10.休戦/帰還―1
確かに、とキーナは言う。
「そうだけど、でも、そもそも目的が違う。そのバリアの中から、私達には攻撃も出来ないでしょう?」
キーナが静かに言った。言われて、零落希華は自身を包み込むバリアの中からバリアを数回ノックしてみた。が、その仕草には、意味がない。零落希華ならば指一本動かさずに人を殺すだけの攻撃が出来るのだから。
イニスが眉を潜めた、零落希華のその攻撃が、異様だと思ったからだ。が、甘い。
警戒が甘すぎた。
一瞬だった。気付いたのは、一瞬のその後だった。
イニスの足が、床に氷で貼り付けられていた。
「なッ……いつの間に……!? いや、どうやって!?」
これは明らかに、零落希華の攻撃。だが、零落希華は超能力的にも、物理的にも干渉を受けないバリアの中に囚われている。だが、これは零落希華による攻撃。
イニスが驚愕の表情で零落希華を見ると、零落希華は無表情でイニスを見返していた。が、問題はまだあった。どうしてか、零落希華の味方である亜義斗まで驚いていた。
(どうやってこのバリアを突破したんだ!? 零落家の力だって言うのか……)
様々なオリジナリティの高い人工超能力を持っている亜義斗でさえ、このバリアは破る事が出来ない。だが、しかし、零落希華はそれを容易くやって見せた。
「ッ!!」
そして、二撃目。マイトに向かって、氷の刃がどこからともなく二つ、前方と右上方から飛んできた。
マイトは反射的にそれを避けた。真っ直ぐ飛んできた氷の刃二つは、そのまま空気中に溶けるようにして、消えた。
(何がどうなっていやがる……? 零落希華、だよな。この女は。氷の超能力者で、零落一族、そうとしか情報を訊いた覚えがない。何を仕掛けてるっていうんだ)
マイトが眉を潜めた。警戒は常に張っている。
「私がこの施設に入る前に、私をバリアで閉じ込めておくべきだったね」
そう言って、零落希華はやっと、笑んだ。それは女子高生らしくなんてない、不気味すぎる場に全くそぐわない笑みだった。
その表情を見て、キーナもマイトも表情をひきつらせ、戦慄した。
この女はヤバイ、考えずとも頭が勝手にそう処理して、認識していた。
当初の予定では、バリアで無力化した二人を、そのまま運んでしまおうと考えていた。その後の事はどうでも出来る。
だが、二人がこの場に来たその瞬間には、既に零落希華の手中に納まっていたのだ。
今の攻撃――キーナを凍らせたそれと、マイトに仕掛けた二撃――は、あくまで挑発。
この施設内の至る箇所には、いや、この施設内の空気中には、零落希華の意思で自由に操れるだけの氷が、霧状に存在している。つまり、勝ちは決まっている。
それに先に気付いたのはマイトだった。
(この施設内に入った時から感じた空気の変化はこれか。あと、やけに寒く感じるのも)
気付いて、理解する。この場から、引くしかないと。
(零落希華と室内で戦うのは恐ろしく不利だ。ここは引くしかないか)
マイトがそう判断したと同時だった。マイトの足元の床が、突如として抜け落ちた。いや、消失した。彼の超能力による効果だ。
そのまま、彼と、道ずれにするようにキーナが下の階へと落ちていった。
そうすると、次の瞬間には零落希華と亜義斗を防いでいたバリアが消失した。
亜義斗がすぐに二人が落ちた穴の先に飛び込んだ。零落希華はそれに対して非常にゆっくりとした動作で穴へと向かい、亜義斗から数秒遅れて飛び込んだ。
降りた先もまた、上と同様の通路で、形も見た目もあまり変わらない様子だった。が、その場にキーナ達の影はなかった。
「追いますか?」
亜義斗が零落希華に問うが、
「んにゃ、いいや。あいつらそんな強くないし」
そう言って、零落希華は行くよ、とそのまま踵を返して歩き出した。本当に、つい先程まであった事なんてどうでも良いと言わんばかりに、零落希華は帰路についていた。
