26、美少女作家と謎の美女(下)
綾上の視線を受けた俺は、慌ててあいさんに向かって言う。
「その言い方はおかしいでしょ! 取材デートって、俺にはそんなつもりなかったですし!」
「えー、おかしくないじゃん。お姉さんともとべぇ君の二人きりで喫茶店に行ったり、焼肉食べたり、プールにまで行ったり。そんなつもりはなくっても、取材デートに違いないでしょ♡」
はしゃいだ様子のあいさんは、俺のわき腹を突いてくる。
反論をしようとするものの、
「……プール? 二人で?」
信じられないといった様子で問いかける綾上を見て、俺は口をつぐんだ。
「そうそう、少し前にね、二人でプール行ったんだよね? ね、楽しかったねー」
「いや、それは。その……」
違う、とは言えなかった。
プールに行ったのは、紛れもない事実だったから。
「ふーん。そうなんだ。プールに行ったんだ。ふーん。……二人で、プールに、行ったんだー、ふーん」
綾上の瞳から光が消える。
全く感情のこもっていない、無機質な声。
俺は何かを言うべきなのに、何も言えないでいた。
あいさんは綾上の様子を満足そうな表情で眺めてから、ポンと手を叩いてから口を開いた。
「っと、そう言えば三鈴センセ。担当編集から新作の企画会議通ったって聞いたよー。おめでとー!」
意外にも、あいさんは取材デートから話題を変えてくれた。
助かった、と思うと同時に、その言葉を聞いて俺は驚いた。
「え、マジで!? 企画通ったんだ、おめでとう綾上!」
「うん……」
綾上は、未だ俯いたまま、歯切れ悪く応えた。
確かに、俺が祝ったところで素直に喜べないかもしれない。
「で、私もその企画書を見せてもらったんだけどねー」
あいさんは、綾上に対して言う。
「良くできてたと思う。最近の流行は抑えているし、テーマも大きく外れようがない。ある程度は売れるんじゃないかなーって思う」
綾上は顔を上げ、弱々しい眼差しであいさんを見た。
「――でも。私は別に読みたいとは思わなかった」
あいさんの続く言葉に。
「――っ!?」
綾上は、絶句していた。
「私、三鈴先生の『奇跡』が、すごく好きなの。確かに、売れなかったかもだし、買ってくれた人からの評価も、そんなに良くなかったかもだけど。誰かの心に深く突き刺さるような才能を、私は確かに感じたよ」
その声には、熱がこもっていた。
あいさんは真直ぐに綾上を見つめている。
「確かに、三鈴先生には時代に選ばれるような才能も、時代を変えるような才能も、無かったのかもしれない。それでも、私はあなたの作品を読んで、救われた気になった。……私がこういう作品を書きたかったのに、って。悔しい気持ちになった」
あいさんはそう言って、綾上に挑発的な視線を向ける。
「だから、私はもう一度。三鈴先生にしか書けない物語を、書いてほしいと思うの」
言い終えたあいさんの瞳は、どこか満足気だった。
綾上は、口を開いて何かを言おうとして……結局何も言えないまま口を閉ざし、俯いた。
「……そういえば、三鈴センセはお姉さんともとべぇ君に聞きたいことがあったんだよね?」
綾上に物憂げな眼差しを向けるあいさん。
「別に、もう……何もありません」
綾上は小さく呟き、そして立ち上がった。
その後、テーブルの上に、財布から取り出した千円札を勢いよく叩きつけ、出口に向かって歩き始めた。
「ちょ、綾上!?」
俺も立ち上がり、綾上に声をかけるが、こちらを振り返る気配は一切ない。
今すぐに彼女の背を追いかけたかったのだが、隣に座るあいさんが邪魔で、それもできなかった。
「ありゃー。怒っちゃったね、三鈴センセ」
アイスティーを飲みながら、あいさんは出口へ向かう綾上の姿を眺めていた。
そんな無責任な様子に、俺はつい頭に血が上って言った。
「……なんで、あんなことを言ったんですか? 俺は、あいさんが何を考えているかわかりません」
「言ったじゃん。お姉さんはまた、『奇跡』みたいな作品が読みたい。それだけだよー」
「……また同じような作品を書いて。それでやっぱり売れなくて、批判されて、傷つくことになるとしても。それでも、ですか?」
『鹿島アイラ』がそれを言うのかよ、と。
俺は憤りを感じていた。
「うん、そうだよ」
「……やっぱり、俺は。『鹿島アイラ』のことが嫌いです」
その言葉を聞いた彼女は、とても弱々しく笑った。
彼女は立ち上がり、俺が綾上を追いかけられるように道を開けた。
「……行ってあげたら?」
どこか後ろめたさを感じさせる、切なそうな表情を浮かべたあいさん。
「言われるまでもありません」
俺は立ち上がり、飲み物代をテーブルに置いてから出口へと向かうことにする。
「……君は、どっちを選ぶのかな?」
すれ違いざまに、あいさんがぽつりと呟いた。
「なんのことですか?」
少しだけ気になって、俺は問いかけた。
「……今はまだ、分かんないと思うよ」
そう言ったあいさんの表情は、とても儚げで。
俺は大事な何かを見落としているような――そんな錯覚をした。
☆
店を出て、俺は彼女の姿を懸命に探す。
俺は周囲を見渡して……綾上の背中を見つける。
駅に向かう反対方向を歩く綾上。
俺は走って、彼女の後を追った。
「待ってくれ、綾上!」
後ろから声をかけるものの、綾上は一切振り返らない。
周囲の通行人がこちらを振り返るが、気にしない。
「お願いだ、話を聞いてくれ!」
彼女に追いついた俺は、後ろから肩を掴み、その歩みを止めた。
ようやく、振り向いた綾上。
彼女の表情を見て……俺の息は止まる。
彼女の頬を、涙が濡らしていた。
辛そうな表情を浮かべ、恨めしそうな視線を俺に無言のまま送り続ける。
俺は、綾上に対して言うべきことがたくさんあるはずなのに。
情けないことに、何も言えなくなっていた。
「……雨だ」
そうしている内に、空から雨が降り出した。
ひどいタイミングだ、と思いつつ。
「綾上。……風を引くから、どこかに入って、話をしよう」
俺は俯く綾上に声をかけ、そして……逡巡した後、彼女の手を取る。
その手を引いて、適当な店に入ろうと思ったのだが……。
「綾上?」
綾上が、俺の手をしっかりと握り返し、そして意志を持って引っ張った。
綾上は、確かな足取りで歩みを進める。俺は、為されるがままに、その後をついて行く。
その間も雨足は強まり、二人ともすっかり濡れていた。
「ちょ、綾上? 一体どこに向かってるんだ?」
俺の言葉には答えないまま、綾上は歩き続け……。
そして、とある建物の前で止まった。
――俺は、その建物を見て、慌てて綾上に問いかけた。
「え、ちょ……綾上!? マジで、何考えてるんだよ!?」
しかし綾上は俺の言葉には一切答えず、だんまりのまま。
結局、俺は綾上に手を引かれ、その建物――いわゆるラブホテルの中へと、足を踏み入れるのだった。




