第八十三話 展示演習
今話は架空戦記創作大会冬2018参加作品となります。
昭和二十四(1945)年七月、海南島攻略が中止になったことで様々なものが余っている状態だった。
そのまま備蓄していても良いのだが、ここのところ国民には戦争をお祭りのように心待ちにしている部分が少なからずあった。
大抵の人にとって、動員令を前提にした大戦争には反対だが、常備軍が行う規模の戦争ならお祭りという雰囲気が出てきている。どうやら上海占領や南京爆撃があまりにもうまくいきすぎてしまったようだ。
統合参謀部でも国民の期待に何らかの方法で応えるすべはないかという連中まで現れる始末だった。
そんな折、俺が一言冗談で言った。
「だったら、どこか人を呼べるところで見せるための演習でもやってみたらどうだ?」
と、前世の総火演を思い浮かべながら言ってみた。
冗談のつもりだったのだが、どうにも冗談ではすまなくなってしまった。欧州情勢が熱戦へと変わったこの時期に何を考えてるんだとも思ったが、それはそれとして、ソ連に対する示威行動として考えれば、あながち無駄ともいえない。
統合参謀部では様々な要素を考慮して、地上戦闘の展示、戦艦の空包射撃の実演、戦闘機による曲技飛行を同時に行うという計画が持ち上がった。
そんなことをどこでやるんだ?と思ったのだが、駿河湾沿いの海岸で地上戦闘の展示を二、三か所設けて、沖合に戦艦や巡洋艦を浮かべ、上空を航空機が飛ぶという壮大なスケールでやる事が構想されている。
流石にそんなスケールで出来るのは海南島攻略が中止になって予算や物資が浮いた今年だけらしいが。
そんな壮大なスケールにも関わらず、地元の理解もあって話がトントン拍子で進む。八月中には粗方の計画が出来上がり早ければ九月中にも可能だという。
駿河湾沿いという事で遠州沖大地震の影響も心配したのだが、その復興の意味もあるという。そして、単に演習を行うだけでなく、そこに災害救難訓練も組み込むことで、皆が得をするような仕組みになってるんだとか。
よく考えたもんだ・・・・・・
そうして、九月中には準備が整わなかったが、十月初旬、とうとう実施されることとなった。
まず現れたのは水上艦部隊。
戦果や巡洋艦を基幹とした部隊が沿岸に近づき、盛大に空包射撃が行われ、開始の号砲となった。
そして、水上艦隊の後ろを随伴してきた揚陸艦からヘリコプターや舟艇が浜へとやってくる。ヘリコプターは陸上に設定された着陸ポイントへと着陸し、舟艇は近くの港へと入港した。
そのあとは、駿河湾の三か所の浜で待機していた陸軍部隊による歩兵戦闘や野砲、機甲部隊による空包射撃が行われていった。
演習は午前と午後、そして、翌日には一部の艦艇や装甲車両が公開展示されるという二日がかりのイベントとなった。
地元は観光資源の一つとして毎年開催を望んだが、さすがにそういう訳にも行かず、統合参謀部では、富士演習場での公開展示訓練の毎年実施、観艦式の駿河湾での挙行、曲技飛行隊の結成という案をまとめ、公表した。
こうして、戦時中を除き毎年富士演習場では公開展示訓練が行われ、後に総合火力演習と銘打たれ、新型装備の公開、お披露目日として注目を集めるようになっていく。
観艦式は毎年行われることではないが、富士山をバックにした観艦式は壮観で、海外からの参加がある場合は特に盛り上がることとなった。
曲技飛行隊はエアレース的な演技を中心に始まったが、そののち、様々な演目が増え、後に愛称の公募が行われ、「ブルーインパルス」と名付けられ、各地の空軍基地でのイベントや地方の記念行事で引っ張りだことなる人気を見せることになった。




