第138話 3月4日の政変
「私は……」
麗子はかえで、かなめ、響子の視線を受けて戸惑ってきた。
彼女はこれまで自分でモノを決めた経験などない。すべては『徳川譜代』のシンパたちがおぜん立てするのに乗って来ただけ。あえて言えば自分ではかなめは自分の妻であると決めていることぐらいが麗子のこれまで下した決定のすべてだった。
「オメエの腹が決まればアタシは関白になる。オメエが駄目と言えばなれねえ。それだけの話だ。オメエの立場はオメエが尊敬してやまねえ田安高家のそれに有るんだ。決めるのはオメエの腹一つだ。どうする?決めな」
麗子はかなめの目は笑ってはいなかった。
「私の心は……かなめさんには関白になっていただきたいのですが……本当によろしくて?私が決めても……」
誠、カウラ、アメリア、そして麗子の部下で下級士族の出に過ぎない鳥居にとっては目の前で起きている一国の運命が決まる瞬間をかたずをのんで見守っていた。
「そうだな、麗子にはこんな決断を下すのを期待した僕が馬鹿だったのかもしれないな。所詮、すべては決められたレールの上に乗って生きてきただけ。いや、そのレールにすら乗り切れなかった麗子にそんな決断などできるわけがない」
見下すような視線に戻ったかえでが冷たく麗子に向けてそう言い放った。
「なんですの!その言い方は!よろしいです。以前より、太政大臣空位は私の気になるところでした。誰とも知らない下品な公爵連中に奪われるよりその地位には四大公家の出の者が座るのがふさわしいことくらい私でも分かりますわ。認めましょう。これでかなめさんは関白太政大臣です」
ほとんどやけ気味に麗子がそう言った。
「決まりね。これであとは下で焼鳥丼を食べている嵯峨卿の確認を受ければ制式にかなめさんは関白太政大臣になる」
響子はそう言って階段の方に目をやった。
そこにはスーツ姿の嵯峨が階段を上って部屋に到着したところだった。
「お前さんたち、良いんだな?これは後戻りできない賭けになるんだぞ。あの男……島津時久には『殿上会』はアンタッチャブルな存在だが、かなめ坊が関白になればその意味するところはより強い意味を持つことになる。島津時久の下に居る『官派』の真性の貴族主義者たちはおそらく貴族主義なんてものにまるで関心のない島津時久を見捨てるだろう……ただ、かなめ坊よ。関白になることでお前さんの敵は明らかに増える。島津時久だけじゃなくなるぞ、アイツは大物だがつまらねえ小物がわんさと襲ってくることになる。それでも良いのか?」
嵯峨がそんなことを言っている間にかえでは手にしていたカバンから長い和紙の巻物を取り出した。
すでにその巻物には筆で長々と文章が書いてあるのが誠にも見えた。
「まずは、麗子。お前から名を記せ」
かえではそう言って筆と墨を麗子に握らせた。




