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第九十五話  華北戦線異状アリ

 日本では桜が咲きだした三月末、バイカル戦線は何とか立て直しに成功していた。

 ソ連軍の急襲によってバイカル湖南岸だけでなく北岸にまでソ連軍の拠点が出来つつあったが、南部ではロシア軍による決死の防衛線で、北部では雷神の活躍で、何とかソ連軍の勢いを殺ぐことに成功していた。


 予想していた通り、ソ連でもターボプロップ戦闘機を完全にモノにしていた。まだまだ速度押しの面はあるが、一撃離脱戦法に徹すればそれもありかもしれない。ただ、ターボプロップの馬力に頼っていては、プロペラ効率が頭打ちとなり、これ以上の速度は望めない。すでにそんな状況にあることをソ連機からも感じている状況だった。


「もう、これ以上の事をやるならジェットエンジンしかない」


 そう考えるのは皆同じだった。

 しかし、一方で、軽量で馬力のあるエンジンを手に入れたことで、現状に満足する空気があるのも確かだった。


 これ以上の速度となると未知の世界となる。とにかく数が必要な現状でわざわざ時間と費用の掛かる基礎研究や実験に耽るよりも、今必要な性能の機体を一機でも多く前線に供給する。そうした要求があることも事実だった。

 ターボプロップにはそれだけの魅力があるのだから当然だった。


 確かに、単発機で双発機を追い詰めることは出来る。現に日本軍の偵察機を墜としている。しかし、双発機で単発機並みの速度を得る事も同時に出来てもいる。そして、四発機でも近い速度が可能であろうと誰もが予想できている。

 更には、現在の技術でジェット機を作っても、空力、強度共にターボプロップ機を完全に圧倒するには時間がかかる事も試験から予測できている。

 現在、一般的なジェットエンジンで実用化可能な戦闘機の速度は八百km前後、これはターボプロップでも上手くすれば可能で、現に攻撃機「雷神」の最高速度は六百km程でしかない。

 ならば、今はターボプロップに集中しよう。そうすれば既存の技術で対処可能で、量産性も高いのだから。


 合理主義のソ連にとってはそれが自然な考えだった。日本においても特殊な要求によって作られた雷神以外については、技術的に信頼性が高く、性能が予想できるターボプロップ機が優先していた。

 パイロットの訓練課程がレシプロのそれを引き継ぐターボプロップと完全に異なる課程を必要とするジェット機では、数を必要とする場合、どちらを優先するかはわかりきっている。

 日ロ軍においても、戦闘機は39式の改良型が主力であり、攻撃機は43式の改良型が主力であった。


 このため、空の戦いではいずれも圧倒的な差が生まれることなく、バイカル湖北岸で元から堂々と飛行場を設けて数を確保していた日ロ軍が優勢なのは当然で、双方が対峙する関係が続いていた南岸では互角という状況で、すでに膠着状態が出来上がりつつあった。そして、バイカル湖の氷が解けるこれから先、半年程度は現状維持が続くことになると日ロでは想定していた。



 日ロとソ連が膠着状態となる一方で動きがあったのが華北戦線だった。

 華北戦線では米軍が延安を攻略し、民国軍が協力して更に西進する構えを見せていたのだが、三月以降の戦いでは大きな変化が訪れていた。


 それまでゲリラ戦中心だった共産軍が突如、大規模な重装備をもって立ちはだかるようになっていた。米軍は延安を攻略し、山の中を北上していくがそこには今までにない苛烈な砲撃が待っていた。

 西進して蘭州を目指した民国軍は山間部に入り早々に敗退を余儀なくされていた。


 西にも北にもゲリラではなく、大規模な戦力が控え、機動性を重視したこれまでの部隊がまったく役に立たない状況に陥っている。米国が過去に犠牲を払って支配下に置いていた内モンゴルにもモンゴル独立党が西部を侵食し、フフホトやパオトゥを何とか維持しているに過ぎなかった。そこから南下した砂漠地帯を越えた地域にも共産軍は蔓延り、加蘭山周辺には有力な装甲部隊まで擁している事が確認されている。


 既に米軍はこれ以上戦線を拡大する余力を失い、延安すら奪い返されそうな状態に陥っていた。

 モンゴル・ハーン国の維持にも気を配り、日米ロが何とかモンゴル西部を維持している状態で、日本はバイカル戦線で手一杯、米軍も西安維持で手一杯という状況が色濃くなりだしていた。

 そうかといって、日米ロの膨大な航空戦力の前にソ連軍や共産軍も戦線を東進させるほどの決定力は持ち合わせていない。


 昭和二十六(1947)年秋の状況は、何か決定打が欲しいと東進したソ連は完全に行き詰り、米国は共産党駆逐を宣言しながら行き詰まり、民国を傀儡にしてアジアでソ連を拘束したかったドイツも行き詰っていた。

 ロシア公国は元々帝位に執着のなかったミハイル大公を米国が口説いて建国しただけに、ウラルの西に興味が無い。その支援者である日本もわざわざ中央アジアを越えて進撃しようという野望も国力も備えていなかった。

 誰もが決定力を持たず、解決策もないまま年越しを迎えようとしているのだった。


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