19、クソレビュアーと天使
『それじゃ綾上さん、今指摘した点を解決出来たら、企画会議に出せると思いますので。というか、絶対に企画を通しますので! もう少し、頑張りましょう!』
耳に当てるスマホから聞こえる、担当編集の励ましの言葉。
「はい、頑張ります」
私はそう言ってから、電話を切った。
うーん、と背伸びをしてパソコンに向かう。
今私がしているのは、執筆活動ではなく、編集部に提出する「企画書」。
これが編集部の会議で通らないと、執筆して本を出版することができない。
今回作っている「企画書」は、担当さんが言うには『良い線いっている』とのこと。
先ほど提示された改善点さえクリアすれば、『絶対に企画を通します』という頼もしい言葉ももらっているし、自分自身面白いものが作れるという自信も、あった。
「でも……」
このままではあと一歩。……何かが足りないと、私は薄々感づいていた。
何が足りないのだろうか。
……すぐに、私は思い至る。
大好きな人との、イチャイチャ。
それが今の私には絶対的に欠けていた。
あの遊園地デートの日以降、しばらくの間。
私は彼に会っていなかった。
彼との甘い時間は、私が創作活動に打ち込む原動力にもなっている。
でも、次に夏祭りで沢山甘えるために、私は企画書つくりを頑張れているのも事実。
彼とのイチャイチャは、だからもう少しお預け。
今の私に必要な要素は、もう一つあった。
……その深刻に欠けている要素を補充するために。
私は、彼と同じくらい大切な人に、電話をすることにした――。
☆
「はぁ」
俺は一人、部屋の中ででかい溜め息を、それはもうクソでかい溜め息を吐いた。
視界に映る、PCの画面に表示されているサイト上では。
……クソレビュアーのもとべぇさんが情け容赦なくブッ叩かれていた。
はぁ、と。
もう一度でかい溜め息を吐いてから、気分転換に外を散歩でもしようと思い、部屋から出ることにした。
「あ、兄さん」
ちょうど同じタイミングで、隣の部屋から幸那ちゃんが出てきた。
幸那ちゃんは俺の顔を見て、声を掛ける。
「あ、幸那ちゃん。……そんな荷物を持って、どこかに行くの?」
俺は、幸那ちゃんが手に持っているボストンバックに視線を向けながら問いかけた。
俺が聞くと、幸那ちゃんはドヤ顔をした。
ちなみに、幸那ちゃんのドヤ顔はかなりレア。
「うん。今日は、お泊りなんだ」
「お泊り? 友達のところに?」
「ううん、違うよ」
幸那ちゃんは先ほどのドヤ顔から……少し、照れくさそうな表情へと変えた。
不思議に思いつつ、幸那ちゃんの応えの意味を考える。
友達ではない人の家に。
高校一年生の妹が。
俺の大事な、幸那ちゃんが。
お泊りをするらしい……。
……お泊り。
友達ではない人物の家に……。
――俺は思わず、最悪の想像をしてしまい、
「そ、そんな……」
腰を抜かして、その場に勢いよくしりもちをついた。
「兄さん!?」
慌てた幸那ちゃんはボストンバッグを廊下に落とし、心配そうな表情で俺に手を差し伸べた。
いけないいけない。
お兄ちゃんたるもの、妹を心配させてはならない。
「だ、大丈夫。ちょっと驚いて死にそうになっただけだから」
「ネットで流れるマンボウのデマじゃないんだから……」
屈んで、俺と視線を合わせた幸那ちゃんは、心配そうな表情をしつつ、呆れたように笑った。
「……今日、お泊りする相手は。……幸那ちゃんにとって、一体どんな人なのかな?」
「ええっと……すごく、大切な人」
大切な人。
それってやっぱり……カレピか!?
それとも……カレピッピなのか!!??
どっちにしろ、ぶん殴るしかないか……。
「その人とお兄ちゃん。幸那ちゃんは、どっちが大切?」
「や。言わないし」
幸那ちゃんは優しい子だから。
もしかしたら、それを口にすれば、俺が本当にショック死すると思っているのかもしれない。
そんな風に勘繰ってしまった時点で、お兄ちゃんは死にそうだったりするんだよなー。
「……ふふっ」
そんな俺の様子を見た幸那ちゃんは、楽しそうに笑っていた。
俺は幸那ちゃんの笑顔を、絶望しながら見ていた……。
「鈴ちゃんのお家にお呼ばれしたから。今日はお泊りに行くの」
「え?」
「ごめんね兄さん。ちょっとからかっちゃった」
もう一度ドヤ顔を披露する幸那ちゃんは、続けて言う。
「ところで。兄さんは私が、誰のお家に泊まりに行くと思ったの?」
「……幸那ちゃんにカレピが……カレピッピできて。そいつのところにお泊りに行くかと思ったら……お兄ちゃん混乱して。腰が抜けて。……死にそうになったんだ」
涙を堪えながら、俺は震える声で自らの気持ちを吐露する。
「うわぁ。……兄さん、シスコンすぎだし」
幸那ちゃんはドン引きしていた。
「でも、からかいすぎちゃった。心配させて、ごめんね?」
幸那ちゃんは、申し訳なさそうに、上目遣いでこちらを見ながら言った。
「! 良いんだよ、幸那ちゃん。……気にしないで!」
俺はそう言って、両腕を広げて、いつ幸那ちゃんが胸に飛び込んできてもいいように、身構えた。
「うん。それじゃ、私そろそろ行くから」
そんな俺をガン無視した幸那ちゃんは、ボストンバックを持って、階段を降り始めた。
……残念。
兄妹愛を深める抱擁は、できなかったか。
ふぅ、と一息ついてから、俺は何とか立ち上がる。
それから幸那ちゃんに向かって、俺は言った。
「それにしても、「友達じゃない」ってのは綾上がかわいそうじゃないか? 幸那ちゃんにそんなこと言われたら、綾上はきっと泣くと思うけど?」
幸那ちゃんは俺の声に、ゆっくりと振り返る。
「鈴ちゃんは、私の友達じゃないよ」
「え?」
幸那ちゃんはそう断言した。
驚く俺に、幸那ちゃんは続けて言う。
「だって鈴ちゃんは、お友達じゃなくて。お、お姉ちゃん……だし」
恥ずかしそうに言ってから、幸那ちゃんはこちらをまっすぐに見つめてきた。
「そうだよね? ……ね、兄さん?」
幸那ちゃんは、無邪気に笑った。
まるで天使のようなその笑顔に、俺は何も答えられななかった。
ただ。綾上は、その言葉を聞いてもきっと泣くだろうな、と思った。
――もちろん、嬉し泣きだろうけど。




