第五十五話 ゼロ戦
昭和十八(1939)年二月、九十九里に新設された空軍基地のエプロンに見慣れない新型機が並んでいた。
水冷エンジンのようにとがった機首を持ち、欧州機を彷彿とさせる機体のライン。もし、前世の日本人が見たら「飛燕」と答えるかもしれないその機体はしかし、子細に見ると違和感を覚えたことだろう。
現在その列線を眺める一人の男もその違和感にとらわれていた。
「あれは英国の戦闘機か?いや、水冷機で排気管一本というのは見たことがない。なんだあれは」
この基地は元々東京湾に置かれていた軍の研究部隊が引っ越してきたもので、当然、そこここに試作機や試験飛行中の機体が並んでいる。目の前の機列もそうしたもので、数があることから増試型の機体なのだろうとは判断できた。それにしても妙だ。
そして、機体に搭乗員が乗り組み、整備員たちが機体にとりついている。そうこうしているうちにエンジンが始動した。
そのエンジン音は男の知るものではなかった。普通、飛行機からこのような感高い金属音などしない。
その機体は金属音を張り上げながらエプロンから滑走路へ向かい、耳をつんざく様な金切り音を立てながら離陸していった。
「なんだあれは・・・」
男はただただそれを見送るのである。
「田主少佐!」
そういう声が聞こえ、男は声がした方を振り向いた。
そこには彼の知る顔があった。
「おお、堀肥、久しぶりだな」
「はい、少佐のおかげです。今はこうして毎日楽しくやってます」
堀肥と呼ばれた男は田主へにこやかにお辞儀する。
田主と呼ばれた男は一見して分かる通り軍服である。方や堀肥の方はスーツ姿だった。
「技師さんがこんなところで何やってるんだ?」
「アレの確認です」
堀肥が指した先には先ほどから金切り音を立てながら飛び立っていく単発機があった。
「あれか。ところで、あれは一体なんだ?水冷にしては奇妙な音がしている」
「あれが最近話題のタービンエンジンですよ。重量は既存の600馬力程度の発動機と変わらず、それでいて1000馬力を絞り出す怪物です」
1000馬力と聞いて田主は改めて機体を見直していた。確かに自分が知る機体に当てはめれば戦闘機ではなく攻撃機に類する単発にしては大柄の機体、しかし、その防風は複座にしては小さすぎる。
「あれが噂の試作機か」
「そうです。我々が作り上げたタービン戦闘機ですよ」
堀肥は誇らしげに言う。
「しかし、あの機体の良い噂は聞いたことがない」
田主も試作機については耳に入っていた。しかし、あまりにも扱いにくいエンジン特性のために全く戦闘機としては役に立ちそうにない代物という評判しか聞いたことがなかった。実際に見てみると洗練された機体に明らかに速さがわかるその離陸に噂の真偽を問い直そうとしているところであった。
「はい、良い噂はありませんね、なにせ、エンジンがレシプロとは特性が違うため巴戦が苦手なんです。一度出力を落としてしまえばレシプロよりも数テンポ遅れて立ち上がるような状態になるので、容易に後ろを取られてしまいます。それに、1000馬力ですからその馬力に耐える機体強度、そして速度に耐える翼。結果、機重は重く、翼面荷重もあがり、旋回の苦手な機体になっています」
聞いただけでなるほどと思う惨憺たる現実が伝わってくる。
「それは酷いな、弁慶に牛若丸の真似事などさせている様ではあの機体がかわいそうだ」
「よかった。あなたならそう言ってくれると思っていました」
田主には機体の特性から必要な戦法がすでに浮かんでいた。過去にそのような経験があったという事も大きい。
四年前、現在の36式戦闘機の競作において堀肥が作った機体がまさにそれだった。36式戦闘機というのは俗に軽戦と呼ばれる戦闘機で、その名の通り軽くヒラヒラ舞うような軽快な旋回能力が特徴の機体だ。エンジンには空冷を採用し、固定脚ながらも時速400㎞を超える機体に仕上がっている。世界的にも優秀な機体として知られているのだが、その対抗馬であった機体は既に忘れ去られてしまっていた。
堀肥が作った機体は速度と武装を重視した欧州で主流の水冷エンジンを載せた機体だった。速度だけ見れば当時、戦闘機最速と言って良かった。しかし、12.7mm砲と水冷エンジンを装備した機体は36式のような軽快な旋回性を見せることは無かった。
36式戦闘機はエアレースに出せるほどの旋回性を持つが、田主にとっては時代錯誤と映っているのも確かだった。
世の中は馬力競争の時代で一年や二年で数十馬力、百馬力と発動機は強力になっている。それを装備した双発軽爆撃機などは36式で追いかけるのは今や困難と言われている。相手の速度は優に400㎞を超え、堀肥の機体の450㎞ですら今や危うい状況だった。いくら旋回性能が良くても、旋回すれば速度が落ちる、下手をしたら高度まで落ちてしまう。そんな機体で高速の爆撃機を叩き墜とす事がいかに困難か。
「大半の連中は昔の一騎打ちを夢見て空へ上がっているが、飛行機は所詮騎馬、武者が『やあやあ我こそは』とやっていた源平の昔を再現なんか出来んさ。武田の騎馬隊よろしくとにかく敵陣へ突貫して突き崩す。それこそが空戦というもんだよ」
「はい、私もそう思います。すでに欧米の戦闘機は500㎞の大台を狙っています。その速度になれば36戦のような軽快さは出せません、再現するには機体強度をかなり高める必要があるので重く、遅くなるだけです。エアレーサーが36戦程度の大きさ、速度で止まってしまったのも構造強度の問題です。よほど強靭で軽い構造材が採用されない限り機体が大きく変わることは無いでしょう。戦闘機の基準を36戦に合わせてしまえば日本は終わりです」
堀肥はまだ知らなかったが、エアレースが素材のブレイクスルーによって大きく進展するのは十年以上先のチタンの量産化によってであった。
「ああ、そうだ、だから、俺が呼ばれた。そうなんだろう?」
田主も大きく頷いてそう答えた。
「はい、少佐、よろしくお願いします」
田主が加わった試験部隊はそれから半年で大きく変わった。従来の旋回主体の空戦からエンジンや機体の特性を生かした一撃離脱戦法に舵を切り、見事競作に競り勝つ実力を身に着けた。そして十月に運命の北方航空戦を迎える。
余裕のなかった日本は試作機にもかかわらず前線に投入、持ち前の速度と火力によって米軍を見事に蹴散らして見せる働きをした。競作相手が開戦直前の試験で主翼がへし折れて飛行停止になったのとは対照的であった。
こうして初のターボプロップ戦闘機は翌年正式採用され40式戦闘機となる。ただ、「よんまる」や「よんぜろ」ではゴロが悪いとしていつしかゼロ戦と呼ばれ親しまれることになった。
前世とは違い、採用当初から550㎞の高速を誇り、後に1600馬力エンジンを積むに至っては660㎞をたたき出し、ジェット戦闘機にその座を譲るまで活躍を続けることになった。
あれ?堀肥さんと田主少佐のエピソードなのに、それがない・・・
堀肥さんの重戦を評価して、会社に設計士として残れるようにしてくれたのが田主少佐だった。
元々はそんな話を書いてるつもりだったのにどうしてこうなった・・・




