第四十六話 航空母艦と発達しすぎた航空機
航空母艦、21世紀の常識からみればこれがいかに強力なものかというのが理解できると思う。
しかし、未だ空母がその威力を示していなかった時代、それがいかなる力を持つか理解できるものではない。ようやく空母が世に出たこの世界の昭和十四(1935)年においては。
実際、世界初の空母である英国のアーガスなどは艦の中央に艦橋があり、艦橋の前を発進甲板、煙突を挟んで後部を着艦甲板としているくらいだ。アーガスが完成したのが昭和十(1931)年の事。
そこから試行錯誤が行われて昭和十三(1934)年にようやく全通甲板となった。艦橋があることで着艦がうまくできない。排煙が邪魔になることは早々に指摘され、二番目の空母フューリアスでは初めから全通甲板で建造されている。完成したのが昭和十四(1935)年の事。日本はというと、同じ年に鳳翔を完成させた。
スペック的にも前世のそれと大差ないんではなかろうかという小型空母だ。
ただ、航空機の発達は初飛行が十年以上遅れていることを無視するかのような勢いである。その原因はアルミ合金が早い段階から航空機に適用されたことが大きい。そして、戦争がない代わりに曲技飛行が盛んにおこなわれている。エアレースといえばこの曲技飛行の大会を指すが、前世では速度競争ではなかっただろうか?
自動車は競馬に代わってスピードを競っているが、飛行機は馬術の延長線のような技を競う方向に向かっている。ただ、のんびりと飛べばよいのではなく、時間内に全ての演技を終える。そしていつしかその演技の綺麗さと時間を競う事まで求められるようになっていった。
そうなってくると、俺が死ぬ直前に日本でも開かれたエアレースのように機体の強度が求められるようになり、時間を競うために速度を出す強力なエンジンも必要になる。結局、求められていることが戦闘機と変わらないものとなってきていた。
そうなると軍もそこに目を付けてくる。昭和八(1929)年頃には巨大飛行船が世界を飛んでいた。もちろん、各国で飛行船の軍事利用が盛んになる。そうなると、如何に飛行船を追い払うか撃墜するかという話になる。飛行機で撃墜してしまえとなるのは当然だが、海軍ではその飛行機をどこから発進させるか?という事で、まずは水上機が軍艦に載り、水上機を追い払うためにより軽快な陸上機、あまつさえエアレースのような機体をと要求が膨らんでいくのは必然であった。
世界恐慌で予算が不足している中でも対飛行船対策、水上機対策は戦艦ほど金が掛からないことで、開発予算を確保することが出来ていた。
幾ら戦艦が主力とはいっても、敵の飛行船や水上機に先に発見されてしまえば交戦の主導権を敵に渡すことになる。すでに戦艦の主砲射程は艦固有の観測機能では限界に近く、飛行船や飛行機による着弾観測が有効だと見られているのだからなおの事だった。「これからは有限の戦艦戦力を最大限生かすには空の支配権を取ることが条件となる」というのが昭和八(1929)年頃には広く認識されるようになっており。空母の開発はそうして始まったのである。
そして昭和十四(1935)年には前世と比べて飛行機の性能は早くもそん色ないと言えるレベルにある。ちょっと早すぎやしないか?
もちろん、そこにはエアレースによる多大な犠牲があっての事だが・・・
前世のF1ではないが、行き過ぎた開発競争で多くのパイロットが犠牲になった。毎レースけが人や死者が出るとなると、F1以上に酷いというべきか。その結果、昭和十一(1932)年にエアレースは一時中止となり、機体設計から根本的な見直しが行われた。これがその後の三年で飛躍的に性能と安全性を高めることにつながるわけだが。
そうそう、こっちの世界ではエアレースでゼロ戦のような設計上の問題点や構造計算の問題点などが発見されている。おい、逆に早まってやしないか?
その結果、空母は誕生と同時に単葉機を搭載するという事態が発生している。だから、早々に空母の三種の神器を投入しようと思う。
三種の神器とは、アングルドデッキ、舷側エレベータ、カタパルトの事。
アングルドデッキとは、空母運用において着艦というのは非常に危険で、失敗すると衝突防止柵に突っ込むしかないというシロモノだったものを、飛行甲板に着艦専用に斜めの甲板を設けて、収容作業中の機体が艦首部にあっても安全にやり直しが出来る様にしたもの。
これが装備されたのは、着艦速度が高くなったジェット機時代だが、プロペラ機であっても当然ながら恩恵に預かれる。やり直しが出来るし、着艦間隔を縮める事もできるだろう。うまくすれば着艦と発艦を同時に出来るかもしれない。
舷側エレベータは今では常識だが、飛行甲板を有効に使うには必須といってよい、ただし、小型空母の場合、有効な高さが取れず波をかぶる危険があるので採用は出来ない。もちろん、二階建ての格納庫を持つ場合も、下層格納庫への収納で波をかぶるので難しい。
カタパルトは言わずと知れている。滑走距離を短縮する装置である。プロペラ機時代ですら攻撃機は重い爆弾や魚雷を摘むと飛行甲板を端から端まで使うような滑走が必要で、米軍に至っては大戦後期には自力発艦がほぼ不可能な機体まであったそうだ。
日本では戦争終盤には空母が戦える環境になかったから問題にはならなかったが、流星や烈風が量産型の雲龍型やそれより小型の改造空母で運用できたかというとかなり怪しい。前世で戦記物を読んでいて雲龍型や小型空母を量産して大逆転とかいうストーリーには疑問が浮かんでいたものだ。
だから、俺は早々にカタパルトを所望する!
ちなみに、カタパルトってラングレーだったかレキシントンだったか、結構早い段階から空母には装備されてたんよね。あくまで日本が開発に失敗しただけで・・・
豆知識になるが、世界初のアングルドデッキ空母って、実は戦前に建造されていた。完成はしなかったが、フランスで建造していたんだとか。
ただ、着艦甲板が斜めになっているのは、艦尾に水上機吊り上げ用クレーンを装備していて、それを避けるために斜めに着艦させようとしたためらしい。
という事は、無意味に艦尾にクレーンを付ければ長々説明せずに済むね!よし、二番目の空母はそうしよう。水上機と艦上機の両方を運用する空母と言ってごり押しして、クレーンの前に舷側エレベータ設けて、カタパルトで打ち出すか。
そう言って無理難題を押し付けたら昭和十七(1938)年に水上機運用は建造段階で取りやめとなりクレーンは装備されなかったものの、三種の神器をそのまま装備した空母剣龍が完成した。東郷さんが推したことで二番艦も同時建造で迅龍と命名された。
航空母艦 剣龍型
排水量 26500t
全長 228m
幅(船体) 24.5m
(飛行甲板) 45m
機関 ギヤードタービン
出力 12万馬力
速力 32ノット
武装 5吋連装高角砲4基、40mm四連装機関砲6基
搭載機数 41機
舷側エレベーターにする弊害として二段格納庫に出来ないので搭載機数はかなり少なくなってしまうわけだが、そこは大型化で頑張るしかないんだろうな・・・




