明は香宮の指示に頷き、琴の目の前まで来た。当然、稲妻を右手に宿らせたまま。
体が震えだした。琴は最悪だ、としか考えが浮かばなくなっていた。
死ぬ覚悟はあった。だが、これは違う。何かが違う。拷問を受ける前の様な、そんな感覚。だが、拷問よりも面倒で、非情で恐ろしい。状況が相まってそんな最悪の事態に陥っていた。
典明の稲妻の宿った右手が、琴の顔面を鷲掴みにするのは、あっという間だった。だが、その手が離れるのは、十数秒後の事だった。
悲鳴は上がった。これは反射的な行動だったからだろう。体が跳ね、震え続けた。感電しているため、当然だ。
悲鳴が大きいな、と思ったのは香宮だった。これでは悲鳴が郁坂恭介に届いてしまう。
(悲鳴一つで全てを察してこっちに今、奇襲をかけられたら困るけど……)
そう考えた所で、近藤林檎に片手で抱えられた琴から視線を離し、先を見る。彼女には、『視えている』。
(いや、大丈夫そうだ。セツナさんが足止めしてる。このまま長谷琴の身柄を郁坂恭介の前に持ってって、ゲームセット、かな)
だが、香宮はまだ、心配を続ける。
香宮にとって最大の懸案は郁坂恭介の存在であり、強奪の存在である。自分が死ぬ事よりもまず先に、自身が超能力者でなくなる事を恐れている。
念には念を入れよ。
「今、かな。セツナさんの応援に行って下さい」
「りょーかい」
典明のモノでもない、近藤林檎のモノでもない、若い女性の声で返事が返ってきた。




