1話 トカゲはただ寝ていただけ
魔王は朝から頭を抱えていた。
「…またケルベロスが有給申請してきたか。しかも“温泉旅行”ってなんだ…三つの頭で三倍楽しむつもりか?」
玉座に積みあがった書類の山は、もはや山というより丘の域に達していた。
人間どころか、スライムでも滑落するレベルだ。
「魔王様大変です!勇者パーティが東の火山で苦戦しているようです!」
「はぁ?あそこにはそんなに強い魔物は配置していないはずだ。なんで……」
魔王は眉をひそめながら、火山の配置図を確認する。
そこに書かれていたのは、スライム×3、トカゲ×2、あと“溶岩っぽい置物”。
「……置物じゃねぇかこれ」
「魔王様が本物は危ないからと置物を用意したのですよ」
側近のリリスがタブレット型の水晶球を操作し、映像を空中に映し出す。
画面には、勇者一行が溶岩の前で必死に剣を振り回す様子が映っていた。
相手は……どう見てもトカゲ。量産型の雑魚魔物だ。
「……それでパーティー壊滅しかけてるのか。大丈夫か、人類」
リリスが水晶球をズームすると、勇者が叫ぶ声が響いた。
「くっ、あの赤いヤツがボスだな……! 油断するな!」
画面の中心にいたのは、トカゲ。確かに少し大きくて迫力はあるがただのトカゲだ。
日光浴してただけの。
「いや、あれ昨日から脱皮しかけてたやつだろ。弱ってるぞあれ」
魔王は静かに言った。
「むしろ回復中です」
リリスが真顔で補足する。
トカゲはあくびをした。
すると勇者パーティーの後衛、ローブ姿の魔法使いアリアが絶叫した。
「くっ、呪いの吐息か!? 皆、離れて!!」
「それあくびな」
そういった魔王は両手で顔を覆った。
「もうダメだ…なんでこんなところで勇者が命を懸けて戦っているんだ?」
「これが……人類の希望……?」
リリスは水晶を眺めながらぽつりとつぶやきながら再びスクリーンに目を向けた。
映像の中で、勇者たちはまるで命がけで戦っているかのように、無駄に大きな声で叫びながら、トカゲを相手にしていた。
「だって、あのトカゲ、動きも鈍いし、攻撃する気すらないだろ?」
魔王は顔を覆いながら、なんとか冷静を保とうとしたが、心の中では絶望感が広がっていった。
「魔王様!」
「今度は何だ?」
魔王はうんざりしたように尋ねる。
「今、勇者たちがトカゲの尻尾に気を取られて、全員そっちに振り向いています」
「だから何!? 尻尾を警戒するな!」
魔王はまた声を荒げる。
画面の中で、勇者が必死に叫んだ。
「くっ、尻尾が…! トカゲの尻尾がしっぽ! しっぽが、しっぽが!」
「しっぽ、しっぽいい加減にしてくれ!」
魔王は叫ぶと同時に、玉座の背もたれに思いっきり寄りかかり、天井を見上げた。
「人類の希望がトカゲの尻尾に苦戦しているなんて……」
その時、リリスがぽつりとつぶやく。
「魔王様、もしかすると…あの勇者たち、まだ『成長段階』なのではないでしょうか?」
魔王は顔をしかめてリリスを見た。
「成長段階?あの勇者たち、何歳だよ。今、オギャーって生まれたのか?」
「いえ、そうではなくて…」
リリスは真剣な表情で言葉を続けた。
「彼らの成長にはまだ時間がかかるのかもしれません。だからこそ今は、こうして無駄に叫びながら、トカゲの尻尾に苦戦しているのでしょう」
魔王はしばらく黙ってから、ため息をついた。
「成長段階か…。まあ、どうせなら、何十年も退屈している四天王くらいは楽に倒せるようになってほしいものだ」
リリスは静かにほほ笑んだ。そして水晶の映像を少しだけズームインした。
「…あのトカゲ、どうやら寝返りをうちました」
「寝返り?!トカゲ寝てたの???」
その瞬間、画面の中で、トカゲが大きく体をひねって寝返りを打った。無論、勇者たちはその瞬間を見逃さず、さらにパニックを起こしながら、それでも必死に戦い続けていた。
「これが…本当に勇者か…?」
魔王は呆然としながら呟いた。
「魔王様。目を背けないでください。これが人類の希望なのです」
魔王はしばらく無言で画面を見つめ、そしてやがて肩を落とした。
「ああ、そうだな。どうせ人類の希望は、トカゲの寝返りと共に成長するんだろうな…」
そうわけのわからないことを言いながら、ゆっくりと玉座に深く沈みこんだ。
その姿は、まるで世界の理不尽を全身で受け止める者のようだった。
玉座に沈み込みながら、魔王はぼんやりと天井を見上げる。頭の中では、勇者たちの絶叫と、のんびりとしたトカゲのあくびがループしていた。
「せめて…せめてもうちょっとこう……勇者っぽさってものがあってもいいんじゃないか……?」
ぼそりと呟いたその声に、リリスが静かに返す。
「魔王様、人間とは常に未完成な存在なのです」
「未完成すぎるだろ……!」
思わず声が裏返った。が、もう怒る気力もなかった。
そのとき、再び水晶球がピコンと音を立てた。
「魔王様、朗報です。どうやら勇者たち、ついにトカゲに勝利したようです」
魔王は微かに体を起こし、逆さだった頭を元に戻しながら、水晶球を睨みつけた。
「……おぉ!ついにか!まぁ、あれくらいの魔獣には楽勝で倒してほしかったところだがな!」
少しうれしそうに魔王が言った。
「討伐方法はトカゲが寝返りを打って自ら崖下に転がり落ち、勝手に気絶したのを“討伐完了”と認識したようです」
「それ事故じゃねぇか」
魔王は完全に呆れていた。言葉すら選ぶのをやめていた。
一方その頃ケルベロスは温泉饅頭を食べていた!!!