(あの二人を強くない、と言い切るとは……)
亜義斗は味方ながらも、零落希華の力には怯えていた。彼のジェネシスに対する裏切りは本物であり、NPCに攻撃を仕掛けるなんて事は絶対にないが、それでも。
たった一つの力を極限まで極めただけで、ここまで人間は人間でなくなる。たった一つの力であろうが、彼女はそんじょそこらの複合超能力者を相手にするまでもない程に強い。
これが、NPC日本本部幹部格最強の女だった。
「帰って資料を纏めたら、少し休暇を取ろうか。亜義斗。この町にもまだ慣れてないだろうし、少しぶらぶらしてきな」
廊下を歩きながら、そんな事を言う零落希華。その言葉に亜義斗は少し驚いた。
「え、いいんですか?」
「いいよいいよ。正直、まだ完全な信頼は勝ち得てないけどね。多少は信頼してやるよって。それに、これから仲間として仲良くやってきたいなら、地元の話も出来たほうが良いでしょ」
「……、ありがとうございます」
「あはは。固い固い。ま、私は単に、アメリカから帰ってきた郁坂恭介が敵だった亜義斗が私達に馴染んでる光景を見て目を丸くするその瞬間が見たいだけなんだけどね」
「郁坂恭介ですか」
亜義斗にとって、彼女の口から恭介の名前が出てくる事は意外に思えた。そもそも、そんなに接点はなさそうだ、と思っていた。
「そういえば、彼は帰って来たら幹部格なんでしたよね」
「そうそう。ま、彼なら当然でしょ。何せ郁坂家の長男だし、実力も確か。センスも良い。揚句現時点でのNPC総頭のメイリアの下で修業もしてくる。そこで超能力も増やして、強奪の成長もさせてくる。そりゃ幹部格にもなるよ」
「そういえば、ですけど、郁坂家って。確か郁坂恭介の下に、二人いましたよね? あの二人はNPCには……?」
施設内の敵は全て倒してある。二人はただ歩き続け、話を続けるだけだ。
「あぁ、確か大介君に愛ちゃんだね。あの二人も確かに超能力者らしいよ。実際に見たわけじゃないから確実とは言えないけども。でも、」
「でも?」
「郁坂恭介が入れないようにしてるらしいよ。二人ともNPC自体の事も超能力の存在も把握してるけど、二人には戦わせたくないんだってさ。アンタ達とは違うけど、まぁ、兄弟関係なんでしょ」
「あぁ、確かに俺達とは違いますけど、感覚は分かります」
亜義斗の弟は、NPCに殺された。だが、境遇や育ち方のせいだったか、龍介が死んだ時も、あの悲惨な状態を見た時も、心が痛む事はなかった。むしろ、表には出さなかったが、せいせいした、と言っても良かった。
だが、亜義斗だって一般常識くらい知っている。漫画だかテレビドラマだかで得た知識を並べて、そんな感じか、と推測して納得していた。
「今の所、郁坂恭介の下の兄妹二人を狙う人間もいないし、私達が無理矢理手を出す必要もないからね。でも、友達にはなってみたいかな。郁坂恭介も悪い人間じゃないし、琴ちゃんの彼氏だしね」
言って、零落希華は一人小さく鼻歌を歌いながら少し先を歩き出した。そのまま、二人は帰路について、NPC日本本部へと部下が持ってきた車で帰還した。
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「健闘したのは分かってるが、早かったな」
海塚が自分のオフィスで嘆息した。デスクに付く肘は持ち上げるのが億劫になる程重かった。
「仕方ないだろう。それに、確かに三島は健闘したさ。がはは。話を聞く限りじゃ、一人で相当頑張ったらしいしよ」
「分かっている。垣根。で、またそれとは別に、新たな報告なんだが……」
「おう、なんだ?」
垣根が突然の海塚の言葉に目を開いた。
「どうやら、ジェネシス幹部格同士で、争いがあったらしい」




