僧兵の御白州
罪状は殺しに、強盗、拉致監禁に婦女子に対する暴行容疑だ。
それに、捕まえたのが一揆の最中の坂本だったこともあり、騒乱罪も適用しよう。
騒乱罪は現代日本でも極刑しかないとか聞いたことのある重い刑になる。
この時代、盗みだけでも極刑なのに、これだけあればもう言い逃れは出来ないだろう。
俺はさっそく、お触れを市中に出した。
検非違使庁の庭先で裁きをするので、見学自由。
あいつらに被害のあった人たちには特に参加してもらいたいと伝えた。
京には坂本から逃げてきた人たちもいるが、わざわざ坂本にも人を派遣してお触れを出して裁きの参加者を募った。
念には念をと配下の忍者諸君にも噂として京と坂本の市中に僧兵の裁きについての情報を流させた。
準備が整い、検非違使の役所に使っている場所の庭を解放して御白州を開いた。
さすがに大岡越前などかなり先の話になるが、似たような場所を作り、周りの塀が無いので、京などから集まった人たちにも見える状態で、裁きを開かせた。
俺はさすがに最初に集まった人たちに対して挨拶をしただけで、裁きは半兵衛さんや五宮たちに任せた。
何せ、世情に疎い俺がしても混乱ばかりを招くだけなので、決して面倒ごとから逃げたのではないぞ。
半兵衛さんは俺からの再三にわたるお願いに対して最後には引き受けてくれたのだが、最後まで面倒ごとから逃げる俺に対して愚痴をこぼしていた。
あ、ばらしてもうた。
でも、半兵衛さん自身も今回のイベントの重要性を理解している。
兵のような僧がいることの弊害というか、あまりに理不尽な存在の僧兵についてだ。
あいつら好き勝手に人を殺すのに、一旦立場が悪くなるとすぐに寺に逃げ込む。
寺領不介入だったか、変なしきたりのようなものがやたらと蔓延るこの時代では、権利を悪用して、一切の反省もない。
そんな厄介ごとに正面から挑むにはやたらと苦労が多く実りが少ないので、だれもが避けてきた…いや、面倒ごとではあるが挑もうとしていた者はいたのだろうが、それができなかったというのが実情のようだ。
どうしても寺領不介入をはじめ、人の範疇から神や仏の範疇に入り込まないとあいつらを裁きの場にまで持ってこれなかったというらしい。
だから、本来はそういう不良の輩は破戒僧と言われ、寺自身が裁かないといけないはずだったのだが、寺の自浄作用が全く機能しなくなったこの時代ではそれすらできない。
なので、あいつらはタガを外して好き勝手していたわけだ。
寺の名誉のために一言言っておくが、あれほど堕落している叡山にも、少なからずまともな修行僧はいるが、それがマイナーな存在だということが問題の深刻さをうかがわせる。
とにかく、あいつらを寺領という神域からこちら側に持ってこないといけない。
寺領と言っておいてなんなのだが、普通手の付けられないような場所を表すのに仏域とは言わないよな。
だから神域、日本語は難しい。
それに何より宗教と政治を切り離さないと、今後も同様なことが起こりうる。
そこで俺は考えた。
俺は既にすたれたとはいえ、いまだに廃止や改定すらされていない律令をもって切り口とした。
ほとんど最近どころか下手をすると鎌倉の御代より触られることすらなかった僧籍名簿を朝廷の書庫から探し出して証拠とし、さらに彼らが嘯く叡山からも連中のような者たちの存在を否定させた状態での裁きだ。
私度僧なんて言葉も死語となったこの時代で、あいつらを一旦私度僧としたうえで、破戒僧のレッテルを張り、野盗として裁く。
事前に念入りに取り調べをして、連中をいくつかのグループに分ける。
ただ単に強訴に参加しただけの者たちと、坂本で一揆に参加したものに。
しかも、一揆勢にも乱暴狼藉をしていたものかどうかまで調べた。
まあ、あの時はやっていなくともどこかで似たようなことはしている連中なので、そこまで気を使わなくてもいいような気がするが、それでも一応俺たちは公平に悪事を裁く格好をつけた。
半兵衛さんは最初に連行されてきた強訴に参加しただけの者たちに対して、罪状を述べてから、罰を言い渡す。
「律令の定めるところの僧籍にあらず、その上、鎮護国家のために古の陛下が建立した比叡山の僧とたばかり、京の市民に対して混乱を与えた罪決して軽くはない。
その方らは、遠島を申し渡す」
その後、いや、裁きの最中から連中は煩かった。
『俺たちに何かすれば比叡山が黙っていない』とか『仏罰が下るぞ』なんて口々にやたらと言いまくる。
まあ、あいつらだって必死なのだろう。
今までは、少しでも立場が悪くなると、すぐに叡山に逃げ込んでやり過ごしていたのだから。
それでいて気に食わないと、平気で他の宗派の寺なども焼き討ちにしているのだから、まともに仏教を修行していたらあいつら自身で仏罰を恐れないといけない連中なのだ。
そう、刑では無く罰だ。
あいつらこそ仏罰がくだらないといけない連中だ。
多分俺もだろうな。
この世界に来てから、俺もろくなことはしていない。
もう少し、俺の周りを良くしてから俺も地獄に落ちるだろうが、それだけのことはしてきたし、これからも手を抜くつもりもない。
だから今だけは人からなんと言われようが、あいつらのような連中に裁きを加える。
ちょうど今、次の連中だが裁かれている最中だ。
あいつらは、そのまま死罪が決まっている。
その後の連中は、さらに罰を重くして打ち首獄門、さらし首になると聞いている。
さすがに俺は見学する勇気もないが、この時代では洋の東西を問わず、刑場で処刑は娯楽の一つになっている。
まあ、今回は裁きまでもが市民に解放してあるから、あいつらにひどい目にあった人たちにとっても良い場だったのだろう。
俺らが裁きまでの間に、京や坂本に布告や噂など流していた関係で、比叡山関係者からは非公式に非難も届いてもいたし、比叡山に関係の深い連中からの圧力もあったが、面白いことに日蓮宗などからは称賛の声も聞こえてきている。
俺からすれば、お前らも同じ穴の狢だろうと相手にしなかったが、どうして俺たちの意図が伝わらなかったのかな。
私度僧は認めないと言っているんだけどもな。
要は、政に口出すなと言っているだが、伝わっていないな。
それでもしばらくは叡山からの圧力が減ったことで、喜んでいる公家もいるからかオーライかな。
僧兵の断罪イベントを終えるとやっと俺にも時間が取れるようになってきた。
しかし、ゆっくりと家族の時間がとれるほどの時間は無かったようだ。
「坂本の町の整備もありますが、それよりも若狭に一度おいでください」
半兵衛さんにこういわれてしまえば行かない訳にはいくまい。
何せ若狭で忙しそうにしていた半兵衛さんを無理やり京まで連れだしたのは俺だ。
しかも、裁きの件を伏せて京まで来させて無理やり裁きの責任者にしたのだ。
恨まれないはずはなく、今でも何かの拍子に恨み言を言われるのだ。
そんな半兵衛さんからのご依頼という名の命令では逆らえない。
今回の騒ぎにひと段落が就いたのを確認してから、俺は半兵衛さんと若狭に向かった。
京から若狭まではそれほど距離がある訳でもないし、何より古の昔から人の往来の盛んな場所でもあるので街道も整備されている。
あれが整備と呼べるのならばの話なのだが。
しかし、俺たちには時間もないし、何より今まで時間をかけて整備してきた水運がある。
それもこの屋敷から淀を通り琵琶湖の北岸まで船で向かえるので、急げば一日で若狭に入ることができる。
尤も俺たちに時間が無いとはいえ、流石にそこまで強行する必要もないので、安土で一泊してから若狭に入った。




